大団円を目指して


第24話 「矛盾」



 イリヤは、自分が切嗣の娘である事を、かい摘んで説明した。
 過去全ての聖杯戦争で敗北を喫した純血の一族アインツベルンが、第四次聖杯戦争でついに外部から魔術師を招き入れる事を決断し、それが当時”魔術師殺し”の異名も名高い、衛宮切嗣であった事。
 そして自分の母と出会い、愛し合い、結ばれた事。
 そうして生まれたのが、自分である事。
 聖杯戦争に赴く際切嗣と交わした、必ず帰って来るという約束の事。
 だが、切嗣が再び自分の下に帰って来る事は無かった事。
 これらの事実を、イリヤは淡々と語った。

 切嗣が聖杯を破壊した事や、それがあの大火災の原因となった事などは、敢えて語らなかった。
 士郎を戸惑わせたくないからだ。
 そんなイリヤを、キャスターは無言で見据えている。
 彼女にとって肝心な事を、イリヤは何一つ語っていない。
 そもそも彼女は、イリヤの話を鵜呑みにしていない。
 故に彼女は、強い視線でイリヤを責める。
 知っている事を全て話せ、と。
 大人しくしてはいるものの、キャスターは視線で咎めていた。
 無論イリヤにとって、キャスターのそんな視線は痛くも痒くもない。
 バーサーカーがいる限り、彼女がイリヤをどうこうする事は不可能だからだ。
 それは、キャスター自身がよく理解している、厳然たる事実である。
 だからこそ、彼女は視線で訴える事しか出来ない。
 自然とキャスターの周りの空気が緊迫し、その空気に当てられた士郎もおのずと緊張する。

「そっかあ……やっぱり切嗣さんは、結婚してたかあ……ハァ」
「……」
「……」
「……」

 そんな中、大河一人がのんきなままだった。
 緊迫していた筈の空気がみるみる内に弛緩し、その様をひしひしと肌で感じたイリヤは、しみじみと言った。

「……タイガって」
「ん?」
「タイガって、つくづくタイガよねえ……」

 実に大河に相応しい感想だと、士郎とキャスターの二人は思った。

「あれ? わたし、今そこはかとなく馬鹿にされた?」
「褒めたのよ。割りと本気で。という訳で、わたしの自己紹介は、これでお終い」
「あ〜、そうか。じゃあ、俺達も自己紹介しといた方が良いよな。俺は……」
「別に良いわ。シロウとタイガの事は、よく知ってるし」

 その言葉にキャスターがぴくりと反応するが、口では何も言わなかった。
 自分が口出しをしても何も答えを得られない事は既に分かりきった事であり、代わりに彼女は大河へ視線を飛ばして質問を促し、大河も視線でそれに答える。
 友情のアイコンタクトである。

「ねえ、イリヤちゃん」
「何よ?」
「何でそんなにわたし達の事、知ってるの?」
「知りたい?」
「そりゃあ、知りたいわよ」
「フフフ……」
「うわ、悪役の笑いだよ、それ」
「失礼ね。わたしは正義の味方の味方よ。だってシロウの味方だもの」
「あらら、そんな事まで知ってるんだ」
「だから、シロウの事は何でも知ってるの。ついでにタイガの事もよく知ってるわ」
「例えば?」
「例えば、そうね……タイガもいい年なんだから、いい加減にライガからおこづかい貰うのは止めたら?」
「な、何故その隠された衝撃の事実をッ!!?」

 大河は激しく驚いた。
 キャスターは頭を抱えたくなった。
 士郎は大いに呆れ返った。

「ハッ!? ま、まさか、それをネタに、わたしを強請る気じゃ――――ッ!?」
「フフ……それは、タイガ次第ね」
「うわ〜ん、士郎助けて〜! この子とんだ悪魔っ娘だよ〜!」
「いや、そんな事より」
「そんな事呼ばわりッ!?」
「イリヤは俺の事、恨んでないのか?」

 自分の下に帰らなかったと、イリヤは語った。
 なのに切嗣は、自分を養子とした。
 ならば自分を恨んでいても不思議はないと、士郎は思う。

「……まあ、恨んでたわ。正直、殺すつもりだったし」
「うわ、凄いぶっちゃけ」
「仕方ないじゃない。すぐに帰って来るって切嗣はわたしとちゃんと約束したのに、その約束を破ったどころか、わたしを捨ててシロウを選んだのよ。そりゃ恨むわよ。本当はキリツグを殺したかったんだけど、勝手に死んじゃってたし、今更どうしようもないもんね。だからその分、シロウをぐちゃぐちゃにするつもりだったの。こう、バーサーカーで」

 イリヤは何かをこねるような仕草をしながら言った。
 その仕草に、血の気が引く士郎と大河。
 とても人を扱う仕草ではなかったが、バーサーカーを見知っている分、それは妙にリアルだった。
 そんな二人に、イリヤは首を傾げる。

「あれ? わたし、何か変な事言った?」
「……良かったね、士郎」
「……何がだよ」
「ある意味、凄い事だよ。何てったって、あの超有名人にぐっちゃぐちゃにされるんだから」
「されてたまるか!」
「そんな事よりイリヤちゃん」
「そんな事呼ばわりッ!?」
「どうして士郎を助けてくれたの?」

 そこまでの恨みがあると知れば、当然の疑問だった。
 そしてイリヤは、己にとって当然の事を当然の如く答える。

「わたしがシロウを愛しているから」
「うわ直球だよ、しかもど真ん中だよ! そうじゃなくて、どうしてその恨みがなくなったりしたのかが訊きたいの!」
「勿論、それなりの事が色々とあったからよ。話すつもりはないけど」
「え、何で?」
「コイツが信用出来ないから」

