孫子

海音寺潮五郎 著
講談社文庫


 孫子とは、春秋時代に呉で13編からなる兵法書を著わした孫武のことです。兵法書には七書といって、孫子・呉子・六韜(りくとう)・三略・尉繚子(うつりょうし)・司馬法・李衛公問対(りえいこうもんたい)が伝えられていますが、なんと言ってもこの孫子がその最高峰です。一時、高度成長期に経営に応用できるということでブームになったことがあり、この頃は数十冊が発行されたようです。それ以外でも日本の武将には愛読されたことでしょう。ちなみに、武田信玄の「風林火山」も孫子からの引用です。他に、「彼を知り己を知れば百戦殆(あやう)からず」や「呉越同舟」などという言葉も有名ですね。
 戦国時代に孫武の子孫で孫臏(そんぴん)という兵法家が現れます。こちらも孫子と呼ばれています。
 孫子は三国志に登場する曹操の書いた注釈しか残ってなく、孫武の著書が実在していなかったため、孫武は実在していないのではないかとか言われていたこともありました。また、史記に書かれている孫臏と同一人物ではないかとか言われていたこともありました。しかし、中国で本物の書が発見されて論議にも終止符が打たれました。

【孫武の巻】
 春秋時代の大国であった楚の平王は費無忌(ひむき)という臣の讒言により伍奢(ごしゃ)という大臣を殺してしまいます。伍奢には二人の息子があり、兄の子尚は父と共に殺されてしまいますが、子胥(ししょ)は出奔して復讐を心に誓うのです。伍子胥<(ごししょ)>は呉に逃れ、呉王僚に仕えることになります。
 その頃、孫武は趣味である戦争の研究をしている田舎の名士です。古戦場の後を見てはその勝敗の背景などを調べていたのでした。ひょんなことから伍子胥と出会い、これまでの研究結果を話すことになります。その話に感動した伍子胥はそれを書物にするよう頼むのでした。孫武は13編にまとめて伍子胥に渡します。13編とは、始計・作戦・謀攻・軍形・兵勢・虚実・軍争・九変・行軍・地形・九地・火攻・用間で、伍子胥はそれを読んで孫武を王闔廬(こうりょ)に推薦するのです。
 伍子胥と孫武という二人を得た闔廬は国力を高め、覇を称えるために楚を攻めます。ついに楚都郢(えい)を占領して昭王は逃げ出すことになります。伍子胥は昭王を逃したことを悔しがり、平王の墓を暴いて死骸を鞭打ちます。

【孫臏の巻】
 孫武の子孫である孫臏は野山で狩りをしたり武術やバクチが大好きな餓鬼大将で父親を嘆かせていました。代々書物を好んでいるような家柄だったし、回りも孫武の子孫と言う見方をしていたので、孫臏はどら息子と思われていました。
 その孫臏の家に立身出世に燃える龐涓(ほうけん)が訪ねてきます。丁度、水鳥の狩りの好機だったのですが、一ヶ月も付き合うことになってしまいました。龐涓と話しているうちに、書物に対する興味を持った孫臏はついにその才能を現すのです。二人は親友となりました。
 龐涓は孫臏の協力もあって願いが叶い、魏の将軍となります。孫臏が龐涓を訪ねたとき、龐涓の裏切りにより、臏(あしきり)の刑に処されてしまい、両足のひざから下を切られてしまいます。斉の大夫の協力を得て脱出した孫臏は龐涓への復讐を誓うのです。

 

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