ローマ人の物語

塩野七生 著
新潮社(全15巻)  新潮文庫(全42巻?)


(2008/8/8 記)
 この本の存在は誰からか聞いて知っていましたが、以下の問題がありこれまで手を出せませんでした。
@全3?巻というボリュームなので挫折する可能性大
Aカタカナの人名や地名が苦手で憶えられない

 でも、人名や地名は憶えられなくても読み進めていけるものです。しかも、読みながら次第にはまっていきます・・・(笑)
 第5巻「ハンニバル戦記」まで読んで、このハンニバル将軍、誰かに似ている・・・という思いが出てきました。孤軍奮闘、しかし本国からの救援なし。戦略で強敵を打ち破るが、最後には敗れてしまう。勝手な印象ですが、三国志の諸葛亮(孔明)と似ているのでは、と思った次第です。とすれば、相手側ローマの将軍スキピオは司馬懿(仲達)か・・・
 ハンニバルの私的なエピソードはほとんど残っていないそうですが、ハンニバルに同行していたシレヌスの記録を参考にしたという、リヴィウスの著作の一箇所に残されているそうです。
 このハンニバルとスキピオ、雌雄を決したザマの戦いのあと数年後に偶然出逢ったそうです。その時に交わされた会談の内容が残されています。12歳年長のハンニバルに対し、スキピオは言葉遣いもていねいに話しかけました。
 著者はスキピオはハンニバルの「最高の弟子」と言われています。ただ、ハンニバルの最大の誤りはローマ連合の解体を可能だと考えていたこと。しかもその不幸はスキピオという優れた弟子が相手側に出てしまったことだと。
 できたばかりの片田舎ローマ。そして、次第に強大になっていくところに現れたハンニバル。いやぁ、面白いです。

1.ロ−マは一日にして成らず 上・下
第1巻 前753年、一人の若者ロムルスと彼に従う3千人のラテン人によりローマは建国された。
7代続く王政の下で国家としての形態をローマは整えてゆくが、前509年、共和政へ移行。
その後、成文法制定のために先進国ギリシアへ視察団を派遣する。
ローマ人は絶頂期のギリシアに何を見たのか―。
比類なき大帝国を築きあげた古代ローマ。
その一千年にわたる興亡の物語がいま幕を開ける。
第2巻 ギリシアから視察団が戻り、前449年、共和政ローマは初の成文法を発表。
しかしその内容は平民の望むものとは程遠く、貴族対平民の対立の構図は解消されなかった。
近隣諸族との戦闘もさらに続き、前390年夏にはケルト族が来襲、ローマで残虐のかぎりをつくす。
建国以来初めての屈辱だった。
ローマはいかにしてこのどん底から這い上がり、イタリア半島統一を成し遂げるのか。
2.ハンニバル戦記 上・中・下
第3巻 紀元前三世紀後半、イタリア半島を統一したローマは、周辺諸国にとって無視できない存在になっていた。
そのローマに、紛争絶えないシチリアの小国が救援を依頼。
ローマは建国以来初めて、海を渡っての兵の派遣を決める。
しかしそれは、北アフリカの大国カルタゴとの対決も意味していた―地中海の覇権を巡って争われ、戦争史上に残る大戦「ポエニ戦役」、その前半戦を描く。
第4巻 ローマを相手に思わぬ敗北を喫した大国カルタゴで、一人の青年が復讐を誓った。
その名はハンニバル。
スペインから象と大軍を率いてアルプスを越え、彼はイタリアに攻め込んだ。
トレッビア、カンネ…知略と戦術を駆使し、次々と戦場で勝利を収める。
一方、建国以来最大の危機に見舞われたローマは、元老院議員でもない若者スキピオに命運を託した―冷徹な筆致が冴える大戦記。
第5巻 一時はローマの喉元に迫る勢いを見せたカルタゴの将軍ハンニバルだったが、ローマの知将スキピオのスペイン攻略に恐れをなした本国から帰還命令を受ける。
それを追うスキピオ。
決戦の機運が高まる中、ハンニバルからの会談の提案が、スキピオの元に届けられた―一世紀以上にわたる「ポエニ戦役」も最終局面に突入。
地中海の覇権の行方は?そして二人の好敵手の運命は。


