春秋左氏伝

小倉芳彦 訳
岩波文庫(全3巻)


 『春秋左氏伝』、略して『左伝』はレッキとした中国の儒学古典の一つとして取り扱われてきました。『易』『書』『詩』『礼』『春秋』を五経といいますが、『左伝』はそのうちの『春秋』経の「伝」であり、『公羊(くよう)伝』『穀梁(こくりょう)伝』とともに「春秋三伝」と呼ばれています。
 しかし、『左伝』は後漢時代に書かれたのではないかという論争が昔から行われており、日本人の中でも津田左右吉(そうきち)は「『左伝』の記事は『史記』にもとづく造作である」と論じているそうです。しかし、私のような人間から見ればそれでも構わないのです。私にとっては、春秋時代は数多くの英雄が出現して覇を争うという非常に興味深い時代なのです。
 『春秋』の経文は魯の隠公元年(BC722)に始まり、左伝では哀公16年(BC479)の孔子の死で終わっています。しかし、左伝では経文が終わった後にも続きがあり、哀公27年まで続いています。
 本書では、経文の後に続いて左伝の記述がなされているので、(多分(^^;)読みやすいのでしょうが、それでも途中でわけが分からなくなってしまうことが多いです。左伝には経文に書かれていることとは全く関連のないことも書かれています。訳者は「もともと『春秋』の「伝」として収めるのは無理な量と質のもとの素材を『左伝』編成者が苦心して年月日順に配分した作業のあとを示すものであろう」と書かれています。

 興味のある方は本書に当たっていただくとして、雰囲気だけでも味わっていただくために、若干の引用をしてみましょう。

 宣公二年(607 B.C.)
1 二年春、王ノ二月壬子、宋ノ華元、師ヲ帥(ひきい)テ、鄭ノ公子帰生ガ師ヲ帥ルト、大棘(たいきょく)ニ戦フ。宋師、敗績ス。宋ノ華元ヲ獲タリ。
2 秦師、晋ヲ伐ツ。
3 夏、晋人・宋人・衛人・陳人、鄭ヲ侵ス。
4 秋九月乙丑、晋ノ趙盾、其ノ君夷皐ヲ弑ス。
5 冬十月乙亥、天王、崩ズ。
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 これが『春秋』の経文で、この後に『左伝』の記述が続きます。ちなみに、1に出てくる華元は宮城谷さんの華栄の丘の主人公ですし、4に出てくる趙盾は孟夏の太陽に登場します。

 最後に、訳者はこんなアドバイスを書かれています。

 『左伝』はその屈折した成立経緯から考えてもわかるように、決して通読しても面白いものではない。記述があまりにも断続的で、巻末の「大事索引」を使って拾い読みするのも大儀だという読者のために、比較的分量にまとまりがあり、しかもかなしに盛り上がりのある名場面をリストアップしておく。これらの場面からまず入り、次第に関連する前後の項目へと視野を広げて行かれることを訳者としては期待している。

 鄭の荘公、弟共叔段(きょうしゅくだん)と争う(隠元 3)
 晋の公子重耳の諸国放浪(僖二十三 B)
 晋と楚、城濮(じょうぼく)で戦う(僖二十八 4,7)
 晋の趙盾、霊公を弑する(宣二 4)
 晋と楚、邲(ひつ)で戦う(宣十二 3)
 晋と斉、アン:Unicode 978C(あん)で戦う(成二 3,4)
 晋と楚、鄢陵(えんりょう)で戦う(成十六 5,6)
 斉の崔杼(さいちょ)、荘公を弑する(襄二十五 2)
 宋の向戌(しょうじゅつ)、停戦に成功(襄二十七 2)
 楚の霊王、乾谿(かんけい)で死亡(昭十三 2,3)
 韓宣子、鄭の商人から玉環を買う(昭十六 C)
 呉軍、楚都(郢:えい)に攻め入る(定四 14,15)

     

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