大団円を目指して


第23話 「姉妹」



 一体なにがどうなっているのやら。
 これが、今の私の正直な気持ちである。
 目の前の光景に、呆れているのだ。
 つい先程、唐突に聞こえた叫び声。
 あれは正に絶叫だった。
 そして、坊やのものだった。
 だからこそここまで、坊やの下まで文字通り跳んで来たというのに。
 その挙句が、この目の前の理解出来ない光景である。

 ここは坊やの部屋で、この国の寝具である布団の上に三人がいた。
 部屋の中には陽の光が存分に差し込んでおり、三人の姿を照らしている。
 皆、全裸だった。
 一人は、バーサーカーのマスター。
 繰り返すが、彼女は全裸だ。
 だがまあ、これは良い。
 予想していた事だ。
 もう一人は、掛け布団で胸元を覆っている大河。
 おそらくは、彼女も全裸。
 まあ、これも良い。
 予想出来ていた事だ。

 しかし最後の一人である坊やは、何故額を畳に擦り付けているのだろう。
 くどいようだが、やはり全裸で。
 これが噂に聞く土下座という奴だろうが、一体なにがどうなっているのやら。
 想像出来ない、というよりしたくない私は、坊やに対し素直に問うた。

「……パンツくらい、はきなさいよ」

 しまった、質問になっていなかった。
 あるいは、私も混乱しているのかもしれない。
 少なくとも、動揺はしているのだろう。
 間違いない。
 本来の私であれば、せめて下着と言っていた筈だ。
 ともあれ私は、

「……で、説明して貰えるのかしら?」

 ぱんつはいてない坊やに、事情の説明を要求した。
 まともな答えが返ってくる事を、心から祈ろう。
 まあ、祈りに何の意味もない事は、いやという程理解してはいるのだが。
 本当に、あれから何があったというのか。
 私は、昨夜大河が全裸のバーサーカーのマスターに連れ去られてからの事を思い返した。





 大河が全裸のバーサーカーのマスターに連れ去られてから、随分と時間が経った。
 いい加減この場から離れたいと、私は考えている。
 そう考えるのは、誰しも当然だろう。
 自分を苦も無く殺せる敵が、すぐ傍にいるのだから。
 だが、動けなかった。
 バーサーカーのマスターは、私が逃げ出そうとしたり少しでも何かしようとしたら殺せと言った。
 逃げるつもりはない。
 だが「何かしようとしたら」の部分が、非常に気に掛かる。
 ここから少し離れただけで、あるいは離れようとしただけで殺されるのではないか。
 そう思うと、どうしてもここから動けない。
 事実、存在するだけで生じる威圧感をそこらに撒き散らすでなく私にだけ振り向けているのではないかと思えるコレは、少し動くだけでギョロリと視線で牽制してくるのだ。
 コレは本当に正気を失っている筈のバーサーカーなのだろうか。
 敵対行動さえ起こさなければ大丈夫とは思うのだが、掛かっているのは自分の命だ。
 大した見返りのない賭けをする気には、とてもなれない。
 だから私は、飽きもせず未だバーサーカーの傍にいる。
 精神的重圧に耐えながら。

 それにしても、大河の事が気に掛かる。
 彼女は無事なのだろうか。
 坊やがまだ生きている事は、パスを通して把握している。
 しかし、大河の事は分からない。
 あの様子なら、殺される事はないと思うのだが……

 気に掛かるといえば、この双剣もそうだ。
 庭に落ちていた、二つの剣。
 私は剣に詳しくないのでよくは分からないのだが、控えめに見ても只の剣とは思えない。
 もしや、これは宝具ではないだろうか。
 そしてもしも宝具としたなら、一体誰の物なのか。
 バーサーカーではないだろう。
 落としたままにしておく筈がないし、私が手にする事を許すとも思えない。サイズだって違いすぎる。
 また坊やを襲った敵のサーヴァントも槍を使っていたという話なので、その武器という可能性も少ないだろう。
 では、バーサーカーのマスターか。
 あり得ない事ではない。
 見た目からすればアンバランスだし、私の手に未だある事を考えれば本来ならまずあり得ない話だが、少なくとも次に予想した事よりはよほど可能性が高いように思える。
 それだけ、この予想は馬鹿馬鹿しい話なのだ。