 イリヤは、キャスターを顎でしゃくりながら答えた。
 その生意気な姿が実にサマになっているなあと、大河は思った。

「またですか……ちょっと、士郎も照れてないで何とか言ってよ」
「え、俺?」
「そうだよ。キャスターさんは士郎のサーヴァントでしょ? なに他人事のようにしてんのよ」
「いや、俺は二人とも信用してるし」
「ハァ?」
「いいじゃないか、説明されなくたって。イリヤは俺達の味方だろう」

 その言葉に、キャスターが内心舌打ちをする。
 自分が訊いても無駄なだけに、その分シロウとタイガに質問をして欲しかったからだ。
 だが大河は当てにならず、士郎はこのザマ。
 仕方がないので、やむなく自分で疑問を口にする。

「大河の疑問は当然よ、坊や。私だって一応は訊いておきたいんだから。そこのお嬢さん、まるで全てを知っているような口振りだし」
「まあ、訊きたいのは当然でしょうね」
「だったら……」
「でも嫌よ」

 イリヤの答えは、簡潔だった。

「コイツを追い出すなら、全部話してあげるけど」
「……」
「わたしだって、シロウに隠し事はしたくないもの。シロウだって、全部知りたいよね。フフ、どうする?」
「別に良い」
「あ、あれ?」
「さっきも言った通り、俺はキャスターを信用してるし、イリヤの事も信用する。だから、別に理由は話さなくて良い」
「……」
「……」
「……」

 三者三様の沈黙が流れた。

「シロウも、つくづくシロウよねえ……」

 再びしみじみと、イリヤは言った。

「え〜と、ところでイリヤちゃん」
「何よ、うるさいわね」
「わたしに対する態度が士郎とえんらい違うのは、この際おいといて」
「だから何よ? 回りくどいわね」
「だから、士郎の事……色々と知ってるんだよね?」
「ええ、言った通りよ」
「じゃあ、さ……士郎の魔術の事、知ってる?」

 グビリと、誰かの唾を呑み込む音が居間に響く。
 士郎の魔術は異端であり、それを知った魔術師は必ずや士郎をモルモットにすると、キャスターは言った。
 脳髄を引きずり出し、脳を溶液に浸すとまで彼女は言ったのだ。
 あの「殺したぁい」の台詞は、本当に怖かった。
 恐かったのだ。
 だからこそ、味方となるならこの質問は避けられない。
 覚悟を決めて、大河は問うた。

「ああ、シロウの投影の事?」

 なのにイリヤは、サラッと何でもない事のように答えた。

「あ、あれ……? ちょっと、キャスターさん。話が違うよ?」
「そんな馬鹿なッ!! ちょっとバーサーカーのマスター! いくらなんでも、その反応はあり得ないわ! あの(・・)魔術を知った魔術師が、そんな態度でいられる訳が……ッ!!?」
「声が大きいわよ、キャスター」

 せせら笑うようなイリヤの言葉に、いきり立ったキャスターの勢いが止められる。

「それよりキャスター。貴女こそ、シロウの魔術の事を何処まで知っているのかしら?」

 本来なら自分がすべき質問をされてしまったキャスターは、咄嗟に答えが頭に浮かばない。
 そのままイリヤのペースで、質疑が始まる。

「シロウの魔術が投影である事は、知っているのよね?」
「え、ええ」
「そう。土蔵には入った?」
「……ええ」
「なら、見たわよね?」
「あのガラクタなら」
「じゃあ、アレが本来あり得ないモノだという事は、理解しているわね?」
「私は、キャスターよ」
「そうね、愚問だったわ。シロウは割りと気軽にアレ作っちゃうんだけど、それも知ってる?」
「それを知った時、正直殺意が涌いたわ」
「魔術師なら当然でしょうね。それは責めないであげる。それと……」
「坊やが、魔術刻印を受け継いでいないどころか、毎回いちいち魔術回路を作っていた事も知っているわ」
「……実際にやってみせた訳ね」
「ええ。まさか、この時代に初代がいるなんてね」
「ああ。そういえば、そうなるのよね。気付かなかったわ」
「……」
「そんな『しまった』みたいな、分かりやすい顔しないの。代わりに一つ質問してあげるから」
「教える、の間違いじゃないかしら?」
「いいえ。でも、この質問こそがシロウの魔術の鍵だもの。その価値は十分あるわ。ところで魔術回路を毎回作って”いた”って言ったけど、もしかしてシロウはスイッチを作ったの?」
「ええ。私が作ってあげたの。坊やの為に。その意味、分かるわね?」
「スイッチがあってこそ魔術師って言いたいんでしょ?」
「なら……」
「正直、嬉しくないなあ」

 イリヤは、目だけが笑っていない笑顔でそう告げた。

「シロウには、普通に暮らして欲しかったんだけどなあ」
「おい、イリヤ。俺は……」
「うん、分かってる。シロウが目指しているものも、全部。でも心配するのは、また別でしょう?」
「……」
「キャスターを責めたりはしないわ。今更仕方ないもんね。それはそうとキャスター、改めて質問してあげる」
「……良いわ、訊いてあげる。質問をどうぞ」
「シロウの投影魔術は、単なる投影じゃない。シロウが他に使える、強化と解析っぽいのもそうなんだけど……」
「それは――――コレと関係ある?」

