大団円を目指して



第9話 「賭け」







何かを、ザクン、と穿つ音。

それは、ランサーの魔槍が言峰の心臓を貫く音だった。


「言峰よォ………オメェ、今のが最後の令呪だって事、忘れてたんじゃねえだろうな?」


そう言い捨てると、ランサーは無造作に槍を引き抜いた。


「―――ぐ」


呻き声と共に、言峰の口元から大量の血液がこぼれる。

しかし、胸元から流れる鮮血に比べれば、それも遙かに微量と言えよう。

胸に穿たれた穴は、紛れもなく致命傷であった。


「ったく、人をいいように使いやがって、たわけが」


言峰の身体が崩れ落ち、流れ出る血が地面を濡らす。

うつ伏せに横たわるその姿を、冷めた視線で見下ろすランサー。

その身体を足で仰向けになるよう蹴り転がすと、彼は言った。


「よう、言い残す事があるなら、聞いてやるぜ」


深い意味は無い。

単なる気まぐれである。

だが、全く意味が無い訳でも無い。

必ず殺すと誓ったこの外道な男が、死の間際どんな言葉を言い残すのか。

外道ではあったが、しかし決して下種では無かったこの男が、死にかけている今どんな表情をしているのか。

興味が無い訳では無かった。


言峰の顔を見たランサーは、軽く驚いた。

何故なら、言峰が笑っていたから。

微かにだが、確かに彼は笑っていた。

その血で濡れた唇が、少しだけ動く。

そして動かなくなり、そのまま二度と動く事は無かった。


呟かれた、最後の言葉。

英霊たる自分で無ければとても聞き取る事は出来なかった、力の無い言葉。





「―――大聖杯を守れ」





彼は、確かにそう言ったのだ。

言峰にも、分かってはいたのだろう。

最後の令呪を使えば、ランサーに殺される事は。

それでも、言峰は大聖杯を守る事を優先した。

ランサーがいなければ、令呪が発動する瞬間セイバーが襲い掛かって来た事は、明白なのだから。


「―――ふん」


彼は、己の目的の為に死んだ。

大聖杯を守る為に、死んだ。

守るべきモノの為に、死す。

そういう男を、ランサーは嫌いでは無かった。


「クソいけ好かねえマスターだったが………」


ランサーが、セイバー達に視線を向ける。


「殺しても殺し足りねえ奴だったが………」


槍をブンと一振りし、血を飛ばす。


「………それでも、死に際の願いって奴は、聞いてやらねえとな」


ランサーは、たった今、己の意思で大聖杯を守る事を決めたのだった。



これらの事が起こった間も、セイバー達は動かなかった。

動けば、始まってしまうから。


未だに乖離剣を構えたままの、執着も慢心も油断も無い、万全なギルガメッシュ。

令呪の縛りが無く、自分の意思で戦う事を決めた、本気のランサー。

更には令呪で強化されたこの二人を相手に、

しかもこの状況で一人の犠牲も無く勝利を得るには、どうすれば良いのか。

その算段が、どうしても付かない。

犠牲を覚悟する事も、出来ない。


故に、セイバー達は動けなかった。



「ところで、お前ギルガメッシュだったな」


ランサーが、場にそぐわぬ気楽な口調でギルガメッシュに話し掛ける。


「見ての通り、お前のマスターはオレが殺した。で、オレと戦るかい?」


事実をありのままに、ニヤリと笑いながらランサーは言った。

その言葉で、初めてギルガメッシュがランサーに視線だけを軽く向けたが、

すぐに興味無さ気にセイバーへと視線を戻す。


「言峰が死のうと、我には関係ない。今は、大聖杯を守るのみよ」

「おいおい、アイツは曲りなりにもマスターだろうが」

「ほう………貴様がそれを言うか、ランサー」

「チッ………マスターがいなけりゃ、消えちまうじゃねえかよ」

「問題ない。この身は十年前、とうに受肉を済ませている。言峰が死んで現界出来なくなるのは、貴様だけだ」

「ああ、そうかよ………気に入らねえな、テメェ」