 これが、坊やの投影したモノと考えるのは。

 一番可能性が高いのは、敵のマスターの武器であったという事。
 ならば、素直にそう考えれば良い。
 だというのに、どうしても先程の考えが頭から離れない。
 あり得ない話だというのに。
 いかに非常識な坊やの投影とて、あり得ない事なのだ。
 何故なら、魔術はあくまで等価交換。
 宝具と吊り合う物など、この時代にそうそう存在する訳がない。
 そもそも、何をどう差し出せば貴い幻想たる宝具に吊り合うというのか。
 少なくとも、そんな物を坊やが差し出せる筈がない。
 なのに、どうして私はその考えを捨て切れないのか……

 そんな風にやきもきしていたら、突然坊やから大量の魔力が流れ込んで来た。
 枯渇していた私の魔力が、暴力的なまでの勢いでみるみる内に補充されていく。
 これこそ、本気であり得ない。
 つまりは、間違いなく坊やに何かが起こったのだ。
 思わず私は、坊やの元へ走り出す。
 だが、すぐに足は止まった。
 バーサーカーが、牽制するように唸り声を上げたからである。

 ――――ごめん、坊や。

 たったそれだけの事で、私は動きを止められた。
 ……でも、仕方ないわよね。
 私の叶う相手じゃないし……そうよ、仕方ないのよ……
 ……ふん、誰を相手に言い訳しているのかしらね、私は。
 仕方ないに決まってるじゃない、相手はあのヘラクレスなんだから。
 まあ、良いわ。
 ならば私は何をすべきか、そんな事でも考えましょう。
 私はこの場を動けない。
 そんな今の私に出来る事など、思考の他には何もない。
 幸い、考えるべき事は多々あった。
 例えば、坊やの常識外れな投影魔術の事。
 あるいは、バーサーカーのマスターの事。
 この宝具の事だってそうだし、何よりこれからの自分の行動の指針。
 既に魔力は完全に補充されていた。
 もはや、坊やの下で潜伏する意味はないのだ。
 無論、次のマスターが見付かるまでは、坊やから離れるつもりはない。
 上手く行けば、バーサーカーを味方に出来るかもしれないのだから。
 もっとも呆気なく殺される可能性も十分あり得るので、その辺りは考えどころである。
 さて、と。
 よいしょと縁側に座り込んだ私は、バーサーカーを視界に入れないようにしながら、思考の海へと沈み込んだ。





 気付けばすっかり夜は明けており、庭にはさんさんと太陽の光が降り注いでいる。
 すっかり考え込んでしまったようだが、さて、これからどうするか。
 取り敢えず私は、使い魔を作る事にした。
 魔力の充実した今の私なら、容易い事である。
 ところで、この時代の街中にいても違和感のない使い魔は何だろうか……
 そんな事を考えていたら、唐突に絶叫が上がった。
 紛れもなく、坊やのものだった。

 ――――坊やッ!

 半ば反射的に、私は空間を転移し坊やの元へと跳んだ。
 この時の私は、バーサーカーの事が完全に頭から飛んでいた。
 ……だというのに、こんなにも心配してあげたというのに、目の前には理解出来ない、というかしたくもない光景が広がっていたのである。
 私が心底呆れるのも、当然といえよう。
 というか、怒り出さなかった自分を褒めてあげたい。

 ……ふざけんな、畜生。





 あれからドタバタとなんやかんやで色々あって、所は変わり衛宮家の居間である。
 四人は、テーブルの前に座っている。
 服は皆、着ている。
 テーブルの上には何もない。
 何時もの士郎ならお茶くらいは淹れている筈なのだが、今の彼にそんな余裕はなかった。
 士郎の両隣はきっちりイリヤと大河が固めており、その対面にキャスターが一人座っている。
 全員が無言のままであり、居間の雰囲気は最悪に近い。
 そんな雰囲気の中、最初に口火を切ったのはキャスターだった。

「で、そろそろ説明して欲しいんだけど」
「……」
「……」
「……」

 しかし、三人は無言のままだった。
 キャスターは一つ溜め息を吐くと、己が一番御しやすいと考える者に話し掛けた。

「坊や」
「……ああ」
「説明なさい」
「……」
「黙っていたら話が進まないでしょう。いいから説明……」
「うるさい」

 つらつらと文句を並べようとしたキャスターだったが、それをイリヤが端的な言葉で遮る。

「キャスター如きがシロウに偉そうな事言わないで」

 イリヤは認めない。

「そもそも何でコイツがシロウのサーヴァントなのよ」

 彼女の事を、イリヤは決して認めない。

「昨日もそんな事言ってたけど、こんな奴がシロウのサーヴァントだなんて認めないわ! そうよ、わたしは絶対に……!」
「待ってくれ!!」

 溢れ出る感情そのままに言葉を連ねるイリヤ。
 それを止める士郎。
 彼は追い詰められたような表情をしていた。
 そして覚悟を決めたのか、彼は座ったまま後ずさり、ゆっくりと深々と頭を畳に付ける。