 意を決したキャスターが質問を遮り、何処からともなく取り出した双剣を手に、そう尋ねる。
 昨夜庭で拾った、二振りの剣。
 キャスターは、これが宝具かもしれないと疑っている。
 しかも、士郎の投影したものだと。
 だがキャスターの常識が、それを否定する。
 魔法使いに匹敵する実力を持つ魔術師が故に、否定する。
 そんな事はあり得ないと。
 しかし、どうしてもその疑問が拭えない。
 だからこそ、思い切って問うてみたのだが……

「あ、それ、俺が投影した奴だ」

 アッサリと、士郎からその答えが得られた。
 その場の空気を読んでいないかのような発言に、二人からジト目で見られる士郎。

「それ、拾ってたんだ……でもまあ、そういう事ね。世界が潰しにかかる絶対の矛盾を、シロウは投影する。してしまうのよ。それからも解る通り――――宝具すらね」
「……あり得ない」
「でも、シロウには出来る。出来てしまうの。ならば……」
「ならば、それが投影である訳がない。つまりは……」
「つまりは、投影とは似て非なるもの。それは……」
「そう。それは、現実を侵食する想念。あの魔術が劣化したモノに他ならない……即ち」

 イリヤとキャスターが、同時に言った。

「固有結界」

 二人は、ニヤリと笑い合った。

「やっぱり、気付いていたのね」
「とても信じられなかったけどね。人間の扱える魔術じゃないもの。それにしても……」

 キャスターが、士郎に視線を移す。
 だが他人事のように二人の会話を聞いていた士郎は、のほほんとしたままだった。
 勿論、二人からジト目で見られた意味など分かっていない士郎である。
 キャスターは大きく息を吐き出しながら、呆れたように言った。

「普通じゃないとは分かっていたけど……ホント、何処まで非常識なのかしらね、坊やは」
「そうか? 普通だぞ、俺」
「何処がよッ!!」

 たまらずキャスターがツッコんだ。

「分かってるのッ!? 坊やは……ッ!!」

 我慢にも限界はあり、いくらなんでも今の言葉は我慢がならない。
 色々と鬱憤も溜まっていたキャスターは怒涛の如く文句を並べようとしたが、途中で考え直し断腸の思いで言葉を止める。
 どうせ言っても無駄だからだ。
 本当は言いたかった。
 最後まで言いたかった。
 魔術が既におとぎ話となって久しいこの時代に魔術師となった士郎は初代であり、それだけならともかく魔術刻印を引き継いでもいないのに魔術回路が27本もあるのだから、つまりはそれらを自力でしかも一代で作り上げたという事であり、それがどれだけ凄い事なのか、事細かく説明したかった。
 そのうえ属性が剣なんて訳分かんないもので、更にはあんな訳分かんないモノ平気で創って、なのに工房はもってないし、その癖その異常さを全然理解してなくて、尚且つ普通の魔術は大して使えないどころかスイッチの存在すら知らずに一から魔術回路を作っていた士郎がいかに馬鹿な真似をしていたのか、噛んで含めるように説明したかった。
 おまけに魔力の量は大した事ないのに、質だけはかなりのものというのも変な話で、というか、そもそもサーヴァントを人間扱いする時点で変だし、あり得ない。
 極め付けには人間でありながら固有結界の使い手であり、だと言うのに士郎があくまで素人というところが、もう冗談抜きであり得ないのだと、包み隠さず歯に衣着せず身も蓋もなく説明したかった。

 だが、彼女は既に理解していた。させられていた。
 以上の事をどれほど分かり易く説明しようと、士郎が理解出来ない事を。
 言いたい事も言えない彼女は、せめてこれくらいはと何かに耐えるように言葉を搾り出す。

「固有結界の使い手が、普通の訳、ないじゃない……」

 そんな彼女を、イリヤは可哀想なものを見るような目で見ている。
 そしてポツリとイリヤは言った。

「……哀れねえ」
「余計なお世話よッ!!」

 改めて世の理不尽を嘆くキャスターであった。

「……ところで、この際聞いておきたいんだけど、結局坊やに何があったの? 枯渇していた私の魔力まで、補充されているんだけど」
「え、嘘?」
「本当よ」
「そんな筈は……」
「事実よ。今の私の魔力量は、召喚したてと言って良いくらいに完全だもの」
「……おかしいわね。いくらわたしでも、二人を賄うのはさすがに……」
「ちょっと待って! 二人を賄うって、どういう事!?」
「ん? だから、わたしがしたのはシロウとパスを繋いだ事だけだもの。わたしの魔力がシロウを経由して貴女に供給されたって事なんでしょうけど……」

 イリヤは途中で言葉を濁し、チラリと視線を庭に向ける。
 庭には、変わらぬ姿のバーサーカーが静かに佇んでいる。
 その姿からは、特に魔力不足に陥っている様子は感じられなかった。

「やっぱり変。二体のサーヴァントに魔力を供給しているなら、さすがに魔力が足りなくなる筈なんだけど……」

 許容できるキャパシティさえあれば、複数のサーヴァントと契約する事は可能である。
 だが、意味はない。
 その場合、十の魔力を五に分けて二人のサーヴァントを使役する事になり、サーヴァントの能力が半分に下がるからだ。
 例え二人のサーヴァントを使役しようと、それぞれの能力が極端に下がってしまうのでは、意味がない。
 しかし、己を顧みても魔力不足といった不都合はなく、バーサーカーにも異常はなく、またキャスターも完全だという。
 本来、それはイリヤにすら不可能な事だった。
 ましてや、一人は魔力を暴食するバーサーカーだ。
 どんな魔術師にも不可能な事であり、二人ものサーヴァントに魔力を完全に供給するのは、それだけ凄まじい事なのだ。
 それを可能とするのは――――

