楊家将<(ようかしょう)>

北方謙三 著
PHP研究所(全2巻)


 「楊家将」と聞いても知っている人はかなり少ないと思いまが、中国には有名な「三国演義」をはじめとして「〜演義」という大衆小説がたくさんあります。その中の一つに明代に書かれた「楊家将演義」というものがあって、中国ではかなり知られているのだそうです。これは「三国演義」と同様、歴史的なものを取り入れて小説に仕立てたもののようです。(直接読んだことはありません)
 時代は10世紀後半、唐が滅んだのち五代十国と呼ばれる乱世は趙匡胤が宋(北宋)王朝を建てたのち、2代目皇帝の趙光義が最後に残った北漢を滅ぼして統一を成し遂げた頃、北方には遼という国が台頭していました。この宋と遼の対立の中で、武門の一族として強力な軍閥である楊家の長である楊業をはじめ、彼の7人の息子たちの活躍を描いています。
 北方謙三さんの作品に共通するのは、英雄たちをあくまでも英雄として描くところです。「勧善懲悪」的に主人公の敵を悪者として描くものが多いですが、敵であっても英雄は英雄として描くところが魅力的です。本書では耶律休哥<(やりつきゅうか)>という「白き狼」と呼ばれる遼の将軍が楊家軍の好敵手として登場しますが、この男がクールなのです。それと、遼で幼帝の後見人として権力を振るう蕭太后という女性が別の意味で英雄として登場します。
 あと、中国ものの付きものは、権力にすがって結局国を亡ぼしてしまう奸臣たちです。本書には数は少ないですが、将軍の息子ですが出来が悪くてどうしようもないやつとか、決死の作戦を失敗にしてしまうような悪役も登場します。

 もうひとつ、北方さんの作品で印象的なのはその躍動感溢れる描写でしょう。特に、戦いを描いたところはピカ一でまるで自分が戦場にいて見ているような気を起こさせてくれます。

2万人の遼の大軍に対し、3千人の歩兵を率いる四郎に半日持ちこたえさせ、到着した楊業が3千人の騎馬隊を率いて散々に打ち負かすシーン

 四郎は、騎馬隊に対する準備を、充分にしているようだ。砂を壁のように積みあげ、その上から逆茂木のように槍を突き出させているという。横に迂回しようとすれば、落とし穴もあるようだ。
 楊業が戦場に到着したのは、ぶつかり合いがはじまってから、四刻(二時間)を過ぎたころだった。
 楊業は、三千騎をそのまま敵の背後から突っこませた。見事な動きだった。三千が三千とは思えず、自分の躰が巨大なものになったような気さえした。ひとりひとりが、指揮をする楊業自身の躰のように思い通りに動くのだ。こういう騎馬隊を指揮していると、快感さえ襲ってくる。
 敵を断ち割り、打ち砕き、いくつもに分断した。敵も、必死で態勢を整え直そうとしていて、それはいい動きだったが、騎馬隊の速さの方が勝っている。立ち直りかける寸前で、風を吹きかけたように、敵は散らばってしまうのだった。四郎の歩兵も動きだし、追い打ちをかけはじめた。楊業ははじめて騎馬を分散し、逃げる敵の先回りをさせた。『楊』の旗が、土煙の中で躍る。
 楊業は指揮官がいるらしい三百ほどの集団に、五百騎で攻めかけた。容赦はしなかった。すぐに半数になり、十数人になり、立っている者はひとりもいなくなった。
 戦場は、遼兵の屍体で酸鼻をきわめていた。狭い範囲に屍体が折り重なるように倒れているのは、騎馬が逃げる敵を押さえたからだろう。一万五千は討った。充分に殲滅と言える戦果だった。
宋が大軍で遼に奪われていた燕雲一六州を奪回に向かいますが、楊家軍の健闘むなしく逆に遼の反撃を受けて宋軍の大将である潘仁美が襲われます。遼軍が攻めているシーン

 左翼も崩れた。これで、宋軍は潰滅だった。いまはもう、全軍で追撃をかければいい。耶律奚低の軍は、勢いづいていた。楊家軍に、次々と攻撃をかけ、休ませようとしていなかった。
 高懐徳の軍が、包囲を破りそうになっている。半数を率い、耶律休哥は高懐徳の側面に突っこんだ。そこで、『高』の旗の動きは小さくなった。耶律斜軫が、高懐徳の軍も押し包んだ。二つの包囲をあっという間に作り上げている。しかし、高懐徳が、まだ潘仁美を救おうと、懸命に進んでいた。
 高懐徳を討った。その首が、槍の穂先に突き刺され、誇示するように、土煙の中に掲げられた。
 進み続けていた高懐亮も、それで力尽きた。やはり、首が槍で突き上げられた。
 これで潘仁美の敗死も見えた。
 そう思った時、耶律休哥はただごとではない衝撃を、遼軍全体が受けるのを感じた。
 楊業。耶律奚低の攻撃を受けながら、交代する方向を変えていた。耶律斜軫の軍が、退がってくる楊家軍に押されはじめている。楊家軍の退がる勢いには、耶律奚低が押す力まで加えられているようだ。

 歴史の事実は、宋は遼に押されて一旦は和平を結びます。しかし、その後北で勢力を伸ばしてきた女真族の金と結んで遼を討とうとしますが逆に金に滅ぼされて滅んでしまいます。高宗が南京で宋を再興して、その後南宋と呼ばれる王朝を建てて金と対峙することになります。そうしているうちにモンゴルが台頭してきて、結局滅ぼされてしまいます。
 この宋という王朝、滅ぼした王朝の後周の最後の皇帝を殺さずに優遇したとか、言論で官吏を殺してはいけないとか、都の開封が夜中までも自由に往き来できていたとか、芸術家肌の皇帝が出て書画を残しているとか、妙に人間的なところがあったりします。
 『水滸伝』で描かれている朝廷内の腐敗とか(もちろん、フィクションなのでそのまま信じることはできませんが)、政治的な失敗とかもたくさんありますが、それだけに今からみればおもしろい時代だったと思います。

   

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