「ごめん、イリヤ」
「……」
「藤ねえも、ごめん」
「……」
「俺は二人に、責任は取れない」

 士郎は土下座した。
 起き抜けに言われた『責任を取れ』という言葉。
 本来なら、士郎にとってもそれは当然の事だった。
 自分の意志でなく、またその記憶もないとはいえ、それだけの事をしたのだから。
 だが、出来ない。
 責任を取るべき相手が、士郎には既にいる。
 だから彼は、先程と同じように真摯に謝る事しか出来なかった。

「……何でよ?」
「……」
「ねえ、何でよ? 何でそんな事言うの?」
「……すまん」
「謝って欲しい訳じゃないの。説明して欲しいの。ねえ、何で……」
「まあまあ、イリヤちゃん。そんな責めるように言わなくても……」
「何よ! タイガはシロウに捨てられても良いって言うの!?」
「捨てられるって、そんな……いや、ほら、士郎にはさ、その……キャスターさんが、もういるしね。ハハ」
「キャスター? 何でここでコイツの名前が……って、まさか、シロウの相手はキャスターだって言うのッ!!?」

 驚きの声をあげるイリヤ。
 その声を聞いた士郎が、両手を畳に付けたまま静かに顔を上げる。
 そして二人の目を交互に見詰めてから、彼はキッパリと言い切った。

「そうだ。俺はキャスターに責任を取らなければならない」

 余りの驚きに、イリヤは声を失った。
 少しだけ悲しい顔をしているも驚いていない大河は、士郎がそう言うのをおそらくは解っていたのだろう。
 沈黙の時間が再び訪れ、皆の視線が自然にキャスターへと集まる。
 それらの視線を受けた彼女は、

「願い下げよ」

 何の力みもなく、そう言い捨てた。

 大方の話は理解した。
 坊やが何故助かったのかという肝心の事はまだ解らないが、要するに二人は自分を抱いた坊やに責任を取れと迫り、坊やは私がいるから責任は取れないと断ったのだろう。
 で、それを申し訳ないと謝っていた訳だ。
 やれやれである。
 馬鹿馬鹿しさについ素で返してしまったが、いつ私が責任を取って欲しいなどと言ったのか。
 まあ、サーヴァントに過ぎない自分相手に、結婚などと馬鹿げた事を言い出す男だ。

 実に喜劇である。

 悪気はないのだろうが、これも一つの傲慢だろう。
 坊やは、私の事を愛している訳ではないのだから。
 必要に迫られたから、抱かれた。
 自分にとっては、ただそれだけの話。
 なのに坊やは、抱いたから責任を取るなどと言っている。
 私の意志を、全く無視して。
 しかも、好きでも何でもない女相手に。
 これが傲慢でなくて、一体何だというのだろう。

 全く、男らしい。
 全く男らしい、傲慢さだ。

 無論、坊やなりの誠意の現れである事は理解している。
 だが誠意があれば何をしても良いという訳ではないし、検討外れの誠意など迷惑なだけだ。
 何より、こんな事でバーサーカーのマスターを敵に回すなど、実に割りが合わない話ではないか。
 ならばここは一つ、彼女を立てるように坊やを諭せば、味方に付けられるかもしれない。
 少なくとも、印象は悪くならないだろう。
 坊やを愛している大河には申し訳ないが、勝ち抜く為には仕方ない事だ。
 その為に、私は今ここにいるのだから。
 さて、ではこの強張った顔をした坊やを、どう言いくるめるべきか……

「ねえ、坊や」
「……ああ」
「私には願いがある。それは言ったわよね」
「ああ、聞いた」
「その為に、私は今ここにいるの」
「……」
「だから坊やの気持ちはありがたいけど、責任なんて言葉、軽々しく使っては駄目」
「……」
「勘違いしないでね、坊や。気持ちは嬉しいのよ、本当に。けど――――」

