敦煌<(とんこう)>

井上靖 著
新潮文庫


 敦煌といえばシルクロードの起点、そして数百年にわたって堀続けられた多くの石窟で有名ですし、映画にもなりましたのでかなり知名度は高いのではないでしょうか。石窟の中でも4〜14世期に渡って掘られた千仏洞(莫高窟)が今世紀初め、イギリスのスタインとフランスのペリオによって発掘されて、おびただしい数の仏教芸術の貴重な壁画・塑像・文書・仏典が発見されました。その学術的・芸術的な価値はすばらしいものでした。
 千仏洞にこれだけ多くのものが収められ、しかも荒らされることなく数百年を経て陽の目を見たというのは多くの謎に包まれています。本書は、その史実をもとに井上靖さんがイメージを膨らませて書かれた作品でしょう。

 趙行徳<(ちょうぎょうとく)>は進士の試験(科挙)を受けるために、宋の都開封に上ってきていました。宋の太祖が文官を重んじたため、世を挙げて官吏万能の時代でした。進士の試験に優秀な成績で合格さえすれば将来は約束されたようなものでした。この試験で主席の成績を得た者を状元<(じょうげん)>、二位を榜眼<(ぼうがん)>、三位は探花<(たんか)>と呼ばれ、これらの優秀な者は勿論、合格者はすべて高級官吏となることが約束されたようなものでした。
 進士の試験は何段階にもわたって行われますが、趙行徳は優秀な成績で通過し最後の殿中の試験を残すのみとなっていました。受験者たちは指定された場所で呼ばれるのを待つのですが、趙行徳はなんといつの間にか眠ってしまいました。そして夢の中で天子の前で自分の考えを堂々と述べるのですが・・・、目が覚めたのはすべての受験者がその場所を退いた後でした。つまり、眠りこけて自分の試験を放棄してしまったのです。
 気を落とした趙行徳は街中を歩き回りました。次の進士試験は三年先でないと行われないのです。
 そこで奇妙なものを目にしました。全裸の女が板の上に乗せられて売りに出されているのです。それも、体を部分毎に切り取って売るというのです。趙行徳は「すべて買う」といい、金を払って女を自由の身にしました。気の強い西夏の女で、お礼に趙行徳に一枚の布片を渡しました。それには見たこともない文字のようなものが書かれていました。それは西の方で勢力を伸ばしつつあった西夏で新たに作られた文字でした。この文字は興味を覚えた趙行徳の運命を変えてしまいます。

 開封を出た趙行徳は半年かけて宋の最西端、霊州に来ました。もっと西の西夏をめざす趙行徳は回鶻<(ウイグル)>人の隊商と交渉して連れて行ってもらうことにしましたが、その途中で西夏の漢人部隊に襲われてしまいます。そして趙行徳はその部隊の兵卒として組み込まれてしまいます。その部隊の長は朱王礼という初老の勇士でした。文字の読み書きができる趙行徳は朱王礼に自分の碑を建てるように命令されます。趙行徳はこの勇士が好きでした。
 趙行徳は朱王礼に伴なわれ、数多くの激戦を前兵として通り抜けます。回鶻の勢力の下にあった甘州城を攻めることになりますが、すでに敵の姿はなく無血入城します。
 朱王礼に命令され、城壁の上にある狼煙<(のろし)>をあげる烽台<(ほうだい)>に登った趙行徳はそこで一人の若い女を見つけます。彼女は回鶻の王族の娘だといいます。
 趙行徳は彼女をこっそりと小屋に隠し、そして密かに食事を運びます。そうしているうちに趙行徳は愛情をおぼえてきますが、念願だった西夏文字を学ぶために西夏の都興慶府に行けという命令が出されます。女のことが気になりますが、命令には逆らえず朱王礼に後の面倒を見るように頼んで行くことにしました。
 興慶府で仏教に接した趙行徳は深くそれに帰依するようになりました。

 朱王礼のもとに戻ると、趙行徳に不機嫌に「あの女は死んだ」と言い張ります。そうしているうちに趙行徳は街の中で西夏の全軍の長である李元昊<(げんこう)>の後ろで馬に乗った彼女を見かけます。趙行徳を見た彼女は驚きの声を上げました。
 西に向かって軍を出すときその中にいた趙行徳は城壁の上から落ちる女の姿を見ます。そして、朱王礼から彼女は李元昊に側室として取られたということを聞くのです。朱王礼も彼女を深く愛していたのでした。

 朱王礼は李元昊に対して反旗を翻します。しかし、西夏軍は強大で一部隊の力では李元昊を討ち取ることは不可能でした。朱王礼の部隊は沙州(敦煌)に逃げ込みます。沙州は回鶻の支配下にありましたが、そこを支配しているのは漢人でした。
 李元昊は西夏の皇帝を称していました。沙州に攻めてくるのは明らかでした。朱王礼は戦いを挑みますが力の差は歴然、敗れてしまいます。そして、沙州城内に火を放つように命じます。

 沙州がすべて燃えつきる前に尉遅<(うつち)><(こう)>という隊商の親玉は沙州の宝物を一時千仏洞の洞窟に隠し、あとで自分のものにしようと考えていました。尉遅光は回鶻に亡ぼされた尉遅王朝の末裔と称し、尊大な若者でした。
 趙行徳は尉遅光に宝玉類と偽って沙州の大雲寺にあった教典類を千仏洞の洞窟に収めることに成功しました。後に千仏洞に来た尉遅光は雷に打たれ、死んでしまったのでここに隠された経典類は数百年の後に発見されるまで眠ることになったのです。

 経典類を収めるときに行徳は写経をし、その最後に次のような文章を書き入れました。

維時景祐二年乙亥十二月十三日 大宋国潭州府挙人趙行徳 流歴河西 適寓沙州 今縁外賊掩襲 国土擾乱 大雲寺比丘等搬移聖経於莫高霊窟 而罩蔵壁中 於是発心敬写般若波羅蜜多心経一巻 安置洞内已
伏願竜天八部 長為護助 城隍安泰 百姓康寧 次願甘州小娘子 承此善因 不溺幽冥 現世業障 並皆消滅 獲福無量 永充供養
 この中の「甘州小娘子」というのが例の回鶻の王女のことです。漢文なのですがなんとなく理解しやすい。日本人の漢文だからでしょうか?(笑)
 遅読の私が久しぶりに「一気読み」してしまいました。とても良かったです。

 敦煌

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