(2008/9/7記)
塩野さんの視点でおもしろいな、と感じる記述にときどき出会います。以下、第7巻「ポンペイウスの時代」に書かれている奴隷制度に関する考察です。
 次は第13巻「3月15日」、カエサルが暗殺された後、神されるという事件に関する記述です。
 神にされたカエサルについて、キリスト教に影響を受けている人々の感じ方と、日本人のような多神教の人の感じ方の違いが面白い。
3.勝者の混迷 上・下
第6巻 紀元前2世紀半ば、強大国であったカルタゴを滅亡させ、ローマは地中海世界の覇者と呼ばれるようになっていた。
しかしそのローマも次第に内部から病み始める。
名将スキピオ・アフリカヌスの孫であり、若き護民官となったティベリウス・グラックスは、改革を断行すべく、強大な権力を握る元老院に挑戦するが、あえなく惨殺される。
遺志を継ぎ護民官となった弟ガイウスの前にも「内なる敵」は立ちはだかる。
第7巻 前一世紀初頭、ローマは内外で混迷の度を深めていた。
同盟者戦役に続き、小アジアではミトリダテス戦役が勃発、ローマも内乱状態に陥る。
戦役に勝利した名将スッラは反対派を一掃。
前81年、任期無期限の独裁官に就任し、ローマの秩序再建のため、国政改革を断行する。
しかし「スッラ体制」は彼の死後間もなく崩壊。
この後登場するポンペイウスは、ローマの覇権拡大を果たしたが…。
4.ユリウス・カエサル ルビコン以前 上・中・下
第8巻 紀元前100年、ローマの貴族の家に一人の男児が誕生した。
その名はユリウス・カエサル。
共和政に幕を引き、壮大なる世界帝国への道筋を引いた不世出の創造的天才は、どのような時代に生まれ、いかなる環境に育まれたのか。
古代から現代までの、歴史家をはじめとする数多の人々を魅了し続けた英雄カエサルの「諸言行」を丹念に追い、その生涯の全貌を鮮やかに描き出した、シリーズの頂点をなす一作。
第9巻 長き雌伏の時を経たカエサルが「陽の当たる道」を漸く歩みはじめた頃、ポンペイウスは既に地中海全域を覇権下に収めていた。
カエサルもスペイン統治を成功させ、危機感を強めた「元老院派」は両者の排除を図ろうとする。
しかしクラッススを加えた三者は「三頭政治」の密約を交わし、カエサルは41歳で執政官に就任。
ついに国家大改造に着手し、さらなる野望実現のため、ガリアへと旅立つ。
第10巻 ガリアの諸部族の粘り強い抵抗に苦しみながらも、8年にわたる戦役を制し、ついにカエサルは悲願のガリア征服を成し遂げる。
しかしその間、パルティアではローマ軍が敗北し、軍を率いていたクラッススが死亡。
「三頭政治」の一角は崩れ、カエサル打倒を誓う「元老院派」はこの機に乗じてポンペイウスの取り込みを図る。
新秩序樹立のためのカエサルの壮絶なる孤高の戦いが再びはじまる。
5.ユリウス・カエサル ルビコン以後 上・中・下
第11巻 軍の即時解散と帰国を命ずる「元老院最終勧告」を突きつけられたカエサルは、国賊と呼ばれるのを覚悟で、自軍とともにルビコンを越える。
「カエサル渡河、南進中」との報はローマを震撼させ、ポンペイウスと「元老院派」議員の多くが首都ローマを脱出する。
間もなくカエサルはイタリア半島を掌握。
ポンペイウスはギリシアで迎撃に備える。
ローマ世界全域で、両雄の覇権をめぐる戦いの火蓋が切られようとしていた。
第12巻 カエサルは、ギリシアでのポンペイウスとの直接対決に勝利し、地中海のほぼ全域を掌握する。
しかし首都ローマでは、カエサルの片腕アントニウスの失政により、兵士の従軍拒否、経済停滞という事態が生じていた。
帰国後カエサルは巧みな手腕でこれを解決。
北アフリカとスペイン南部で相次いで蜂起したポンペイウス派の残党をも制圧する。
その間にも、新秩序樹立のために数々の改革を断行していくのだが…。
第13巻 前44年3月15日、ローマ都心のポンペイウス回廊で、ブルータスら十四人の元老院議員にカエサルは暗殺される。
地中海全域を掌握し、迅速に数々の改革を断行、強大な権力を手中にして、事実上、帝政を現実のものとした直後のことだった。
カエサル暗殺の陰で何が起こっていたのか。
カエサル亡き後の帝国を誰が継承するのか。
そして、カエサルの遺した壮大なる世界国家の構想は、果して受け継がれていくのだろうか。

