耶律楚材

陳舜臣(ちんしゅんしん) 著
集英社(全2巻)


 耶律楚材という人のことを知ったのは、「中国の歴史」という本でした。また、同じ作者の「中国傑物伝」という本でも陳さんの好きな英雄16人のうちの一人として紹介されています。ちょっと脱線しますが、不思議だと思っていたのは、陳さんは諸葛孔明がお好きだったと思ったのに、この「中国傑物伝」に入っていないことでしたが、本書のあとがきを読んでその謎が瓦解しました。つまり、「中国傑物伝」を書いていた頃「諸葛孔明」を執筆中だったのであえて入れなかったのだそうです。
 いつもの通り、手抜きして「広辞苑」から引用しようと思ったのですが載っていませんでした。代わりに耶律阿保機と耶律大石が載っていましたので、こちらを紹介しましょう。どちらも耶律楚材と近い人です。

やりつ‐あぼき【耶律阿保機】
遼(契丹)の太祖。汗位につき、契丹の八部を統一、東西の諸部族を従え、916年大聖大明天皇帝を称。また、渤海国を滅ぼした。(在位 907〜926)(872〜926)

やりつ‐たいせき【耶律大石】
カラキタイ(西遼)の建国者。遼の王族の出身。1132年カラハン朝に代って東トルキスタンを支配、ベラサグンを都とする。次いで西トルキスタンにも勢力を拡張。(1087〜1143)

 「広辞苑」にはありませんでしたが、「漢字源」に載っていましたので、こちらを紹介しましょう。「漢字源」を「耶律」で引くと、耶律楚材しか載っていません。この辺は編者の考え方とか好みとかが反映するのでしょうね。おもしろいものです。

【耶律楚材】
ヤリツソザイ〈人名〉1190〜1244 元代の政治家・文人。遼の王族の子孫。<(おくりな)>は文正。金に仕え、のち元の太祖を助けて四方を平定した。文学・天文・地理・医学にもくわしく、詩集に『湛然居士<(たんぜんこじ)>集』がある。

 この書は金の宰相であった耶律<()>が60歳の時に三男として生まれた赤子に「楚材」という名をつけるところから始まります。金は女真族が遼(契丹)を1122年に亡ばして建国した王朝です。遼の王族の子であった履を宰相として用いるというのは、文化的な理由もあったのでしょうが結構太っ腹ですね。
 しかし、金王朝の内部でも腐敗が始まっており、履はひそかに不安を抱くようになっていました。その命名に我が子に託した履の思いがあったのです。

 楚材、という名に、母親の楊氏がやや不安をかんじたのは、それが古典の、
 ――楚材晋用  に由来するからであった。
 『春秋左氏伝』の襄公26年の項に、晋と楚との比較論があり、そのなかに、

 ――晋の<(けい)>は楚に<()>かざれども、其れ大夫は則ち賢なり。皆、卿の材なり。杞梓<(きし)>、皮革の楚より往くが如し。楚に材有りと<(いえど)>も、晋は実に之を用いるなり。・・・

 とある。晋は春秋時代の北方の大国であり、春秋の覇者といわれていた。楚は南方(現在の湖北、湖南)から興った新勢力で、いわば超軍事大国であった。楚には杞梓(柳や梓のような有用植物)や皮革などの物産があるが、みな輸出されて、おもに晋で用いられている。人材もそれとおなじで、楚の人材をほんとうに用いているのは晋であるというのだ。
「楚材」とは、外国で用いられる人材、を意味するので、おだやかではない。

 つまり、乱世になれば苦しむのは人民です。現在の金王朝は腐敗しており、乱世が再来するのは必定だと見て、人民を救うために乱世を終息させるには外国に用いられなければ無理と考えたのでした。西の方から強大な勢力が来るのではないかと考え、その勢力に用いられて平和な世の中にしてほしい、という望みを託した名でした。

 自分の名の由縁を理解していた楚材は、金王朝に仕えますがモンゴルに都燕京<(えんけい)>(今の北京)を占領されたときにあっさりと降伏してモンゴルに仕えることになります。チンギス・ハンは多くの人材を用いますが、中でも楚材の才能を知ると彼を重用し「ウルツサハリ」というあだ名をつけます。ウルツサハリとは長いひげ、という意味のモンゴル語で、あだ名を付けるということは本名を呼びすてにしないことで、モンゴルでは目下の者に対する優遇とされていたのです。
 モンゴルは東は極東まで、西はヨーロッパまでという広大な帝国を築きます。しかしモンゴルの興った草原の掟は、「自分に反抗したものは屠城(皆殺し)にする」という苛烈なものでした。楚材はチンギス・ハンに対して、「自分に反抗した人間で生かして使った方が得だ」と説いて屠城を止めさせようとするのです。それが彼の生まれた理由だと信じていたのでした。

 中国だけでも地名を覚えられないのに、本書の舞台は、西は中東〜ロシアやポーランドまで広がっています。モンゴル帝国のスケールの大きさなのですが、読んでいても気持ちのいいものです。チンギス・ハンやその息子のオゴディがもう少し長生きしていたら、ユーラシア大陸全てを飲み込むような超大国が出現していたかもしれません。そうすれば、楚材の望みであった本当に平和な世界ができていたかもしれません。
 歴史は「もし〜だったら」と考えられるところにおもしろみがありますね。

 上 草原の夢  下 夢絃の曲

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