「サクラじゃあるまいし……」

 ――――門の向こう側と未だ繋がっている、桜だけであろう。

「……あれ?」

 そう、それは桜にしかあり得ない。
 聖杯の失敗作でしかなく、アンリマユの依り代となり、門の向こう側と繋がった、桜にしか。
 翻り自分を顧みれば、本来の聖杯であり、バーサーカーと共に門の向こう側へ行き、その門を閉じる事すら出来きた自分。

「……何だ」

 桜に可能な事なら、大聖杯となった自分に不可能な訳がなかった。
 何より、この現状。
 自分達が今ここにいるこの現状こそが、正に奇蹟である。
 ならば言おう。
 敢えて言おう。

「この程度の事、出来て当然じゃない」

 クスリと、なにかを揶揄するようにイリヤは笑った。

「……なんて、化け物」

 言葉を失っていたキャスターがようやく口を開くが、出て来た言葉は実に陳腐なものだった。
 しかし、それも無理はない。
 二人ものサーヴァントを完全に使役する相手に、他にどう言えば良いのだろう。
 それ以外の言葉など、キャスターには思い付かなかった。

「おい、キャスター。そんな事は言うな」

 その言葉を士郎が咎めた。
 彼は、そういった人を貶めるような言葉が嫌いだった。
 単に解っていないだけともいえるが、それが良くも悪くも士郎という男である。

「そうそう、シロウの言う通り。調子に乗ると、お仕置きするわよ」
「イリヤも止めろ。俺達はこれから一緒に戦う仲間だろう?」
「仲間、ねえ……」
「イリヤ」
「ごめ〜ん。うん、そうだね。キャスターはシロウのサーヴァントだもんね。キャスターがボロを出すまでは、ちゃんと仲間でいてあげるから安心して、シロウ」
「……ボロも何も、私は坊やのサーヴァントよ」
「その内、裏切るんでしょう?」
「しないわ」
「じゃあ、令呪を使っても良い?」
「……勿論よ。それを決めるのは、坊やだけど」
「こらこら、イリヤちゃん。キャスターさんの事はもう認めたんでしょう? だったら、そんな意地悪言っちゃ駄目よ」
「はいはい。タイガにしては、えらくマトモな事を言うのね。らしくないわ」
「どーゆう目でわたしを見てるのかなあ、イリヤちゃんは!?」
「教えて欲しい?」
「いえ、結構です」
「賢明ね」
「この、ちびっ娘悪魔め……それいえば、イリヤちゃんて実際はいくつなの?」

 己の不利を感じた大河が、話題を代えた。
 代えた話題は、大河が昨夜から気にしていた事である。

「あら、気になる?」
「なるわよ。イリヤちゃん、自分の事ずっと士郎のお姉ちゃんって言ってるけど、そんな風には全然見えないもん」
「女には色々あるのよ。これでもシロウよりは年上なんだから」
「うっそォッ!?」
「嘘じゃないわよ。だから、わたしはシロウのお姉ちゃん。でも見た目では妹だから、妹としても可愛がってね」
「と、年上の幼女とは……一粒で二度おいしい、姉かつ妹のダブル萌え……何て恐ろしいの!」
「フフン。タイガなんて、わたしの敵じゃないわ」
「そんな事ないもん! わたしだって……!」
「二十五歳の独身でしょ」
「グハァッ!」
「しかも今まで彼氏無し」
「ハゥッ! か、かくも世知辛い世間の厳しさをズバリ幼女が指摘するとは……やられたぜ、ガク」

 大河は力尽きたように、ガクリとテーブルの上に倒れ込んだ。
 なんかピクピクしていた。

「……ねえ、そろそろ話を進めても良い?」

 このノリについていけないキャスターが、勘弁してよという感じで言った。
 彼女は、先程の自分の驚愕は何だったのかと、少し前の自分に問い詰めたい気分であった。
 一人で真面目に考えるのが馬鹿馬鹿しくなったとも言える。
 その考えは、この場にいるは限りは決して間違ってなどいないのだろう。
 きっと。





 所は変わらず、衛宮家の居間である。
 すっかり肩の力が抜けた皆は、テーブルを囲んで楽しそうに雑談していた。
 キャスターも、それなりに会話には参加している。
 相も変わらず、バーサーカーだけがハブだった。

「ビックリしたなあ。シロウはキャスターに弟子入りしているんだ」
「ああ、俺は半人前だけどな」
「素人でしょ」
「……素人だけどな。だからこそ、キャスターに魔術を教えて欲しいって頼み込んだんだ」
「へえ〜……クスッ」
「笑うなよ、イリヤ。そりゃ、俺は素人同然……」
「素人よ」
「……素人だけどさ」

 いちいち厳しい、キャスターのツッコミである。

「あ、ごめん、そうじゃないの。ただ、魔術の師の座までもう無い事をリンが知ったら、どうなるのかあって思って、フフ」
「リン? 誰の事だ?」
「あれ? シロウ、分からない? ……そっか。まだ大して親しくないんだっけ。名前だけじゃピンとこないか……」
「何の話だよ?」
「ううん、何でもない」

 イリヤは笑ってそう誤魔化した。
 取り繕ったその笑顔は、何故か輝いていた。

「という訳で、これからはわたしもここに住むからね。良いでしょ、シロウ?」
「当然だ。イリヤは俺の家族になるんだからな」
「えへへ……これから宜しくね、シロウ」
「ああ」