(2008/12/7記)
 「パクス・ロマーナ」とは「ローマの平和」という意味です。カエサル亡き後、彼の養子オクタヴィアヌスが緻密な戦略で帝政の実現をし、国力が充実して戦乱や内乱が続いていたローマにしばしの平和が訪れていました。  オクタヴィアヌスが政敵アントニウスを滅ぼし派手にローマに凱旋したのが29BC、その後アウグストゥスという尊号を受け、そしてゲルマニア侵攻を始めるのが12BCです。結局、ローマ軍にとって一度侵攻したライン川東部から撤退するという恥辱的な結果のままアウグストゥスはAD14に没します。
 ちょうどこの頃にイエス・キリストが生まれたということになっていますが、どうもつじつまが合わないようなのです。
 キリスト教徒の人はこのような疑問に対して目をつぶる、あるいは思考停止してしまうのかもしれません。また、欧米人の帝政を始めたアウグストゥスに対する評価の低さには、このような背景があるのかもしれません。
 いやぁ、キリスト者ではない人にとっては鋭くて気持ちいいですね。(笑)

6.パクス・ロマーナ 上・中・下
第14巻 ユリウス・カエサルが暗殺されてから十五年。
彼の養子オクタヴィアヌスは、養父の遺志に逆らうように共和政への復帰を宣言する。
これに感謝した元老院は「アウグストゥス」の尊称を贈り、ローマの「第一人者」としての地位を認めた。
しかしこの復帰宣言は、カエサルの理想であった「帝政」への巧妙な布石であった―。
天才カエサルの構想を実現した初代皇帝の生涯を通じて、帝政の成り立ちを明らかにする。
第15巻 「帝政」の名を口にせず、しかし着実に帝政をローマに浸透させていくアウグストゥス。
彼の頭にあったのは、広大な版図に平和をもたらすためのリーダーシップの確立だった。
市民や元老院からの支持を背景に、アウグストゥスは綱紀粛正や軍事力の再編成などに次次と取り組む。
アグリッパ、マエケナスという腹心にも恵まれ、以後約200年もの間続く「パクス・ロマーナ」の枠組みが形作られていくのであった。
第16巻 ローマ世界に平和をもたらし、繁栄の礎を築いたアウグストゥスを、人々は「国家の父」と呼ぶようになる。
しかしその彼にも大きな悩みがあった。
後継者を誰にするか―妻リヴィアの連れ子ティベリウスは偉大なる父に反発して一方的に引退。
娘ユリアの息子たちに期待をつないだものの、いずれも若くして死んでしまう。
カエサルの構想した帝政は果してローマに根付くのか。
アウグストゥスの「戦い」は続く。

(2009/1/17記)
 「悪名高き皇帝たち」と題して、ローマに平和が訪れたあとアウグストゥスを継いだ皇帝4人(ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロ)を描いておられます。「悪名高き」と題しているのは、後のローマで歴史を記すタキトゥス、スヴェトニゥスや後世の歴史家らに悪しく描かれたことによります。ネロやカリグラなど、確かにいろいろと批判されるようなことを行っている皇帝もいますが、筆者は必ずしも彼らのすべてを悪くは見ておられません。
 紀元1世紀初頭、現在のイギリス(ブリタニア)はローマの支配下に入り、ローマの「やりかた」が導入されました。その時のローマの政策についてもタキトゥスは「ブリタニア人に自分たちの文化を押しつけ奴隷化した」と批判しています。それに対して筆者は以下のように書かれています。
 このような、これまで歴史で習ってきたようなこととは異なる視点が本書の魅力なのでしょうね。

