周公旦

酒見賢一 著
文藝春秋


 本書を見つけるきっかけとなったのは、新聞広告で酒見さんの『陋巷<(ろうこう)>に在り』という本を見かけたことでした。その本は中島敦記念賞を受賞したそうで、広告には「孔子と顔回を主人公に、孔子の儒を描く歴史小説!」と書かれており面白そうだと思ったのです。しかし、広告に出ていたのがなんと12『聖の巻』なのです。北方さんの三国志・全13巻は読みましたが、ちょっとこんな大作を読み始める勇気がなくて、これは先延ばしにすることにしました。
 そこで、酒見さんの他の作品を探してみると本書が見つかったのです。もともと春秋戦国期というのは私にとって興味のある時代ですし、周公旦の名前は知っていましたのですぐに飛びついてしまいました。

 宮城谷さんの作品、『王家の風日』や『太公望』で描かれている商(殷)周革命の時代です。周の文王・武王という英雄により革命は成功しましたが、まだ周の基盤は確固たるものではありませんでした。武王の後嗣成王は幼少で、商(殷)の勢力も残存しておりまだまだあなどれない中で、反乱が起るのも一触即発の状況でした。その危機を見事に切り抜けるのですが、今度は逆にわがままな成王に疎んじられてしまうのです。幼い頃から王に立てられた成王は少年になると、苦言を呈する叔父・旦を遠ざけるようになり、奸臣に言われるまま旦を亡命に追いやってしまいます。

 周公旦は反乱を起こすことも反論することもなく、取った道は亡命することでした。その亡命先は当時蛮国と思われていた南方の荊楚でした。周として今後憂いとなるのは荊楚であると考え、周に服させるために赴いたのでした。本書によれば「礼」を広めることにより荊楚を服させることができると考えたのでした。蛮夷の首領に「礼」の力を見せつけるところは、なかなかの迫力です。
 その後の歴史が示すように、楚は王を称し中原の国々とぶつかるようになります。春秋の五覇のなかに楚の荘王が含まれるように、中原から見れば蛮国であってもその力は中原の国々を凌ぐものになっていきます。早くから荊楚の国々の脅威を察知し、半ば追い出されながらも命を懸けてその脅威との和平工作を結ぼうとするのは感動ものです。

 もともと、周公旦は魯に封じられたので本来は魯公と呼ばれるのが本来なのでした。しかし、魯は息子に治めさせて自分は周王の補佐を行うことにしたために周公と呼ばれることになったのです。そう言われてみれば、周の王がいるのに「周公」がいるとは変な話です。後の孔子(およびその弟子達)が周公を讃えて『論語』などで至徳の君子、春秋期最高の政治家と称したのでした。

祖乙尊[西周・前期]

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