 互いに笑い合う、士郎とイリヤ。
 その笑顔には、今度こそ一点の曇りもなかった。

「さて、話もまとまったし……」
「あれ、わたしには?」
「わたし、ちょっとお城に戻るね」
「わたしには宜しくって言ってくれないのかなあッ!?」
「何よ。宜しくしてあげるのは、わたしの方じゃない。仕方ないわね。ほら言いなさい。聞いてあげるから」
「偉そうッ! 何か、すんごく偉そうだよ、このちびっ娘ッ!!」
「イリヤ、城って何だ?」
「流されたあッ!」
「城は城よ。郊外の森にアインツベルンのお城があるの。そこにわたしのメイドがいるから、連れて来なきゃね」
「しかもお姫様だあッ!」
「あ、二人いるんだけど、連れて来ても良いかな?」
「無視すんなあッ!」
「勿論だ」
「いじめカッコ悪いぞーッ!」
「ありがと、シロウ。そう言ってくれるって信じてたけど、やっぱり嬉しい……正直、シロウの傍を離れるのは不安なんだけど……セラには今のうちにキチンと言い聞かせておかないと、また一緒に住めなくなるから」

 実際前の時は、執拗なまでのセラの反対にとうとうイリヤが折れ、結局大河の家に住む事になったのだ。
 大河の家が嫌という訳ではないが、同じ過ちを繰り返すつもりはない。
 同じようにしつこく反対した大河は、既にイリヤのふところの内。
 凛達からの反対意見は無視すれば良いだけなので、残るはセラただ一人のみ。
 今度こそはセラを説き伏せ、必ずや士郎と一緒に住んでみせる。
 イリヤは、固くそう誓った。

 無視された大河は、いじけてテーブルの上に乃の字を書いていた。
 漢字というところが、また素敵だった。

「それにしても、城って凄いんだなイリヤは」
「貴族ってだけで大した事ないわよ。そんな事より、わたしが戻ってくるまでシロウは絶対外に出ちゃ駄目だからね」
「え、何でさ?」
「……本気で言ってる、坊や」
「いや、そんな事ないぞ」
「全く、シロウは本当に懲りないんだから……ランサーは途中で逃げたし、この家まではまだ狙われていないと思うけど」
「気にしなくて良いぞ。外に出なければ良いんだろう? 買い物くらいしか用もないしな」
「だから、それもわたしと一緒じゃなきゃ駄目なの! ……やっぱり止めておこうかなあ」
「すまんすまん、今のはさすがに冗談だ」
「つまんねーよ。ケッ」
「うるさいぞ、藤ねえ」
「やっぱり心配だなあ……夜までには戻るつもりだけど、本当に大丈夫?」
「大丈夫だ。さすがに昨日殺され掛けたからな。未熟な俺としては、イリヤが戻るまでは大人しくしてるさ」

 笑いながら、平然と士郎は言った。
 その態度に、キャスターは内心首を傾げている。
 どう見ても、昨日死に掛けた男のとる態度ではない。
 キャスターはこれまで、士郎のこういった怖いもの知らずとも思える態度を、真に殺される恐怖を知らないが為の、単なる無知故のものと捉えていた。
 だが実際に殺されそうになり、死に掛けてすら、士郎の態度は変わらない。
 どうやら、この男の認識を改める必要がありそうだ。
 のんきな会話の続く中、キャスターは胸中そんな事を考えている。

「戻ってからなら、ちゃんとシロウに付き合ってあげるから。本当に家から出ないでよね」
「分かった分かった」
「本当だよ? わたしが戻ってからなら、シロウのしたいようにして良いから。ちゃんと最後までシロウの味方をするから! だから絶対だよ!」
「分かってるって」

 いかにも分かっていないような、士郎の言い草であった。
 仕方がないので、イリヤは矛先を変える。

「キャスター」
「何かしら?」
「この家はまだ安全だと思うけど、万が一の時は二人を連れて逃げなさい。これは命令よ」
「……貴女の命令を聞く謂れはないのだけれど」
「無理しないで言う事聞いたら? 声が固いわよ、貴女」
「……」
「おい、イリヤ。俺はそういう言い方は好きじゃない」
「はーい、ごめんなさーい。じゃあ、言い直すね。いざとなったら、シロウとタイガを連れて逃げてね。これは、お願い」
「……言われるまでもないわよ」
「そう。合意出来て嬉しいわ。頼りにしてあげるんだから、精々頑張りなさい」
「……」
「イリヤ、だからそういう言い方は……」
「あ、お姉ちゃん喉渇いちゃったなあ。士郎、お茶淹れて〜!」

 気を遣ったのか、いじけていた大河が唐突に口を挟んだ。
 話も一区切り付いたところであり、それも良いかと皆がめいめいに士郎へリクエストをする。

「あ、わたしも飲みたい!」
「……そうね、悪くないわ」
「よし、分かった。ちょっと待っててくれ」

 そんなこんなで、しばらくの間四人はダラダラとお茶をした。
 バーサーカーは、最後まで一人ハブだった。





 イリヤがバーサーカーを連れ一旦城に戻った後も、士郎と大河は居間でまったりとお茶をしていた。
 キャスターは一人で土蔵にこもっている。
 ちなみに士郎が魔術の修行をしたいと付いて行こうとしたら、後にしろとけんもほろろに断られていたりする。
 彼女も一人で色々と考えたいのだろう。

