水滸伝と日本人

高島俊男 著
大修館書店


 岩波文庫『水滸伝』(全十巻)を読んだ勢いで本書を読み始めました。
 私など、真面目な方には叱られてしまうかもしれませんが『水滸伝』なんて単なる小説と思っていました。でも、「水滸伝学」という、ちゃんとした研究の対象になっているようです。
 本書では中国で書かれた4大奇書の一つ『水滸伝』に対して日本人がどのように接し、吸収し、楽しんできたのか、日本に渡来した江戸時代以降のことについて書かれています。
 以下、目次を示します。
第1部 江戸時代
 プロローグ 川柳水滸伝
 第一章 『水滸伝』がやってきた
 第二章 唐話学習の流行
 第三章 四つの段階―原書、和刻、翻訳、翻案
 第四章 岡島冠山と和刻本『忠義水滸伝』
 第五章 『水滸伝』の辞書
 第六章 『通俗忠義水滸伝』
 第七章 『水滸伝』の絵本
 第八章 中国白話小説と日本文学
 第九章 『水滸伝』影響下の江戸の小説
 第十章 曲亭馬琴
第2部 明治以降
 プロローグ 芥川龍之介と『水滸伝』
 第一章 明治の『水滸伝』概況
 第二章 旧訳の再刊
 第三章 明治期の注釈と研究
 第四章 『めさまし草』の共同研究
 第五章 明治の翻訳
 第六章 大正・昭和『水滸伝』概況
 第七章 龍城・露伴の偉業
 第八章 大正・昭和〈戦前〉の翻訳
 第九章 戦後の両巨峰
 第十章 その他の戦後の翻訳
日本における『水滸伝』関係年表
 いろいろな人が『水滸伝』を訳してきましたが、本書ではなかなかまともな訳がないといっています。もちろん、私みたいな素人がとやかくいう筋合いではありませんが、ちょっとことばがきつすぎるのではないかという気がしました。
 『通俗忠義水滸伝』は、『水滸伝』本邦初訳の名誉をになう翻訳ではあるが、その内容は、上にも言ったごとく、大ざっぱで、ズボラで、程度の悪いものである
 しかるにこの悪訳が、以後二百年、実に二十世紀の半ばまで、わが国の『水滸伝』訳をリードした。
 (以下略)
 こんな調子で書かれている部分が多く見受けられます。もちろん貶すだけではなく、誉めるところは誉めているところもありますが、最初の方の「けなし」に違和感をおぼえました。
 研究論文ならいざしらず、小説の翻訳であれば細かい一字一句を忠実に訳すだけが能ではない、原文を思い切り意訳しても良いのではないかと思った次第です。(えらそうに、ゴメンナサイ)

 さて、本書では興味深い試みをされています。それは、いろいろな人の書いた同じ部分を紹介して比べるというものです。
 『水滸伝』読まれた方なら思い浮かべることができるかもしれませんが、以下の2か所です。
@林冲がまぐさ置き場の管理人となり赴くところ(林教頭 風雪の山神廟)
A武松が兄武大の仇を討つために西門慶が酒を飲んでいるところに押しかけて殺すところ(武松 闘いて西門慶を殺す)
です。原書に忠実に訳している人から自分のパフォーマンスを組み込んで悪のり(?)している人、「ズボラ」と言われている人などいろいろあって結構おもしろい。

 もう一つ、本書で紹介されていることで興味深いことがありました。これは、私のこれまで漠然と抱いていたことに対する回答でもありました。
 『めさまし草』の共同研究で森田思軒という人がこのように発言しています。
 水滸伝はたしかに作者が生存した時の支那の社会の一面の写真だ。而も支那の社会の状況は水滸伝の出来た時と今日と甚だ多くの相違がないとすれば、即ち亦今日の支那の社会の一面の写真だ。
 として、『水滸伝』に現れている中国社会の特有の性格として、賄賂と盗賊と姦通とに着目しています。そして、それぞれを細かく説明しています。
 これを読んで、私は水滸伝といわず、春秋戦国時代あたりまで遡っても言えるのではないかという感じを受けました。これまで中国を舞台にした小説を読んでいてなんとなく腑に落ちないところがありましたが、これで多少スッキリすることができました。中国ファンには結構いいかも・・・(笑)

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