始皇帝

安能務 著
文藝春秋


 始皇帝は第31代の秦王で、名を<(えい)>政といいます。中国最初の皇帝であるということの他に「焚書坑儒<(ふんしょこうじゅ)>」を行ったとか、驪山<(りざん)>に自分の陵を作るなど大規模な工事を行って庶民を苦しめたという暗いイメージがあります。しかし、著者はこういうイメージは後世の儒者どもが悪意をもって言い伝えたものであるとしています。私にもこういうイメージがあったのですが、本書を読んで始皇帝のイメージがちょっと変わりました。
 前述のような先入観がなければ、始皇帝は春秋戦国時代を終息させ中国史上最初の統一国家を築き自ら始皇帝と称したという英雄です。また、法治主義をとり度量衡など諸制を一新したとか、郡県制度を施行したとか、匈奴を討って黄河以北に逐い万里の長城を増築して平和を実現したという功績もたくさんあります。まぁ、歴史というのは裏表があるということの見事な例でしょうか。

 本書の出だしは「邯鄲<(かんたんの夢」という小題です。このことばの意味は例によって広辞苑より引用しましょう。

 これと始皇帝がどういう関係にあるかというと、秦から趙の人質になっていた異人という人がこのような夢を見たのです。この異人、後に子楚となって秦の嗣子となり秦王となる人物が政の父親なのです。異人は素直に行けばとても嗣子になれるようなポジションではなかったのですが、呂不韋という人物の後ろ盾でついに趙を脱出して秦に帰り皇太子となるのです。
 このあたりの話については宮城谷さんがその作品『奇貨居くべし』に書かれています。ただし、宮城谷さんと安能さんの違いなどもあって興味深いところです。

 元々聡明であった政は6歳で王となりますが、蔡沢という人物の教育を受けます。その中でも法治国家を実現させ、春秋時代に秦を強大な国にした商鞅<(しょうおう(商君)の書いた『商君書』は彼のその後の政策を決定することになります。(商鞅は自分の作った法律によって結局破滅することになるのですが、このあたりは宮城谷さんがその作品『孟嘗君』に書かれています。)
 政は成人した後にも蔡沢の他に、「兵法七書」の一つである『尉繚子<(いりょうし』を書いた尉繚の曽孫である尉繚や韓非にも教えを受けます。特に韓非に対してはその著書を読んで、政は感動し「その著者に会って、語り合うことが出来たら死して悔いはない」とまで言います。しかし、韓非を望み通り招くことが出来るのですが、最終的には毒により殺してしまいます。
 このあたりの解釈も安能さんは始皇帝に対して好意的で、始皇帝が殺したのではないということになっています。韓非は商鞅の例もあり、始皇帝のもとから脱出しようとするのですが、彼と同門であったが能力的にはとても及ばない李斯<(りしという宰相が殺したことにしています。

 国を統一した始皇帝は全てのことを自分でやろうとします。作者は、伝統的に中国の官僚組織は賄賂が認められており、それを法制により押さえつけようとした始皇帝と官僚との争いがあった解釈しています。その争いの中で過労によりその寿命を縮めてしまうのです。このあたりは三国志の諸葛孔明ともイメージが重なります。
 始皇帝の死後、秦帝国は亡びますがこれから先は『項羽と劉邦』の世界につながっていきます。

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