「ところで、士郎」
「ん?」
「ちゃんと、桜ちゃんに電話しておきなさいよ。しばらく家には来ちゃ駄目だって」
「あ、そうだった。サンキュ、藤ねえ」
「バイトも駄目だからね」
「あ、今日バイトだ」
「ちゃんと休むって電話しとくんだよ?」
「分かってるって」
「そしてお姉ちゃんは、お昼寝するのだ」
「おいおい」

 時刻は、もうすぐ夕方である。

「さ〜て、夕ご飯まで一眠りしよっと」
「あのなあ」
「だって、昨日疲れる事しちゃったんだもーん」

 士郎は飲んでいたお茶を勢い良く噴出した。

「な、何を……ッ!?」
「お姉ちゃん、ちょっと人に言えない所が、まだ痛いなあ」
「さっさと寝ろッ! っていうか永眠しやがれッ!」
「その時は、士郎のちゅうで起こしてね」
「うるさい、この馬鹿トラッ!!」
「いや〜ん、まいっちんぐ」

 そして大河は、バラ色が何たらといった鼻歌を口ずさみながら足取り軽く居間を去った。
 士郎からトラと言われようと全く気にせず、ご機嫌な様子のままだった大河。
 彼女にも、何かしらの心境の変化があったのかもしれない。
 あるいは、単に恥ずかしさを誤魔化しているだけだろうか。
 ともあれ、士郎は苦笑する。
 あれでこそ藤ねえだ、と。
 昨日あった色々な出来事にも関わらず、それでも普段の態度と変わらない大河が、士郎には嬉しかった。
 そんな事を思いつつ噴出したお茶の後始末を終えた士郎は、桜に電話をする事にした。
 さて、何て理由にしようか。
 そう考えながら受話器を手に取ろうとした時、タイミングよく電話が鳴った。

「はい、衛宮です」
「あ…………先輩、ですか」
「おう、桜か」

 電話は、桜からであった。
 丁度良いと、士郎は思う。
 こんなにも良く出来た妹を戦いに巻き込んで良い訳がなく、しばらく家に来てはいけない事を早速伝えなければ。
 だが、どんな風に説明しよう。
 危険だからとは、さすがに言えない。
 そういえば、一昨日あんな時間に何故家に来たのか、イリヤには聞くのをすっかり忘れていたので、ついでと言っては何だがその理由も聞きたいところだ。
 などと士郎が悩んでいたところ、先に桜が話し始める。

「ごめんなさい、先輩」
「何だ、いきなり?」
「その……急なんですけど、しばらくの間お手伝いには行けそうにないんです」
「そうなのか?」
「はい。実はその……お爺さまに、しばらくは無闇に出歩くなって言われたんです」
「そうか……分かった。じゃあ、桜」
「はい。しばらく先輩のお家に行くのは遠慮します。
 張り合いがなくなっちゃいますけど……
 本当は今すぐ会いたいんですけど…………
 ちょっとだけ我慢すれば、すぐ元通りですから。先輩も無闇矢鱈に出かけちゃ駄目ですよ。最近物騒なんですから」
「あ、ああ、そうだな。俺も気を付けるよ」
「はい、是非お願いします。くれぐれもお体には気を付けて下さいね」
「どうしたんだよ、大袈裟だぞ?」
「だって先輩……いえ、何でもありません。それでは先輩、次に会える日を心から楽しみにしていますので」

 失礼します、と言って桜は静かに電話を切った。

「どうしたんだ、桜の奴……」

 上手く説明出来ないが、何処か桜は変だった。
 具体的には言えないが随分と自分の事を心配をしているような感じだったし、それによく考えれば、最近は特に物騒な事などこの辺りでは起きていない。
 無論昨日の自分のように、聖杯戦争に関する事は全く別だが、桜がそれを知っている筈はない。
 イリヤと遠坂の二人と一緒に家に来た理由も結局は聞けず考え込む士郎であったが、その時思考を打ち切らせるように再び電話が鳴った。

「はい、衛宮です」
「あ、エミやん! 良かった、家にいてくれたあ〜!」
「あれ、ネコさん」

 士郎のアルバイト先であるコペンハーゲンの店長の一人娘、蛍塚ネコからの電話だった。
 丁度良いので、今日のバイトは休ませて貰おうと伝えようとした士郎だったが、その前にネコが勢い良く喋り出す。

「ホント助かった! ごめん、エミやん! 悪いけど、今日ちょっと早めに来れないかな!?」
「は、今からですか?」
「ごめん! ホンット悪いんだけど、バイトの子がみんな急に休んじゃってさあ! うちのも風邪引いちゃって、今アタシだけなのよ。もうてんてこ舞いなのよ、マジで! こんな時に限ってメチャメチャ忙しいし、酒屋の方だけで手一杯! このままじゃ店開けらんないのよ!」

 コペンハーゲンは居酒屋兼酒屋のような店であり、どうやら居酒屋の方が開けられないと言っているようだ。
 しかし、困った。
 自分も休むつもりだったと、士郎は言い出し難くなってしまった。

「あ〜、ネコさん。実は……」
「ちょっと待った! まさかエミやんまで休むとか何とか言い出さないよね! そうだよね!」
「いや、それが……」
「お願い、エミやん! マジ助けて! もうホントいっぱいいっぱいなのよ! 仕込みも全然済んでなくてさあッ!」
「って、そりゃヤバイじゃないですか」
「そうなの、ヤバイの! エミやんがそんな事言い出すくらいだから大事だってのは分かってるけど、それでも何とかならないかなあ!」
「あ〜……」
「お願い、エミやん! アタシを助けてッ!」