 ここで、ちょっと溜める。

「――――正直、困るのよ」

 坊やの顔が歪んだ。
 知った事じゃないけど。

「それより、二人を抱いたのでしょう?」
「……ああ」
「なら、二人を大切にしてあげなさい。私の事は良いから」
「……」
「大河は勿論、そこのお嬢さんだって坊やの事を真剣に想っているわ。私には分かるの」
「……」
「だってそこのお嬢さんは、坊やの命の恩人なんだもの」

 ――――どうやって助けたのかは、未だに解らないんだけどね。

 内心とは裏腹に、キャスターは優しく士郎を諭した。
 無論イリヤを味方に付ける為である。
 士郎を暖かな目で見守る振りをしながら、キャスターはちらりとイリヤの様子を見やる。
 途端、心臓がドクンと鳴った。
 彼女が、無機質な冷めた目を向けていたからである。
 そしてイリヤは、

「何様よ、貴女」

 キャスターの言葉を切って捨てた。
 フードに隠されたキャスターの顔が、醜く歪む。
 敵味方以前に、自分は全く相手にされていない。
 それを理解したからだ。
 そんなキャスターの反応を欠片も気にせず、イリヤは士郎に言い聞かせるよう話し始めた。

「ねえ、シロウ」
「……ああ」
「シロウはコイツを……あ、ごめん。コイツなんて言うと、シロウ怒るよね。うん、言い直す。シロウはキャスターを信じているの?」
「そうだ」
「何故?」
「え?」
「だから、シロウは何故キャスターを信じられるの?」
「何故って……」

 士郎にとっては、予想もしていないイリヤの言葉だった。
 その予想通りの反応に気を良くしたイリヤは、優しい目のまま言葉を続ける。

「キャスターが人間じゃない事は、知ってるよね?」
「ああ、知ってる。だけど、そんな事は関係……」
「どのくらい経つの?」
「え?」
「キャスターがシロウのサーヴァントになってから、どのくらい経つの?」
「それは……」
「二日だよ」

 言葉に詰まる士郎だが、そこを大河が横から答えた。

「ありがと、タイガ。ふ〜ん、そっか、二日か」
「……」
「たった二日しか、経っていないんだ」
「何が、言いたいんだ?」

 士郎が問うが、イリヤは構わず言葉を続ける。

「ねえ、シロウ」
「ああ」
「キャスターが、何かしたの?」
「何かって、何だよ?」
「だから、信じるに足る事を、キャスターは何かしたの?」
「いや、それは……」
「たった二日でしょ? その間、キャスターは何をシロウにしてあげたの?」

 口ごもる士郎に、イリヤは言葉を畳み掛ける。

「シロウはキャスターを信じているって言ったけど、会って二日の相手を何で信じられるの? サーヴァントだろうと人間だろうと関係ないわ。それだけの事をキャスターがしたのか訊きたいの。ねえ、シロウ。どうして貴方は、会ったばかりのキャスターを信じられたの?」

 優しい笑みを浮かべたまま、イリヤは士郎を追い詰める。
 そんなイリヤに、士郎は何も言えなくなった。
 彼にとっては、信じる云々ではなかったから。
 ただ、助けたかった。
 それだけの話だったから。

「ごめんね、シロウ。別に意地悪してるんじゃないの」
「……」
「どうせ深い意味もなく信じたんだよね」
「え?」
「シロウにとっては、信じる方が楽だから」
「な、何を……」
「疑うより裏切られる方が、シロウにとっては楽だもんね」

 士郎の心を抉るような、イリヤの言葉であった。
 何かを言わなければならない。
 そんな焦燥感に駆られる士郎だが、口から出る言葉は呻き声のような意味のないものだけだった。
 そんな絶句した士郎を、暖かな目で見守るイリヤ。
 彼女にとっては、キャスターは裏切りの魔女に過ぎない。
 つまりは、いずれ必ず士郎を裏切る。
 イリヤにとって、それは確定した事実である。
 そんな奴を、士郎のサーヴァントにしておく訳にはいかなかった。
 何より、士郎を守るのは自分でなければならない。
 これは、絶対だ。
 この役目だけは、他の誰にも譲れない。
 桜達を出し抜いてまで士郎の傍にいる事を選んだ今、この事だけは譲れなかった。

