近々嫁ぐ君へ

 肌を刺す寒さがまだ早朝には居座っている。その分遠くまで見通せる凜とした空気の中で僕は白いもやを口から吐き出しながら、いつもの坂を重い足取りで一歩一歩登っていく。
 冬が去り、春が訪れ始めた頃のことだった。

 あともう少し、もう少しで坂の上に着いてしまう。昨日まではそれが僕には楽しみで仕方なかった。坂の上に着けば向こうからやってくる君と会えるからだ。名前も知らない、どこに住んでいるのか、どこへ行くのかすら知らない。
 坂の上でお互いに会釈して過ぎ去るだけの関係。それでもお互いにはっきりと笑みを浮かべ合うから心がほんのり温かくなるのを感じた。

 だけど突然、僕のその淡い気持ちははじけて空に消えていった。


 昨日の朝。


 いつものように出会って、お互いの存在を認識し、口角を少し上げながら会釈して通り過ぎるはずだったのに。
 寒さに凍える指を温めるために両の手を口元に持ってきていた君の、その左の薬指に光る天然石が、遠くまで見通せる澄んだ空気の中僕の目にまぶしく突き刺さってきた。(つづく)