 普段世話になっているネコにこうまで言われては、もう士郎には断れなかった。

「分かりました。超特急で行きますんで」
「ありがとエミやん! 待ってるからねーッ!」

 ガチャンと勢い良く電話は切られた。
 さて、と。
 幸い、と言って良いのかどうかは分からないが、イリヤは家におらず大河は昼寝中。キャスターも土蔵にこもっている。
 今なら出掛けてもバレないだろう。
 出掛ける準備をちゃっちゃと済ませ、士郎はこっそりと家を出る。

「何処に行くつもり?」

 が、しっかりとキャスターには気付かれていた。
 何時の間にやら、彼女は士郎の背後に立っている。

「こそこそとしてまで、一人で何処に行くつもりかしら?」
「あ〜、ちょっとな」
「バーサーカーのマスターに、一人で出掛けるなと言われなかった?」
「まあ、そうなんだが……」
「……理解出来ないわね。昨日殺され掛けたっていうのに、どうしてそう平気で一人で出掛けられるのよ。単なる怖いもの知らずの馬鹿だと思ってたけど、それも違うみたいだし……」

 キャスターが首を振りながら、独り言のようにぶつぶつと何かを言っている。

「……困っている人がいるんだ」

 士郎は、自分が出掛けなければならない理由を説明した。

「だから何よ?」

 だが、キャスターにとっては全く理由になっていなかった。

「だから、悪いがこの場は見逃して欲しい。イリヤには、俺から後で説明するから」
「その”後”とやらがある保障は、あるの?」

 昨夜の事もあり、彼女の言う事はもっともだった。
 しかし、もう自分は行くと約束したのだ。
 ならば、自分は行かなければならない。
 士郎にとっては、自分の行動に何ら恥じるところはなかった。
 とはいえ、さすがの士郎も自分に非がある事は理解しており、またこれ以上上手く説明も出来ず、結果彼は何も言えなくなってしまう。
 キャスターも無言のまま、じっと士郎を見据えている。
 二人の間に、しばし沈黙の時が流れた。
 フードに隠された彼女の表情は分からないが、士郎は段々と自分が観察されている ような気分になった。
 そして彼女は、

「……ハァ。もう良いわよ」

 呆れたように言ったのだった。

「マスターはあくまで坊やだもの。好きにすれば良いわ。でも、そうまでするからには私を当てにしないで欲しいわ。分かっているとは思うけど」
「勿論だ」

 最初から一人で出掛けるつもりだった士郎は、当然のように答えた。
 その言葉に、今度はキャスターが言葉を詰まらせる。
 自分の命を何だと思っているのだろうか、この男は。
 どうも上手く理解出来ない。

「……いざとなったら、令呪を使って私を呼びなさい。令呪を使えば、何処にいようと私をすぐに召喚出来るから。一つ消費する事になるけど、命には代えられないもの」
「令呪って、そんな事も出来るのか?」
「説明したじゃない。令呪は、サーヴァントに能力以上の奇跡をもたらすものって。忘れたの?」
「いや、されてないぞ」
「したわよ。とにかく、いざという時にはすぐに令呪を使う事。勿論バーサーカーのマスターへの言い訳も、後で坊やが責任を持って必ずする事。もっとも……」
「何だよ?」
「令呪を使った時は、坊やを軽蔑するけどね」
「――――ッ!?」
「正直、マスターの我が侭に振り回されるのは、もうウンザリなのよ」
「……」
「……冗談よ。まあ、勝手になさい」

 ――――坊やがマスターなんだから。

 そう言い捨てると、キャスターは士郎の前から姿を消した。
 残された士郎は、見捨てられた気分になった。
 自分に非がある事を自覚しているだけに、士郎は罪悪感を感じている。
 その為少しの間佇んでいた士郎だったが、やがて彼は走り出した。
 気を取り直した訳ではない。
 しかし、それでも士郎はバス停を目指し走る。
 困っている人がいるのだから。
 助けると約束したのだから。
 約束は守らなければならないのだから。
 既にイリヤとの約束を破っている事に、士郎は気付いていない。

 こうして、矛盾は繰り返される。
 だがこの矛盾した軽挙な行動が、とある女性と深く関わり合う事に繋がるのであった。





 一人の女が、夜の散歩を楽しんでいた。
 ビルからビルへと空中を渡り歩く、宙の散歩。
 夜の喧騒を切り裂くようにビルの谷間を跳び回る行動が散歩とは中々に言い難いが、彼女にとっては立派な散歩だった。

 ――――やはり、夜の散歩は良い。

 そんな事をライダーは思う。
 彼女にとっては、久々の夜の散歩である。
 魔力の充実した身体で気ままに夜の街を跳び回るのは、実に気分が良かった。
 もっとも、彼女の本来の目的は散歩ではない。
 敵の探索である。
 イリヤ達と別れた翌日にあたる今、最大の敵であるギルガメッシュを倒す前に他のサーヴァントを全て片付けておくべく、彼女は敵の探索をしているのだ。
 無論そうしているのは彼女だけでなく、凛もセイバーを伴い夜の街で敵を探索している。
 桜だけが一人、遠坂の家に残っていた。
 彼女はその膨大な魔力を持て余し調子が悪く、それでも一緒に行くと言ってきかなかったが三人がかりで何とか説き伏せ、現在は、凛、セイバー、ライダーの三人で敵の探索を行っている。
 最初はライダーも凛達と一緒に回っていたのだが、どうにもライダーとセイバーの間の空気が悪かった。
 ライダーの謝罪は受け入れたものの、昨夜の事をセイバーはまだ許した訳ではないのだろう。
 ついでと言っては何だが、この機会に夜の散歩を楽しむ事にしたライダーは、逃げ足には自身があると一人別行動を取ったのである。