二人の間に、緊張が走る。

凛は、思わず期待した。

彼等が、ぶつかり合う事を。

仕掛ける隙の無い二人。

その二人が争えば、当然場は動く。

上手くいけば、誰も死なずに済むかもしれない。

だから、強く期待した。

互いに潰し合う事を。


そして、彼女は気付かない。

既に、心が折れている事を。



膨れ上がるランサーの殺気が、チリチリと肌を焦がす。

最初から間合いはランサーのものであり、敏捷さでギルガメッシュがランサーに勝る筈もない。


しかし―――


「止めておけ、ランサー。貴様が仕掛ければ、我も応じざるを得ん」


―――ギルガメッシュは、微塵も動じていなかった。


「この場は、魔力(マナ)が濃い」


視線をセイバーに向けたまま、


「我が宝具を幾度放てるか試すのも、一興だが」


乖離剣の構えを崩さないまま、


「それでは、言峰の最後の願いも空しかろう」


ランサーにとって無視出来ない事実を、淡々と言った。

ギルガメッシュからすれば単なる事実を言ったに過ぎないが、ランサーにしてみればそうでは無い。


「………クソッタレが」


忌々しそうに顔をしかめながら悪態を一つ吐くと、ランサーはセイバー達へ槍を構え直した。





凛の期待は、空しく裏切られたのだった。





結局、何一つ事態は変わらず、最悪なままのこの状況。

全滅するとは言わないが、必ず犠牲は出るであろうこの状況。


―――士郎さえ、いれば。


そんな益体もない事を凛が思った時、ギルガメッシュがついに言った。


「睨み合いにも飽いた。我が全力の一撃を受けて、死ね」


決定的な言葉だった。

その言葉で、凛は悟る。

自分が、今ここで死ぬ事を。


絶望的な殺し合い。

誰が死に、誰が生き残るのか。

もはや、凛には想像すら付かなかった。










「ギルガメッシュ、賭けをしたい」










その流れを変えたのは、セイバーの一言である。


「………賭けだと?」

「そうだ」


訝しむギルガメッシュに構わずセイバーは言葉を続けるが、


「賭けに敗れた時―――」


続く言葉を聞いた時、凛達は思わず自分の耳を疑った。

セイバーには、あり得ない言葉だったから。


あの、セイバーが。

あの潔癖症とも言えるセイバーが。










「――――――私は、貴方に抱かれよう」










顔色一つ変えずに、そんな事を言ったのだから。


凛達は、驚きの余り声も出なかった。

ギルガメッシュも、さすがに驚いている。


「……あれ程、我の物となるのを拒んでいたおまえがな………その言葉に、よもや二言はあるまいな、騎士王よ」

「無論だ」


セイバーは、平然と答えた。

今は、なりふり構っている場合では無い。

どんな無様な唾棄すべき手であろうとも、全員で生き残る事こそが肝要なのだ。


行き詰まった、この現状。

犠牲を出さずに済ませる事など不可能な、今の現状。

ならば、己に執着するギルガメッシュの心の隙に付け込む位しか、手は無いではないか。

他の手段など、セイバーには考え付かなかった。



約束を違えるつもりは、無い。

自分が負けた時は、潔くギルガメッシュに抱かれよう。

そして、自害する。

穢されてまでも、生き延びるつもりは無い。

そう、考えたと思う。


昔の自分なら。


今は違う。

例え穢されようと、私は最後までシロウの剣となる。

今度こそ、最後まで。

シロウに愛される資格は無くなるが、それでも良かった。

シロウには、凛がいる。

桜もいる。


「例え身体が穢されようと、心までは穢されはしない!」


心まで――――魂までも塗り潰されたあの時に比べれば、どんな事にも耐えられよう。

これは、一度桜の影に呑み込まれ、汚染されたが為に至った境地であった。


「何があろうと私は最後の瞬間まで、足掻きもがき(あらが)い続ける!