「凄いなあ、イリヤちゃんは」

 その時、声がした。
 いかにも感心したような声音だった。
 見れば、大河が笑っている。

「でさあ、士郎」
「…………何だよ」
「結局さ、士郎はキャスターさんの事を信じるの?」
「ちょっと邪魔しないでよ、タイガ!!」

 そんな事を言われては、自分の目論見が狂ってしまう。
 故に焦ったイリヤだが、そんな彼女の焦りを分かっているのかいないのか、大河はのほほんとしたままだった。

「ん、邪魔って何の事?」
「いいから黙ってて! そんな事言ったら……!」
「なあ、イリヤ」
「……何、シロウ?」
「俺がキャスターを信じる事に、何か理由が必要なのか?」

 イリヤの目論見は、脆くも崩れ去った。
 もはや理屈ではなくなり、この事で士郎の心を揺さぶる事は出来ない。
 それをイリヤは理解した。

「クッ……何で邪魔するのよ、タイガの馬鹿ッ!」
「いやあ、そうなんだけどね」
「だけど、何よ?」
「もう、今更だし」
「今更って何よ!? 分かってるの!? このままじゃシロウが……!」
「うん、そうだね」
「そうだねって……」
「実際士郎、昨日殺され掛けたし」
「……」
「だからね」

 大河はそう言うと、座ったままずりずりと士郎の隣まで後ずさる。
 そして姿勢を正し真剣な顔をすると、先程の士郎と同じように両手を畳に付け、

「士郎の事、宜しくお願いします」

 深々と頭を下げた。
 その姉の仕草に、士郎は心底狼狽する。
 道場での礼と、似て非なるその振る舞い。
 そんな姉の姿など、見たくはなかった。
 自覚こそないが、士郎は大河が好きだ。
 普段はお茶らけてばかりで、いつも士郎を困らせる大河。
 だがそんな姉が、士郎は家族として好きだった。
 なのにその好きな相手が、自分のために土下座する。
 士郎には耐えられなかった。

「止めてくれ藤ねえッ!」
「駄目よ。ほら、士郎も一緒に頭を下げなさい」
「分かったから! 分かったからそんな事止めてくれよッ!!」
「駄目。わたしじゃ士郎を守れないから」
「良い! 別に良い! 藤ねえは今まで俺を守ってくれただろッ! だから、これからは俺が……!」
「それじゃあ士郎がまた死んじゃう。だからイリヤちゃんにお願いするの。士郎からもキチンとお願いしなさい」
「だからそれはッ! 守るのは俺の役目……ッ!!」
「無理だよ。昨日の事、もう忘れたの?」
「――――ッ!?」
「自分の事も守れないのに、キャスターさんまで守れる訳ないじゃない。ほら、良いから……」
「頭を上げなさい、タイガ」

 決して頭を上げようとしない大河と、それを止めさせようとする士郎。
 その二人の争うようなやり取りを、イリヤが静かに柔らかに止めた。

「そんな事する必要ないわ」
「でも……」
「大丈夫よ。シロウはわたしが守る。その為に、わたしは今ここにいるのだから」
「……ありがとう」
「お礼なんて良いわよ」
「……うん」
「でも、コイツはいらない」
「……」
「キャスターを捨てるよう、タイガからもシロウに言いなさい。そうすれば、何の心配もいらなくなるから」
「でも……」
「でも、何よ」
「もう味方するって、決めちゃったし」
「だから何よ。今からだって遅くないじゃない」
「ハハ、いやあ〜」

 大河は畳に付けていた頭を上げると、苦笑いしながらポリポリと頬を掻いた。
 その大河の態度に、イリヤは嫌な予感がした。
 何となくだが、ここまでのシリアスな雰囲気が台無しになる気がしたのである。

