史記 <本紀>

吉田賢抗・著 瀧康秀・編
明治書院 新書漢文大系(17)


 以前に読んだ「史記 列伝」「史記 世家」に続いて「史記 本紀」も読みたかったのですが、なかなか手頃な本が見つかりませんでした。もちろん分厚い専門書は図書館に行けばあるのですが、ちょっと読む気にはなれませんでした。そこで見つけたのが本書でした。
 このシリーズは漢文の書籍をコンパクトにまとめたもので、史記では他に「史記<列伝>」「史記<列伝二>」が刊行されているようです。本書のカバーには以下のように書かれています。

 『史記<本紀>』は、太古の黄帝から漢の武帝までの歴代帝王の事績を活写したものである。「五帝本紀」「夏本紀」「秦始皇本紀」「項羽本紀」「高祖本紀」など12巻から成る。本書では、権力者の活躍と愚行、栄光と悲劇を描いた名文の多い「秦始皇本紀」「項羽本紀」などから、『史記<本紀>』の読みどころとなる箇所を取り上げた。
 ということで、全12巻のうち次の9巻が収められていて、その構成とページ数は以下の通りです。
五帝本紀 7ページ
夏本紀 10ページ
殷本紀 12ページ
周本紀 17ページ
秦本紀 7ページ
秦始皇本紀 40ページ
項羽本紀 61ページ
高祖本紀 22ページ
呂后本紀 8ページ
 このページ数からもわかるように、かなりの内容を端折っています。よくいえばコンパクトにまとめてあります。(笑)
 確かに、始皇帝にまつわることや楚漢戦争の頃の覇者であった項羽については面白い話がたくさんあるのですが、それ以外の部分(あまり小説の題材になっていないようなこと)を期待して読むと、ちょっと欲求不満の残るものでした。

 本書の雰囲気を知っていただくために「項羽本紀」から有名な四面楚歌の場面を紹介しましょう。京劇などでは「覇王別姫」として有名な名場面の一つです。
[本文]項王の軍、垓下<(がいか)><(へき)>す。兵少なく食尽く。漢の軍及び諸侯の兵之を囲むこと数重。夜、漢の軍の四面に皆楚歌するを聞き、項王乃ち大いに驚きて曰く、漢、皆<(すで)>に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人<(そひと)>の多きや、と。項王則ち夜起ちて帳中<(ちょうちゅう)>に飲す。美人有り。名は<()>、常に幸せられて従う。駿馬有り、名は<(すい)>、常に之に騎す。是に於いて、項王乃ち悲歌慷慨<(こうがい)>し、自ら詩を<(つく)>りて曰く、
 力は山を抜き 気は世を<(おお)>う。時利あらず騅<()>かず。
 騅逝かず奈何<(いかに)>かすべき。虞や虞や<(なんじ)>を奈何せん。
と。歌うこと数<(けつ)>。美人之に和す。項王、<(なみだ)>数行下る。左右皆泣き、<()>く仰ぎ視るもの<()>し。

[解釈] 項王は垓下に累壁を築いてこれに拠っていた。しかし、兵力は少なく、食糧はほとんどつきていた。官軍および諸侯の軍は、幾重にもこれを包囲した。夜、項王は漢軍が垓下の四方でみな楚の歌をうたうのを聞いて大いに驚いていった。「漢はすっかりもう楚を手中に収めたのか。これ、なんと楚人の多いことか!」項王は夜起きて本陣の<(とばり)>の中で訣別の酒を飲んだ。美人で、名を虞というものが、常に項王に寵愛されてつき従っていた。駿馬で、名を騅というのがあって、項王は愛して常にこれに乗っていた。項王は悲嘆慷慨して自ら詩を作って歌った、  力は山を抜き 気は世を蓋う。時利あらず騅逝かず。
 騅逝かず奈何かすべき。虞や虞や若を奈何せん。
(動かないものは山、わが力はよくこれを抜く。広大なものはこの世、わが気力はよくこれをも蓋う。然るに、時運われに利あらず、連戦みな敗る。駿馬の騅もまた疲れてゆかず。騅は走らず、どうしようか。虞姫よ、虞姫よ、そなたをどうしたらよいか!!)
と、繰り返して歌うこと数回、美人、虞もこれに和して歌った。項王ははらはらと落涙、左右の臣も皆泣き、よく仰ぎ視るものは一人もなかった。

[背景] ここから、古今の名文として知られる「四面楚歌」の一段である。垓下に立てこもる項羽は、ことごとく漢に囲まれ、夜、故郷の楚の歌が周囲の敵陣から流れてくるのを聞く。楚の兵の多くが漢軍に下り、楚の歌を歌うものが周囲に多くなったのであろう。また、楚歌は策略として漢軍が自軍の兵士に歌わせたとする説もある。いずれにせよ、今日「四面楚歌」は孤立無援の状にたとえる語となった。
 虞美人については、『漢書』「項籍伝」には「姓は虞氏」とあり、虞を名とする『史記』の記述と異なる。「美人」は漢代から明代まで後宮の女官の位であったが、この時は漢朝成立以前なので、「美しい女性」の意かもしれない。虞美人の墓とされるものが安徽省濠州にあるという。墓の盛り土に草が生え、可憐な花が咲いた。これを虞美人草といったと伝えられる。項羽と虞美人の別れついて様々な伝説が生まれ、『史記』の伝える項羽の歌とともに多くの楽曲・戯曲を生み出した。

 こんな感じで[本文][解釈][背景]というセットで書かれています。
 それにしても、こうして読んでみると原文の簡潔で美しいことがよくわかります。う〜ん、なんと日本語で表すことの難しいことよ。(笑)

 

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