桃夭記<(とうようき)>

井上祐美子 著
講談社文庫


 本書は井上さんお得意の中国を舞台とした4編の短編小説を集めたものです。いずれも不思議な世界を描いたもので、ジャンルとしては「ファンタジー小説」でしょうか。井上さんの描かれる世界は、個人的には平安時代を感じさせるような気がしていて、雰囲気の美しさは一級品だと思っています。
 これまで井上さんの作品はいくつか読んだことがありますが、その中でも一番好み度が高いものでした。私の好みをご存じの方は『女将軍伝』が一番かと思われるかもしれませんが、残念でした。(笑)

桃夭記
 博陵郡王・崔玄暉<(さいげんき)>の末娘、連翹<(れんぎょう)>の居室で不思議なことが起こるようになります。崔玄暉は徐という道士を招いたところ、その原因は庭にある桃の木の霊のせいだと言われます。そして、その道士が呪法を施すことになって家を出るとき、いきなり青年が現れ「この<(かた)>り者が!」と言って道士に殴りかかって叩き出してしまいました。
 この青年、陶周明はまかせてくれれば怪異を鎮めてみせるといいます。崔玄暉の甥、劉宗之はこの青年の言うことが大きく、人を食ったような態度が気に入りません。それに、実は宗之が連翹に思いを寄せていることを見破ったり、起こった怪異のことも詳しく知っていたり、周明に対して疑惑が広がります。
 はたして、周明は解決できるのでしょうか・・・。そして、一体何者なのでしょうか・・・。

嘯風録
 科挙に落ちた若者が故郷に戻るとき、山の中で道に迷ってしまいます。この時代、山には虎がおり、野宿するのは自殺行為でした。やっとのことで峠を一つ越えたところで山の中腹にちいさな火が見えました。そこまでやっとの事で行ってみると、大きな岩穴で髪も髭も伸び放題の仙人のような男が一人いました。
 若者は一晩の宿代の代わりに、都で起こっていることやいろいろな噂話をその男にします。都には班という状元(科挙の合格者)が幼い皇帝の信を得て、腐敗した政治を正そうとしたが結局宮殿を去ってしまったことが噂になっていました。班は無名でありながら科挙で最高の成績を取ったこと、腕っ節も滅法強いこと、宮殿を去るとき虎になったといわれていること、等々噂として人びとに言い伝えられていたのでした。
 この若者が目を覚ましたとき、男はいませんでした。そして、岩穴の近くには大きな虎がいたのです・・・。

迷宮譚
 時代は清朝が倒れた1920年代、貿易商だった洪孝先が江南に持っていた屋敷を買おうと下見に来た日本人の話です。洪孝先は先見の明があり大きな富を得ていましたが、決して利益を独り占めしない人でした。その屋敷は広大で、迷路のようでした。案内するのは余龍生という、上海あたりの大学にいるといっても通りそうなインテリ風の青年でした。彼はこの屋敷の管理人で、きちんと屋敷を守っていました。
 宮殿のように広い屋敷に泊まることになりますが、夜中に不思議なことが起こります。屋敷も迷宮のようなのですが、現実の世界と夢の中の世界とが入り交じってきて次第にその区別がつかなくなってきます。夢を見ているかと思えば実は現実に起こっていることであったり、逆に、現実の世界で起こっていることだと思えばそれは夢の中であったり・・・。
 いったい、この屋敷で起こっていることは夢の中なのか、現実の世界なのか。読んでいるうちに目が廻ってきました。

墨匠伝
 程君房という墨匠の大望は羅小華という最高の墨を越えることでした。それなりに評判は得たもの、方于魯という若い墨匠の評判が高くなっていることが気にくわない。それに、方于魯は君房の娘を捨てた上に君房のもとを飛び出していったという恨みがあったのです。
 文人たちにとっては墨は重要なものでした。筆・紙・硯・墨を称して文房四宝といいますが、誰の作がよいとか、いつの時代のものがよいとかを文人たちは語り合っていました。羅小華などは同じ重さの金を出さないと手に入らないとまで言われていたのです。
 老墨匠、程君房は二雲と号する隠士の前で弟子に出し抜かれたと号泣します。泣き付かれた二雲は程君房のために、力になります。それは墨譜という墨図を集めて本にしたものを程君房はいつか出そうと思っていたところ、方于魯が先に出したということを知ったからでした。方于魯の墨譜は高い評判を得ていました。後発の程君房の墨譜はどうでしょうか・・・。
 二雲はどんなすばらしい墨でもそれだけでは価値がなく、磨って文字を書いてこそ意味があるものだと考えていました。当然、墨を磨れば減ってしまいます。程君房が持ってきた自信作でも、「もったいない」と言いたい君房の前ですぐに磨って字を書いてみるような人で、文房四宝の良し悪しをあれこれと語り、使うのを「もったいない」と思うような文人たちとは違っていました。
 この「墨匠伝」は他の3作品とは違い、ファンタジー色はありません。墨という単なる「道具」を巡って繰りひろげられる人間たちの愚かしさを二雲という人物を通して描いています。


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