「……いやあじゃないわよ。分かってるの? シロウはもう、ランサー達に目を付けられたのよ? それは、その足りない頭でも理解してるわよね? この家まではまだ分かっていないだろうけど、つまりは次に会った時が間違いなくシロウの最後になるの。コイツじゃシロウは守れないもの。それは、そのシワの少ない脳みそでも理解出来るわよね? そう、出来たの。やれば出来るじゃない。なら、この役立たずを見捨ててこの家から追い出すよう、シロウを説得なさい。わたしの言ってる事、分かる? その、ツルンツルンのおみそでも分かるようにわざわざ分かり易く言ってあげたんだから、いくらなんでも理解出来たわよね?」
「あれ? わたし、今スッゴイ馬鹿にされてる?」
「事実を言ったまでよ。それより早くシロウを説得しなさい。シロウを大事に思うならね」
「いあや、もうしたって言うか、今更って言うか……」
「さっきから何なのよ、今更って?」
「うん。見捨てろとか追い出せとか、実はもう散々言ってたりするんだよね、これが」
「嘘、ホントに?」
「うん、ホントに。わたしが守れば良い。なんて、甘い事考えていたんだけど」
「それが無理な事は嫌でも理解したでしょう? だったら……」
「でも駄目だよ、イリヤちゃん。もう助けるって決めたし、何てったってわたし達は姉妹なんだから」
「ハァ、姉妹? 何よそれ?」
「この場合はキャスターさんが一番上のお姉ちゃんで、イリヤちゃんが真ん中のお姉ちゃんになるのかな。で、わたしが一番下の妹」
「何でよッ!? タイガはまだしも、こんな奴がわたしの姉だなんて冗談じゃないわ! そもそも、何でいきなり姉妹なのよッ!!?」
「うん、
竿姉妹
「……はい?」
「士郎とエッチしたから、わたし達み〜んな竿姉妹……なんちって」

 ぴゅう〜っと。
 寒風が吹きすさんだ気がした。
 家の中だが。

「あ、あ、あ、貴女ね……」
「あれ、ハズした?」
「ふ、藤ねえ……」
「それとも分かりにくかったかな? つまりね、この場合竿っていうのは士郎のチン」
「ちょっと待て藤ねえッ! それ以上言うなッ!!」
「い、いくらなんでも、はしたないわよ、タイガ!」
「え〜」
「何で不満そうなんだよッ! っていうか、どうしてそう下品なんだよ、藤ねえはッ!!」
「いや〜ん、士郎のいけずぅ」

 大河の下品な発言を皮切りに、三人はぎゃあぎゃあと喚き始めた。
 そんな様子を傍から眺めているキャスター。
 というか、ついていけないキャスター。
 彼女は、張り詰めていた筈の空気が問答無用で霧散している事に気付く。
 というか、気付かない方がおかしい。
 もう、何が何やらである。

「凄いわね、ホントに……これは、間違いなく一つの才能よ、大河」

 キャスターは、ほとほと感心した。





「全く……犬や猫じゃあるまいし、何でそんな簡単にサーヴァントを拾うのよ」

 いかにも頭が痛いという感じで、イリヤが述べた。
 ひとしきり騒いだ後、士郎達がキャスターをサーヴァントとした経緯をイリヤに説明したのだが、その感想がこれである。

「拾われた身としては複雑だけど、まあ概ね同意するわ」

 キャスターの気安い発言に、イリヤはジロリと刺すような視線を向けた。
 だが、口に出しては何も言わなかった。
 その反応に、内心安堵の息を吐くキャスター。
 士郎と大河さえいればいきなり殺される事はないという考えから、何処までの振る舞いが許されるかを試しているのである。
 とにかく自分をアピールしていかなければ、味方以前に話にならない。
 今の自分が全く相手にされていない事は、嫌というほど理解させられたのだから。

「それにしても、何でそんなにイリヤちゃんはキャスターさんを嫌うかなあ」
「決まってるじゃない。コイツがシロウを裏切るからよ」
「あら、そんな事は……」
「うるさい」
「だからあ! 何でそこまで言うかなあ」
「タイガもシロウも知らないのよ。コイツが何をした(・・)のかを」
「あらあら、どうやらお嬢さんは私の真名を知っているようね」
「……ええ。貴女がこれから、何をする(・・)のかもね」
「そう。では参考までに訊かせて貰えるかしら。これから私が何をするのか」
「シロウが、決して許さない事をよ。勝つ為なら、なりふり構わないものね、貴女は」
「それは誰でも同じでしょうに。それより、もう少し具体的に言って貰えると助かるのだけど」
「そう。なら、別に貴女を助ける気はないけど、シロウの為に言ってあげるわ」

 そしてイリヤは、糾弾した。

「この女は、街中の人間から命を吸い上げるのよ」
「……え?」
「えっと……?」
「コイツはね、自分が勝つ為に、街中の人間から魂を、命そのものを吸い取って、自分の魔力にするつもりなの」