7.悪名高き皇帝たち 1〜4
第17巻 帝政を構築した初代皇帝アウグストゥス。
その後に続いた、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロの四皇帝は、庶民からは痛罵を浴び、タキトゥスをはじめとする史家からも手厳しく批判された。
しかし彼らの治世下でも帝政は揺らぐことがなく、むしろローマは、秩序ある平和と繁栄を謳歌し続けた。
「悪」と断罪された皇帝たちの統治の実態とは。
そしてなぜ「ローマによる平和」は維持され続けたのか。
第18巻 二代皇帝ティベリウスは、後もカプリからローマ帝国を統治し続け、皇帝としての職責を完璧に全うした。
国体は盤石となり、それを受け継いだ幸運な皇帝が、カリグラだった。
紀元37年、すべての人に歓迎されて登位した若き皇帝に、元老院は帝国統治の全権を与える。
しかし「神になる」ことまでを望んだカリグラは愚政の限りを尽くす―。
政治を知らぬ若者を待ち受けていたのは無残な最期だった。
第19巻 50歳まで歴史家として生きてきたクラウディウスは、突然のカリグラの死により、帝位を継承することになった。
カリグラは、わずか4年の在位の間に、健全だった財政と外政をことごとく破綻させていた。
クラウディウスはまず、地に落ちていた帝政への人々の信頼を回復することから始め、問題を着実に解決していく。
しかしこのクラウディウスには“悪妻”という最大の弱点があった。
第20巻 紀元54年、皇帝クラウディウスは妻アグリッピーナの野望の犠牲となり死亡。
養子ネロがわずか16歳で皇帝となる。
後に「国家の敵」と断罪される、ローマ帝国史上最も悪名高き皇帝の誕生だった。
若く利発なネロを、当初は庶民のみならず元老院さえも歓迎するが、失政を重ねたネロは自滅への道を歩む。
そしてアウグストゥスが創始した「ユリウス・クラウディウス朝」も終焉の時を迎える…。

(2009/2/8記)
 帝政で軌道に乗ってきた感のあるローマでしたが、ネロの政治により混乱がはじまり、ついには内戦状態に陥ります。そして、その混乱に乗じて属州民の独立宣言や反乱、周辺部族の侵入などが起こります。ローマはどのようにしてその危機を克服していったのか、現代と比べてもなかなか興味深いところです。
 ローマの政治体制を筆者はわかりやすく現代の企業に例えておられます。
 また、筆者の歴史に対する思いを書かれている部分があります。教科書などには絶対書かれていないことでしょうが、興味深く、個人的に同感の思いを強くしましたので紹介しましょう。
 このあと、ローマ史上最高の統治者は何と言ってもカエサルとアウグストゥスであるといい、この後につづいたティベリウスとクラウディウスも歴史家たちには悪帝と断じられたが相当な名誉挽回が可能になる、と書かれています。また、悪名高き皇帝の典型とされたネロについては、外交面では功績が大きいが、内政面ではローマ人の心情に反したことを断行して誤りを犯した、と論じられています。
 歴史はこれがあるからおもしろいのですね。

8.危機と克服 上・中・下
第21巻 失政を重ね帝国に混乱をもたらしたネロが自死した翌年(紀元69年)、ローマには三人の皇帝が現れては消えた。
ガルバ、オトー、そしてヴィテリウス。
初代皇帝アウグストゥスの血統ではない彼らに帝国の命運が託されたが、傲岸、生硬、怠惰という各人の性格に由来する統治力のなさが露呈、いずれも短期間で破滅した。
さらにその間、軍団同士が争う内戦状態に突入し、帝政始まって以来の危機的状況に陥る。
果たしてローマ人はこれをいかに乗り越えたのか。
第22巻 三人の皇帝が相次いで倒れ、帝政ローマの統治機構に制度疲労が生じ始めていた頃、それを裏付けるように、辺境で異民族の反乱が勃発した。
西方のゲルマン系ガリア人が独立を宣言したのだ。
一方、東方ではユダヤ人が反抗を続け、帝国は一層窮地に立たされる。
この苦境の中に帝位へ登ったヴェスパシアヌスは、出自にも傑出した才能にも恵まれていなかった。
しかし時代が求めた別の資質、「健全な常識人」を武器に、彼は帝国再建に力を注ぐ。
第23巻 ヴェスパシアヌスの長男として皇位に就いたティトゥスは誠実を身上とし、ヴェスヴィオ山の噴火によるポンペイの全滅、そして首都ローマの火災という惨事にも対策を怠らなかった。
しかし、不運にも病に倒れ、その治世は短命に終わる。
続いて皇帝となった弟ドミティアヌスは、死後「記録抹殺刑」に処せられる。
帝国の統治システムを強化し、安全保障にも尽力したにもかかわらず、なぜ市民や元老院からの憎悪の対象になったのか。

