(ろうらん)

井上靖 著
新潮文庫


 本書は12編の短編小説集で、それぞれ中国・西域・インド・日本を舞台にしています。作者は『風林火山』など日本の戦国時代を題材にしたものを「時代小説」と呼び、『天平の甍』『敦煌』『蒼き狼』のようなものを「歴史小説」あるいは「史実小説」と呼んでいたそうです。井上さんにはこれらの小説に対する愛着が強かったのでしょう。
 本書に収められている作品のうち、『楼蘭』は歴史小説という分類でしょうが、それ以外は「時代小説」でしょうか。『楼蘭』以外はほとんど20ページ程度の短編です。

楼蘭
 漢と匈奴という強国に挟まれた弱小国楼蘭は匈奴の掠略から逃れるために、住み慣れたロブ湖畔の土地を捨てて鄯善に移り住みます。その人々にとってはロブ湖畔の故地楼蘭は、いつかは帰るべき場所でした。しかし、その数百年後楼蘭を取り戻そうとした鄯善の若い武将がいましたが、そこはすでに砂の中に埋もれてしまっていました。
 この作品はロブ湖畔で若い女のミイラを掘り出したスウェーデンの探検家、ヘディンの『彷徨<(さまよ)>える湖』を題材にしています。ロブ湖は1500年周期で彷徨っているのだそうです。

洪水
 兵一千を率いて西域に向かう索勱<(さくばい)>という武将は砂漠の中で洪水と遭遇します。彼は河に悪鬼が<()>みついているせいだとして戦い、兵の約半数を失いながらも勝利を得ます。これで彼は名声を得るのですが、国許に戻るときに再び洪水と遭遇します。

異域の人
 本作品の主人公は、西域で半生を過ごし見事に治め遂げた後漢の班超<(はんちょう)>が主人公です。王莽の帝位簒奪以来、西域は匈奴の掠略に任されていましたが、班超により漢は西域と道を通じることができました。
 班超の兄、班固は後漢の儒者として『漢書』の撰者として有名な人です。

狼災記
 秦の始皇帝が崩御した後、李斯<(りし)>趙高<(ちょうこう)>が権力を得ますが、国中が混乱してしまいます。長城の一番僻地を守っていた武将、陸沈康もまた尊敬していた将軍蒙恬<(もうてん)>が自殺させられたという報に接し、もはや匈奴と戦うことには意味を持てなくなってしまいました。彼が兵を引き国に帰る途中、不思議な縁で狼になってしまいます。そして、狼となった彼はかつての親友と出会うのです。
 なんとなく中島敦の『山月記』と似ていると思いました。しかし、人間の性と狼の性、『狼災記』の結末は峻烈です。

羅刹女<(らせつにょ)>
 宝州に属する小島に一大鉄城があり、そこには五百の羅刹女が棲んでいました。宝州とは今のスリランカのことのようです。羅刹女たちは美女となって難破人たちを受け入れ歓待し、そして同棲するのですが、男に自分を疎んずる心が見えるとたちまち男を<(くら)>ってしまうのでした。しかし、千日の間人間の心を持ち続ければ人間になれるのでした。そこへソウカラという男を首長とする大船が難破してきます。
 結末では、人間と羅刹女との間で生じる哀しみが印象的でした。

僧伽羅<(そうから)>国縁起
 南印度の小さい王国の王女が隣国へ嫁ぐことになりました。花嫁の行列が山の中で仮営中、異様な生物の咆哮<(ほうこう)>が聞こえてきました。巨大な虎でした。侍衛の者たちはすべて逃げ去り、花嫁だけが取り残されてしまい失神します。そして、十数年後、かつての花嫁は虎と一緒に山中に住み、虎との間に一男一女をもうけて暮らしていました。兄妹はここを逃れて母の生まれた国に帰ろうと言い出します。母は肯んじませんが、むりやり虎のいないすきにそこを抜け出します。虎は妻子を求めて虎災を起こすのでした。
 不思議な物語ですが、この虎に同情してしまうのは私だけ?

宦者中行説
 漢は強大な勢力を持つ匈奴に対して、毎年贈り物をし公主を嫁がせて和親を結んでいました。文帝の時、匈奴の王が死に新しい王が即位することに際し公主を嫁がせることにしますが、その付き添いとして胡地に赴く人物に選ばれたのが中行説でした。中行説は匈奴の王の参謀として献策をし、その勢力を伸ばさしめるのでした。

褒姒<(ほうじ)>の笑い
 周王朝後期、幽王の時代に「笑わない王妃」として国を傾けた褒姒のお話です。
 この話は宮城谷昌光さんの『沈黙の王』の中の『妖異記』と同じ題材です。

幽鬼
 明智光秀は中国遠征へ向かう途中、織田信長に造反するために本能寺に向かいます。その途中、先頭を進む自分の前に一団の兵を見るのですが、他人には見えませんでした。その兵達は光秀がかつて亡ぼした、丹波・八上城の波多野一族の幽鬼たちでした。

補陀落<(ふだらく)>渡海記
 熊野の浜の宮海岸にある補陀落寺の住職、金光坊はこれまでに補陀落渡海した上人たちにならって渡海することになりました。渡海とは言っても、それは入水することを表します。金光坊は当初その気はなかったのに、まわりからのプレッシャで渡海するはめになってしまったのでした。
 金光坊の中に生じる心理的苦悩と、いざ実行するときになっての心のゆらめきが印象的でした。

小磐梯<(こばんだい)>
 明治21年7月に大噴火によって小磐梯と呼ばれていた山が消滅してしまいました。税額の基礎となる耕作面積を調べて、喜多方から檜原まで向かう役人の一団がありました。途中、自殺願望の男女などいろいろの人たちと出会います。

北の駅路
 「私」のもとに未知の人から『日本国東参道陸奥州駅路図』という書物4冊が送られてきます。仕事の忙しい中、この本に魅せられてしまいます。ある日、送り主の鍛冶山兵太から手紙が届きます。そこに書かれていたのは、この書物を巡る不思議な因縁でした。

 楼蘭


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