 発言の内容を呑み込んだ士郎と大河の顔色が、瞬時に変わった。

「待て! それって……!」
「当然、吸い取られた人間は死ぬわ。しかも千人単位でね」
「待って!! ちょっと待ってよ。私そんな事するつもりは――――ッ!!」
「出来ないとは言わせないわよ」

 慌てるキャスターに対し、イリヤが容赦なく言葉を叩き付ける。
 苦々しげな顔をしたキャスターは少しの間黙り込んだが、やがて観念したように呟いた。

「……出来ない事は、ないわ」

 その言葉に、士郎の真っ青な顔色が更に白くなる。
 そんな惨劇を起こす訳にはいかない。
 それでは、何の為に聖杯戦争に参加したのか分からなくなる。
 あの地獄を繰り返す訳には、絶対に――――

「でも、しない」
「……え?」
「そんな禁術、使わないわよ。使った事もないしね」

 いつの間にか、彼女は顔を隠していたフードを取り去っている。

「もっともマスターである坊やが命じるなら、せざるを得ないけど」
「俺はそんな事は言わない!」
「なら、大丈夫よ。安心なさい、坊や。私は決してそんな魔術は使わないから」

 露わになった、彼女の顔。
 彼女は、笑っていた。
 清楚な笑顔だった。

「……なあ、イリヤ。俺には、キャスターが嘘を吐いているようには見えないんだが」

 士郎の疑問は当然である。
 事実、キャスターに使う気はないからだ。
 その士郎の反応に、イリヤは己の不利を悟る。
 歯がゆかった。
 ちょっとだけ大袈裟にはしているが本当の事を言っているのに、何故士郎はこんな女の言う事を信じるのか。
 歯がゆくて仕方がなかった。

「キャスター。俺と約束してくれるか?」
「そう言い出す時点で、私を信用してないって事なんだけど」
「う……」
「まあ、良いわ。約束してあげる。そんな魔術、私は絶対に使わない」
「いい加減に理解しなさい、キャスター。わたしは信用出来ないって言ってるの」
「しないわ。令呪を使っても良い」

 キャスターにとって、これらの発言は嘘ではなかった。
 確かにイリヤの言った魔術を使う事は、行使する場所こそ選ぶが可能である。
 禁忌としてきた魔術。
 市民からの搾取。
 街中に魔力の糸を張り巡らせ、人柱(いけにえ)を用いる地脈の操作。
 それは生前、彼女が”魔女”と呼ばれる原因となったものだ。
 だが、それを使った事は一度もない。
 一度もない筈だったし、決して禁を破る気はなかった。
 そこまでして勝ちたいとは思っておらず、何より――――



 ――――勝たせたい(・・・・・)とも思わなかった。



「……ハァ。もう良いわよ」
「分かってくれたのか、イリヤ」
「二人を説得出来ない事が分かったの、全く……シロウはまだしも、タイガまでキャスターを庇うだなんて思わなかったわよ」
「いやあ、何しろわたし達は竿……」
「ン、ウンッ! ……ところで、令呪ってのはそんな事も出来るのか?」
「出来るわ。令呪とは、サーヴァントに対する絶対命令権。令呪で命令された事にサーヴァントは逆らえないもの。説明したじゃない」
「いや、そんな説明されて……」
「したわよ。何を言っているのかしらね、坊やは」
「……あれ?」
「ではイリヤちゃん。宴もたけなわですが、ここらでイッパツ自己紹介など、どーでしょうか?」
「何よ、いきなり?」
「だってイリヤちゃん。昨日から自分の事を士郎のお姉さんって言ってたじゃない。わたしもう、気になっちゃって気になっちゃって」
「それもそうね。じゃあ、自己紹介するわ」

 イリヤは静かに立ち上がると、行儀良くスカートの裾を持ち上げて、はなはだこの場に不釣り合いなお辞儀をする。

「シロウには昨日も会ったけど、改めるならはじめまして、になるのかな?」

 こんな自己紹介をする事自体イリヤは悲しかったが、それこそ今更だ。

「私はイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。バーサーカーのマスターであり――――」

 今から知り合えば良い。
 そして家族となれば良い。
 もう、それだけの話だった。
 気を取り直したイリヤは、最も肝心な事を二人に告げる。

「――――衛宮切嗣の、娘よ」
「親父のッ!?」
「切嗣さんのおッ!!?」

 士郎と大河は、二の句が告げぬ程に驚いた。
 キャスターは一人、「誰よそれ?」とか思っていた。



続く
2008/4/22
By いんちょ


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