(2009/3/1記)
 紀元2世紀、ついにローマは絶頂期を迎えます。後世の人はこの時代を「五賢帝時代」と呼びますが、当時の人々でも「Saeculum Aureum(黄金の世紀)」と呼んでいたのだそうです。
 何度か紹介しましたが、「ローマ皇帝」というのは東洋のものとはかなり異なっていて、どうも日本人の私には最初ピンときませんでしたが、次第にわかってきました。著者は「古代ローマの君主論=vという章を設けて、執政官になった小プリニウスが元老院でおこなった就任時の演説について書かれています。
 当時のローマ軍は強く、戦争でもほとんど負けていません。反乱を起こしたユダヤ人がそのローマ軍のことを書き残しています。長い文なので引用は省略しますが、要するに
 いろいろと考えさせられるものがたくさんあります。

9.賢帝の世紀 上・中・下
第24巻 紀元2世紀、同時代人さえ「黄金の世紀」と呼んだ全盛期をローマにもたらしたのは、トライアヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウスの三皇帝だった。
初の属州出身皇帝となったトライアヌスは、防衛線の再編、社会基盤の整備、福祉の拡充等、次々と大事業を成し遂げ、さらにはアラビアとダキアを併合。
治世中に帝国の版図は最大となる。
三皇帝の業績を丹念に追い、その指導力を検証する一作。
第25巻 トライアヌスの後を継ぎ皇帝となったハドリアヌスは、就任直後、先帝の重臣を粛清し、市民の信頼を失っていた。
しかし大胆な政策や改革を実施することにより人気を回復。
そして皇帝不在でも機能する組織固めを確実にしたハドリアヌスは紀元121年、念願の帝国視察の大旅行に旅立つ。
目的は帝国の安全保障体制の再構築にあった。
治世の三分の二を費やした、帝国辺境の旅。
それを敢行した彼の信念とは・・・。
第26巻 安全保障の重要性を誰よりも知っていたハドリアヌスは、治世の大半を使って帝国の辺境を視察し続け、帝国の防衛体制を磐石なものとした。
しかしその責務を無事終えローマに戻ったハドリアヌスは、ローマ市民の感覚とは乖離する言動をとり続け、疎まれながらその生涯を終える。
そして時代は後継者アントニヌス・ピウスの治世に移るが、帝国全域で平穏な秩序は保たれ続けた。
それはなぜ可能だったのか。

(2009/3/29記)
 本書はこれまでのものと異なり、ローマの歴史を追っていくものではありません。「はじめに」で著者は以下のように書かれています。
 ということで著者は調べはじめましたが、これに関する研究結果が見つかりません。というのも、ローマ人の考えていた「インフラ」は街道・橋・水道から円形競技場・公衆浴場などのいわば「ハード」というべき建造物があり、それに加えて安全保障・治安・税制から医療・教育などの「ソフト」というべきシステムが含まれているため、対象が極めて広く、これらを統合して論じることが難しく、しかも研究ということでは非常に専門化が進んでおり、個別の研究は行われているのですが、筆者の求めるような研究がなされていないということです。

 本書はこれまでのものと違い、写真がたくさん掲載されています。まるでガイドブックのようで「イタリアに行きたい病」を煽ってくれます。(笑) ちょっと紹介すると、
巻頭カラー写真:アッピア街道、各地で築かれたローマ街道、全長6mの地図「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」、クラウディア水道、各地で築かれた水道、イタリアの遺跡(フォロ・ロマーノ、紀元前六世紀及びコンスタンティヌス帝時代のローマ復元模型、ローマ市内の遺跡、ローマ市内の橋、ナポリ近郊の遺跡、カプリ島の遺跡など)
巻末カラー写真:属州のインフラ(スペインの遺跡、北アフリカの遺跡、ガリア(フランス・ドイツ)の遺跡、イギリスの遺跡など)

