朱帆・怒帆

高橋和島 著
小学館文庫


 少し前に読んだ明末の英雄、鄭成功の奮戦を描いています。以前読んだのは白石一郎さんの『怒濤のごとく』という作品でしたが、どちらかというと史実に忠実なような印象でした。一方、本作品はどちらかというとエンターテイメント度が高い印象です。近松門左衛門の『国姓爺合戦』は殆どエンターテイメントのみでしょうから、本書は中間的な位置でしょうか。ローニンやかまり(忍びの斥候)という怪しげな倭人が大活躍する本書は、チャンバラ活劇的な要素もあり面白かったです。
 
 本書は2冊からなっていますが、それそれ副題が付いています。

『朱帆』 鄭成功青雲録
 鄭森(後の鄭成功)の若い時、平戸で人買いの市で二人の倭人を父親に買ってもらいます。一人はローニン、もう一人は少女でした。このローニンは見た目は貧相だったのですが、鄭森の父親鄭芝龍の人を見る目は確かでした。名を岩波栄次郎といい、凄腕のサムライでした。
 鄭芝龍は清に亡ぼされかけている明を救うために鄭芝龍軍を組織します。そして大陸へ出発します。鄭森も同行しますが、芝龍は森にも一軍を持たせます。その中心は倭人の栄次郎、そのほかに倭人数人と漢人数十人でした。
 隆武帝から朱成功という名を賜った鄭森は鄭成功と名乗ります。国姓爺・鄭成功です。しかし、すでに清は強大な勢力となっており、鄭芝龍軍の数万の軍で抗うのは難しくなっていました。
 鄭成功率いる水軍が清の水軍と戦っている隙に、当時鄭一族が本拠としていた泉州を襲います。日本生まれの母親は清軍に殺され、父親芝龍は一族を守ろうと清に投降したのでした。鄭成功の清に対する異常ともいえる反発はこの頃に醸し出されたのでしょう。
 泉州を逃れた鄭軍は廈門<(あもい)>に根拠を置きます。この廈門は自然の要害に守られており、強大な清もなかなか攻められない地でした。
 
『怒帆』 鄭成功疾風録
 鄭成功は日本の幕府に乞師(応援)を求めます。幕府内では将軍家光を中心として評定を行いますが、結論としては秀吉の朝鮮出兵の教訓から応援要請を無視することに決定しました。
 しかし、多くの幕臣たちは「乞師に応ずべし」と主張する南竜公、紀伊頼宣の意見にも引かれていました。家光もそうであり、結局公儀として兵を送るのは無理としても小規模に浪人などを目立たないように出国させることは認めることになりました。ただし、鎖国政策上帰国は認めないという厳しいものでした。千人を送り出すことになりましたが、その多くは大陸で一旗揚げようという怪しい者たちでした。主力は食い詰めた浪人ですが、元相撲取りや破戒僧などといった侍以外のはみ出し者もかなり含まれていて結局八百人となりました。
 実力のほども怪しい連中ですが、その中にかまりの一団がいました。頭領は名取与十郎といい、皆確かな腕を持っていました。
 廈門に渡った八百人は倭人部隊として組織され、後には鉄面人部隊として清軍に恐れられる存在となります。そして、名取を中心としたかまりの一団は鄭成功直轄の侍衛となります。
 鄭成功は応天(南京)を奪還すべく、十万の兵を率いて遠征を行います。しかし、元の都は守備が堅く倭人部隊の活躍も空しく陥とせません。鄭成功身内の徐君が密かに投降したこともあり、結果的には城内に一歩も入れないという大敗で、生き残った2万5千人が廈門に戻るのが精一杯でした。
 廈門に戻った鄭成功は力を蓄え、当時オランダに占拠されていた台湾を奪取することにします。東インド会社を経営するオランダは、台湾を日本や東南アジア交易の拠点としていました。その軍事力は強大でしたが、鄭軍はなんとかこれを破り、オランダ人の築いた城を承天府と名付けて王国を築きます。大陸には順天府(北京)、応天府(南京)がありますが、台湾を復明抗清の都としようとしたのでした。
 しかし、念願であった明の復興はならず、再び大陸へ攻め込むこともないうちに、鄭成功は台湾の風土病に冒されて38年の生涯を閉じます。


 鄭成功から応援の依頼があったときに賛同する者もいたが、結局無視したというのが史実だと思いますが、こっそりと数百人を送り込んだという設定が意表をつくものでした。あと、鄭成功は癇癪持ちだったようですが、本書ではそういう記述は省いています。なかなかのヒーローぶりに描かれていて、かっこよいです。映画「国姓爺合戦」は本書のイメージに近いものでした。
 他の鄭成功ものと話のあらすじは大体同じようなもののようですが、日本人部隊が大活躍する本作品は冒険活劇として面白いです。ただ、以前読んだ何かの本で清が明に侵攻するときに倭人部隊を使って大いに恐れられたという記憶があって、本作品とは全く逆だったのがちょっと気になります。(記憶は少し怪しいですが)

 朱帆(鄭成功青雲録)  怒帆(鄭成功疾風録)


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