論語

金谷治・訳注
岩波文庫


 かなり以前に白川静さんの『孔子伝』を読んだあと、『論語』を読みたいと思い、本屋さんで見つけた本書をすぐ購入したのですが、ずっとツンドク状態でした。今回は旅行の友にコンパクトな本ということでやっと陽の目を見た次第です。(笑)
 『論語』といえば、大昔、私が高校生の頃に授業の教材になっていた記憶があります。でも、その当時はなんだか偉そうに・・・という感じで興味も湧きませんでしたが、ウン十年後に自らの意志でこれを読むことになろうとは、世の中わからないものです。

広辞苑より引用

ろんご【論語】
    四書の一。孔子の言行、孔子と弟子・時人らとの問答、弟子たち同士の問答などを集録した書。二○編。学而篇より尭曰篇に至る。弟子たちの記録したものに始まり、漢代に集大成。孔子研究の基本資料。孔子の理想的道徳「仁」の意義、政治・教育などの意見を述べている。わが国には応神天皇の時に百済より伝来したと伝えられる。
 日本を含めて儒教の影響を受けた国では、この論語の中のフレーズにはおなじみのものがたくさんあります。というのも、いろいろな場面でいろいろなことばが引用されることが多いからでしょう。知らず知らずのうちに染みこんでいるのかもしれません。

 「ことばの宝庫」ともいえる本書ですが、いくつかをご紹介しましょう。

 論語 巻第一

  學而第一

 子曰、學而時習之、不亦説乎、
有朋自遠方来、不亦楽乎、
人不知而不慍、不亦君子乎、
子の<(のたま)>わく、学びて時にこれを習う、<()><(よろこ)>ばしからずや、<(とも)>あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずして<(うら)>みず、亦た君子ならずや。

先生がいわれた、「学んでは適当な時期におさらいする、いかにも心嬉しいことだね。[そのたびに理解が深まって向上していくのだから。]だれか友だちが遠いところから訪ねてくる、いかにも楽しいことだね。[同じ道について語りあえるから。]人がわかってくれなくても気にかけない、いかにも君子だね。[凡人にはできないことだから。]」

 子曰、巧言令色、鮮矣仁、
子の<(のたま)>わく、巧言令色、<(すく)>なし仁。

先生がいわれた、「ことば上手の顔よしでは、ほとんど無いものだよ、仁の徳は。」

  為政第二

 子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、 子の<(のたま)>わく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、<(のり)><()>えず。

先生がいわれた、「わたしは一五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった。」

十五 子曰、學而不思則罔、思而不學則殆、 子の<(のたま)>わく、学んで思わざれば則ち<(くら)>し。思うて学ばざれば則ち<(あや)>うし。

先生がいわれた、「学んでも考えなければ、[ものごとは]はっきりしない。考えても学ばなければ、[独断におちいって]危険である。」

  公冶長第五

十六 子謂子産、有君子之道四焉、其行己也恭、其事上也敬、其養民也惠、其使民也義、 子、子産を<(のたま)>わく、君子の道四つ有り、其の己れを行うや<(きょう)>、其の上に<(つか)>うるや<(けい)>、其の民を養うや<(けい)>、其の民を使うや<()>

先生が子産のことをこういわれた、「君子の道を四つそなえておられた。その身のふるまいはうやうやしく、目上に仕えるにはつつしみ深く、人民を養うには情け深く、人民を使役するには正しいやりかたということだ。」


  衛霊公第十五

 子曰、可與言而不與之言、失人、不可與言而與之言、失言、知者不失人、亦不失言、 子の<(のたま)>わく、<(とも)>に言うべくしてこれと言わざれば、人を失う。与に言うべからずしてこれと言えば、<(げん)>を失う。知者は人を失わず、亦た言を失わず。

先生がいわれた、「話し合うべきなのに話し合わないと、あいての人をとりにがす。話し合うべきでないのに話し合うと、ことばをむだにする。智の人は人をとりにがすこともなければ、またことばをむだにすることもない。」


  陽貨第十七

 子之武城、聞絃歌之聲、夫子莞爾而笑曰、割鷄焉用牛刀、子游對曰、昔者偃也、聞諸夫子、曰、君子學道則愛人、小人學道則易使也、子曰、二三子、偃之言是也、前言戯之耳、 子、武城に<()>きて絃歌の声を聞く。夫子<(ふうし)>莞爾<(かんじ)>として笑いて<(のたま)>わく、<(にわとり)><()>くに<(いずく)>んぞ牛刀を用いん。子游<(こた)>えて<()>わく、昔者<(むかし)>偃や<()>れを夫子に聞けり、<(のたま)>わく、君子道を学べば則ち人を愛し、小人道を学べば則ち使い易しと。子<(のたま)>わく、二三子<(にさんし)>よ、偃の<(げん)><()>なり、前言はこれに戯れしのみ。

先生が武城の町に行かれたとき、[儀礼と雅楽を講習する]琴の音と歌声を聞かれた。[儀礼と雅楽は国家を治めるための方法であったから、こんな小さい町に大げさすぎるというわけで]先生はにっこり笑うと、「鶏をさくのに牛切り包丁がどうしているのかな。」といわれた。子游はお答えした、「前に偃(子游のあざな)は先生からお聞きしました、君子(為政者)が道(儀礼と雅楽)を学ぶと人を愛するようになり、小人(被治者)が道を学ぶと使いやすくなるということです。」[どんな人でも道を学ぶべきではありませんか。]先生はいわれた、「諸君、偃のことばが正しい。さっき言ったのはからかっただけだ。」

 こんな感じで[本文][読み下し文][訳文]というセットで書かれています。他にも解説文がたくさん書かれていますが、ここでは省略しました。ただ、この訳文はいただけません。多分、研究者として正確に訳されているのでしょうが、私でももうすこしましな日本語で書けると思います。(でも、相当な意訳になってしまい研究者の方には耐えられないかもしれませんが・・・)

 本書を読んではじめて知ったのですが、論語というのは断片的といってもいいような短い文書の集まりで、「學而」とか「為政」という篇名でさえ内容のまとまったものを示すものではなくて、最初の書き出しのことばをつけただけなのだそうです。逆に、最初から順を追って読む必要はなく、拾い読みするのに向いているかもしれません。
 孔子とか論語とかというとコチコチの堅物というイメージがありますが、中には冗談を言ったりもするし結構人間的なところもあります。ゆっくりと時間をかけてつきあってみると、楽しいかもしれません。

 

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