 ――――士郎に殺されて、ざまあみろ。

 たかだかそんな感じの事を言っただけで、仲間である自分に斬り掛かって来るとは。
 そう来る事は予想していたが、それだけに心の狭い女だとライダーは思う。
 あれくらいの嫌味を流せず、何が女だ。
 一人前の女性なら、あの程度の嫌味は流してしかるべきだろう。
 あの程度とはとても言えない内容だったが、ライダーにとってはあくまであの程度。
 士郎と結ばれた癖に士郎と別れたセイバーが、ライダーは許せなかった。
 桜の手前もあるので顔には出さないようにしているが――――口には出したが――――桜と士郎が結ばれた世界で自分がどれだけ我慢をしていたのか、百の言葉を費やしセイバーに説明したかった。

 だが、その我慢の日々ももう終わりだ。
 サクラは言ってくれたのだ。
 共に士郎に愛されようと。
 自分の忠誠を、サクラが最高の形で受け入れてくれたのだ。
 自分の忠誠をサクラが疑っていたなどとは微塵も考えていないが、士郎に関しては全くの別の話。
 士郎に関してだけは、サクラは全くの別人となる。
 私が士郎に近付く事すら許さない、といった事は無論ない。
 二人で出掛ける事くらいは寧ろ薦めてくるのだが、明確な線引きがサクラにはあった。
 士郎との幸せな日々の生活の中で、自分に対して常に不安を持っていたから。
 普段は表に浮かぶ事はないが、サクラの心の中には確かにそれはあったのだ。
 私がサクラを裏切る事などあり得ず、また士郎がサクラを裏切る事もあり得ないのだが、それでも不安に思ってしまう気持ちは、同じ女として理解出来る。
 それが、堪らなく歯がゆかった。
 だが、そんな日々ももう終わりだ。
 これでようやく自分も、士郎に抱かれる事が出来る。
 引き込んだ夢の中では何度も士郎に抱かれてきたが、とうとうそれが現実の物となるのだ。
 サクラが私を不安に思う事なく、二人で共に士郎に愛される。
 最高だ。
 この聖杯戦争さえ終わらせてしまえば、サクラは勿論、こんな自分ですら幸せになれる。
 それが、堪らなく嬉しい。
 その為にも早く戦争を終わらせ、サクラと一緒に士郎を迎えに行かなければ。

 ライダーは、歓喜に震えながら宙を舞う。
 彼女は今、間違いなく幸せだった。

 その時ライダーは、ふと我に返る。
 桜と自分が幸せになるには桜が士郎と結ばれる必要があるのだが、今の状態でそれは可能なのだろうか。
 桜は士郎を聖杯戦争に巻き込む事を嫌がっているが、実のところライダーは違う考えを持っている。
 寧ろ士郎は巻き込むべきだと。
 桜に逆らうつもりは毛頭ないが、桜が士郎と結ばれる為には、共に聖杯戦争に参戦する必要があるのではないかと考えているのだ。
 そもそも皆の中では、桜が一番士郎と親しい。
 むしろ、唯一と言って良い。
 なのに実際桜が士郎と結ばれなかった世界があるのだから、それは桜がその有利を生かせなかったという事だ。
 その事を桜は理解しているのだろうか。
 今の士郎は、謂わば早いもの勝ちの状態であるというのに。
 士郎は浮気をする性質ではなく、一度愛を定めれば彼は必ずや桜を、愛する女を幸せにする。
 それは、既に証明された事実である。
 ならば、後はその事実を繰り返すだけだ。
 だが桜には逆らえず、また逆らう気もない身としては、反対意見はそうそうに言い難い。
 何より、士郎を巻き込むまいと固く誓っている桜には、言っても聞いてはくれないだろう。
 実際、臓硯の事では己の全てを失う覚悟であれ程反対したというのに、結局は無駄だった。
 桜に絶対の忠誠を誓っている身としては、いくら桜を思っての事でも、二度も逆らうような真似をするのは、結果が無意味と分かっているだけに精神的に辛いのだ。
 成る程、幸せになるとはさても難しい。
 既にライダーは、敵のサーヴァントを探してなどいなかった。

 その時、一人の女性が目に入った。
 見覚えがあるような無いような、そんな女性だ。
 さて、何処で会ったのやら……まあ、良い。
 思い出せないという事は、大した相手ではないのだろう。
 にしては中々に好みの女性であり、ライダーは久々に血が吸いたくなった。
 魔力は充実しているので補給の意味では必要ないが、これは純粋に快楽を求める為である。
 やはり、ライダーは浮かれているのだろう。

 桜にさえバレなければ、全て良し。

 彼女は、自分に都合の良いように考えている。
 桜が卒業したあと少しずつ疎遠となり、士郎と結婚して五年も経った頃には音信も途絶え、十年経った頃には完全に付き合いの途絶えた相手の事など、幸せな時を何十年も重ねたライダーは、とうに忘れていた。
 名前を言われて初めて、ああ、と思い出す事も出来るだろう相手に過ぎなかった。
 まあ、恐怖を与える事が目的ではない。
 多少は楽しむつもりだが、なるべくは優しく怯えさせずに血を吸って上げよう。
 そんな事を考えながら、ライダーは静かに獲物と定めた彼女の下へと跳んだ。



続く
2008/6/13
By いんちょ


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