蒼穹<(そうきゅう)><(すばる)>

浅田次郎 著
講談社


 本書の出だしは大清国光緒12年・西暦1886年 冬なのですが、これがこれまで私が好んで読んでいた春秋戦国や三国時代・宋の時代などとそれほど違いがなく感じられました。これまでこんな新しい時代の小説は読んだことなかったので、少々不安だったのですが全然心配いりません。中国3千年とかいいますが、まさしくその通りと思わずうなずいた次第です。
 本書の主人公は李春雲(春児<(チュンル)>)と梁文秀(史了)という人です。この梁文秀という人、漢字源に書かれていた梁啓超という人をモデルにしたのでしょうか?(ご存じの方、教えてください)。同じく登場する康有為という人は実在したようです。以下、漢字源からの引用です。

【梁啓超】リョウケイチョウ〈人名〉
1873〜1929 <(シン)>末の学者・政治家。広東<(カントン)>省新会県の人。<(あざな)>は卓如、号は任公<(ジンコウ)>。康有為に学び、西欧の近代思想を紹介し、清朝の改革、民権を主張した。戊戌<(ボジュツ)>の変で日本に亡命した。著に『清代学術概論』『先秦<(センシン)>政治思想史』などがある。

一方、半主役(なんだそりゃ?)ともいうべき人が西太后慈禧<(じき)>老仏爺<(ラオフォイエ)>)です。老仏爺というのは、仏のように慈悲深い人という尊称だそうです。
 西太后といえば、私が勝手に名付けたのですが、中国歴史に燦然と輝く3大猛婦の一人です。ちょっと脱線しますが、中国には国を滅ぼした美人の話も多いですね。
  ・漢の呂后
  ・唐の則天武后
  ・清の西太后
 彼女らはいろいろと苛烈な事をおこなったというイメージがあります(女の怨みはこわい)。でも、適当な私のイメージを書くのも気がひけますので、なぜ猛婦なのか、公平な広辞苑から引用しましょう(いつもの手抜き)。

りょ‐こう【呂后】
漢の高祖(劉邦)の皇后。名は雉、字は娥姁<(がく)>。才略があり、常に高祖に侍して画策。帝の崩後、権力をふるい、呂氏の乱の原因をなした。(―〜前180)

そくてん‐ぶこう【則天武后】
唐の高宗の皇后。姓は武。中宗・睿宗を廃立、690年自ら即位、則天大聖皇帝と称し、国号を周と改めた(武周)。その老病に及び、宰相張柬之に迫られて退位、中宗が復位、唐の国号を復した。武則天。武后。(在位 690〜705)(624頃〜705)

せい‐たいこう【西太后】
(皇后慈安太后が東太后と呼ばれたのに対していう) 清の文宗(咸豊帝)の妃。満州旗人の名家、葉赫那拉<(エホナラ)>氏の出。穆宗(同治帝)を生み、慈禧太后と尊称。徳宗(光緒帝)の時、政権を専らにし、戊戌<(ボジュツ)>政変や義和団事件に際し反動政策をとった。諡は孝欽顕皇后。老仏爺。(1835〜1908)

 このお話、主人公の春児(李春雲)が不思議な星読みの媼、白太太<(パイタイタイ)>の予言を聞くところからスタートします。その予言とは、なんと、貧しい李家の四男坊の春雲が都で権力の頂上にいる老仏爺(西太后)の財物をことごとく手に入れるというのです。そして、地元で有力な梁家の次男坊で遊び人の文秀も同じようなことを聞いたといいます。梁文秀は金持ちの子弟らしくなく、親分肌の少年でした。貧乏人の子、春児と馬が合うのかかわいがっていました。
 親の期待は優等生の長男にあったのですが、この出来損ない(?)の次男の方が先に挙人の試験に合格してしまったのです。挙人が全国から集まって進士の試験を受けます(会試)。数年に一度行われるこのような試験制度を科挙といい、千年ほど前の隋のころから延々と行われてきました。科挙で一番の成績だったものを状元といい、将来の出世が約束されていました。状元といって思い出すのは、宋末の忠臣文天詳です。彼は最後は宰相となって巨大な敵元を相手に奮闘しました。
 科挙という名前は知っていましたが、それがこんなにものすごいこととは本書で初めて知りました。日本の受験制度なんて、これから見れば比較にならないくらい甘いものです。梁文秀は不思議な体験をしながら、見事一番で進士に合格して状元となります。進士ともなれば、さすがに春児とつきあうことはできません。春児を一人で帰すのですが、そこで春児はとんでもないことをします。なんと、自分で男性を切り取って宦官になろうとするのです。これも白太太の予言を信じていたからでした。

 運命の導きで、春児は宦官として西太后のいる後宮に入ることができました。一方、梁文秀も着実に宰相への道を進んでいます。中国ではかつて宦官が権力と結びついて国を乱したことから官吏と宦官が近づくことは許されていません。最終的には、春児はその素直な性格で宦官としては最高の位にまで到達しますが、財産はすべて他人に分けてあたえるような人でした。

 西太后は表面と内面と2面を持つ人です。外では「鬼」のようにいわれたりしますが、庶民からは老仏爺と呼ばれて慕われています。後宮の中では、何か気に入らないとすぐに鞭打ちの罰を与えるので、まわりの人間は常に畏れています。なんともわかりにくい人です。
 しかし、まわりに人がいなくなると普通の女性なのです。清の英雄であるおじいちゃん(乾隆帝)の霊に導かれて中国に新しい国を作るために、わざと国を壊すような事をするのでした。最後には最もかわいがっていた甥の光緒帝と衝突します(戊戌の乱)。そして改革派を一掃してしまうのです。
 そして光緒帝を廃しますが、その後皇帝となるのがあの溥儀<(ふぎ)>です。本書では改革派のリーダー梁文秀が日本に亡命するところで終わりますが、その後「ラストエンペラー」につながっていくのでしょうか。

 上に書いた科挙もそうでしたが、本書でショックを受けたのは宦官のことです。自ら望んでなるもの、親が無理やりならせるもの、いろいろあったようです。宦官は中国の歴史では春秋時代からあらわれます(もっと前からいるのかもしれませんがよく知りません)。
 宦官は秦の趙高、三国志に登場する十常侍や黄皓など、国を滅ぼすとんでもない悪役として描かれる事が多いです。これは、あえてそういう役回りにしたという気がします。まだまだ中国の世界は深いです。

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