 そして勝利をこの手に掴み、全てをシロウに捧げよう!!」



―――私の心は、シロウと共に。



セイバーは、(おの)が決意を言い切った。



「ちょ、ちょっとセイ………ッ!?」
「凛は黙っていて欲しい」


動揺激しい凛の言葉を、ピシャリとセイバーが遮った。

セイバーは、凛の心が既に折れている事を察している。


「……良くぞ言った、セイバー。

 おまえ以外の者がその様な大言壮語を吐いていたなら、すぐさま殺すところだが、さて………」


ギルガメッシュが、令呪を使われてから初めて構えを解いた。


「おまえが約定を違えるとも思わんが………」


その視線は、自らの所有物を愛玩するかの様な、舐める物へと変わっていた。


「その賭けとは、何だ?」

「私と、一対一で戦って欲しい」

「………」


ギルガメッシュが、無言で先を促す。


「私が敗れた時はギルガメッシュ、貴方に抱かれよう。

 そうする為にも、私以外の者が今この場から引く事を見逃せ」


逸る心を抑えつつ、ギルガメッシュを真っ直ぐに見据えながらセイバーは言った。


「………その雑種共を、逃がしたいだけか」


感情を感じさせない声でギルガメッシュが言うが、セイバーは何も答えない。

その通りだから。


二人は暫し黙り込み、沈黙の帳が辺りを包んだ。

一時の静寂。

皆の視線がギルガメッシュに集まり、誰もが彼の答えに注目している。

そんな中、それらの視線を物ともせずにギルガメッシュがゆっくりと口を開いた。





「………良かろう」

「では………!」










「少し待て。今すぐ、お前を一人にしてやる」










その言葉の意味を、セイバーは正しく理解した。


「待てギルガメッシュ! それでは約束が………!!?」

「エアは使わん。ならば、おまえだけは耐えられるであろうよ。それで望み通りの一対一だ」


ギルガメッシュの赤い瞳が、セイバーを射抜く。


「そもそも、お前の全てはとうに我の物と決まっている。シロウとやらがナニかは知らんが、賭けなど無用だ」


舐めるかの様な物だった、視線。

今や、そこに人間らしい感情は一切無い。


「………皆、覚悟を決めて欲しい」


事ここに至り、ついにセイバーも心を決める。

もはや、ここまで。

ここからは、力が全てを決める。



賭けは、決裂したのだ。



サーヴァント達が無言のままに、己の主を守るが為、動き始める。

その様子を見ながら、凛は自分を心底情けなく思っていた。

知らぬ間に自分の心が折れていた事を、気付かされたからだ。

セイバーに、見透かされた事によって。

情けない。

全く、情けない。

こんなザマで、士郎の隣に立つ事など出来る訳が無いではないか………


………冗談じゃない。

冗談じゃないわよ!

わたしは、誰だ。

遠坂凛だ!

わたしは、遠坂凛なのだ!!


「セイバー」


凛が、セイバーの名を呼ぶ。

セイバーからの返事は無いが、そんな事は関係無い。

これは、己の決意を示す儀式なのだから。

右手の甲を掲げながら、彼女は断固たる決意で宣言した。


「ギルガメッシュを、必ず倒しなさい」


凛の令呪が、発動した。

折れた心を立て直し、令呪を使う事によって凛は己の覚悟を周りに見せた。

そして彼女は、桜とイリヤに視線を送る。

視線を受けた二人は、強く頷き宣言する。


「ライダー、わたし達を守って」
「バーサーカー、絶対にわたし達を守りなさい」


彼女等も令呪を使い、自分の覚悟を見せた。

勝ち残る為、生き残る為、全員が勇気を振り絞り、英雄王に立ち向かおうとしている。


そんな中、ライダーは一人困っていた。


―――わたし達を守れ、ですか。困った。これではサクラだけを連れて逃げる事が出来ない。


ライダーとしては、戦いが始まる寸前、桜を抱えベルレフォーンにてこの場を離脱するつもりだった。

加えて、そのまま士郎をかっさらい海外へ高飛びする段取りをすら付けていた。

しかし、今の令呪によりそれも出来なくなった。

元々ライダーにとって、桜の命令は令呪に因らずとも絶対である。


―――困りましたが………まあ、良いでしょう。これで、士郎に顔向け出来なくなる事もない。


桜一人を連れて逃げれば、士郎の顔を見るたび何処かしらやましい気持ちを抱える事になる。

桜さえ無事ならそれでも構わなかったが、そうならずに済むに越した事はない。


―――士郎、桜は私が守ってみせる。そして、必ずや貴方の元へ連れて帰りましょう。


無言のままに、ライダーは誓う。

口元には、微かな笑みが浮かんでいた。



皆が皆覚悟を決め、命を賭けて戦う事を決意した。

後戻りは出来ない。

するつもりも無い。

今は、前に進むのみ。

彼女等を縛る物は、もう何も無かった。





最初に動くのは、誰であろうか。

それは、意外にもライダーであった。










「ランサー、取引をしましょう」










「あん………って、オレ!?」





ランサーの返事は、とても間抜けな物だった。











続く


2005/9/28


By いんちょ



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