10.すべての道はローマに通ず 上・下
第27巻 古代ローマの歴史には多くの魅力的な人物が登場するが、もう一つ、忘れてはならない陰の主役が、インフラストラクチャーである。
「人間が人間らしい生活を送るためには必要な大事業」であるとその重要性を知っていたローマ人は、街道を始め様々な基礎的システムを整備してきた。
現代社会にとっても欠くことができないこれらのインフラは、すべてローマに源を発している。
豊富なカラー図版も交え、ローマの偉大さを立体的に浮かび上がらせる。
第28巻 広大な版図に街道網を整備し、「インフラストラクチャーの父」とも讃えられる古代ローマ人。
しかし、彼らが重視したのは、いわゆる公共事業的なインフラだけではない。
教育や医療といった「ソフトなインフラ」においても、ローマは他の民族に先駆けて様々な制度を確立していた。
「ローマによる平和」を人々が享受できた背景には、これらの社会基盤の充実があったのだ。
1千年の栄華を誇った古代ローマ、その繁栄の秘密が明らかになる。

(2009/4/29記)
 カエサルが設計図を書き、アウグスツゥスとティベリウスが構築したといわれるローマ帝国も、3百年を経ていよいよきしみが出てきました。パクス・ロマーナ(ローマの平和)を謳歌していた帝国にはこれまでも危機が迫ったことがあり、そのたびに乗り越えてきましたが、いよいよそれも難しくなってきました。

 ローマ帝国の歴史で興味深いのは、彼らの宗教観です。日本人の多くは仏教の信者でもり、かというと正月には近所の神社に詣り、結婚式はキリスト教の教会で挙げて神に誓ったりもします。つまり信仰の対象にはこだわらないという感じで、これがキリスト教以前の古代ローマの人々に近いようなのです。
 紀元2世紀中頃、疫病の流行と北方から迫る蛮族の脅威はローマ人の心に重くのしかかっていたので、皇帝マルクスはこれを一新するために神々への祈願をこめた祭儀を大々的に挙行します。ただし、この「祈願」というのは、神々に向かって「この不幸から救って下さい」というものではなく、「この不幸から脱出するためにわれわれ人間は懸命の努力を払うから、どうぞ、神々も、このわれわれを助けて下さい」というものでした。これに対して、一神教のキリスト教徒は参加しませんでした。
 ついに文庫として出版されている本(34巻)をすべて読んでしまいました。単行本としては「15.ローマ世界の終焉」というものが最終巻のようですが、このところの文庫版の出版は年に1回のようで、このペースだと最終巻は2011年でしょうか?
 単行本は「通勤の友」にするにはちょっと重いので、このあと単行本に行くかどうか思案どころです(笑)

11.終わりの始まり 上・中・下
第29巻 2世紀後半、五賢帝時代の最後を飾る皇帝マルクス・アウレリウスが即位した。
弟ルキウスを共同皇帝に指名した彼に課されたのは、先帝たちが築き上げた平和と安定を維持することであった。
だがその治世は、飢饉や疫病、蛮族の侵入など度重なる危機に見舞われる。
哲学者としても知られ賢帝中の賢帝と呼ばれた彼の時代に、なぜローマの衰亡は始まったのか。
従来の史観に挑む鮮烈な「衰亡史」のプロローグ。
第30巻 弟ルキウスの死後、単独の皇帝として広大や帝国を維持すべく奮闘するマルクス・アウレリウス。
その後半生は蛮族との戦いに費やされ、ついにはドナウ河の戦線で命を落とすという運命を辿る。
さらにマルクスは、他の賢帝たちの例に従わず、後継者に実子コモドゥスを指名していた。
そしてこれが、コモドゥス即位後の混乱を生む土壌となる―「パクス・ロマーナ」はもはや過去のものとなってしまうのか。
第31巻 失政を重ねたコモドゥスは暗殺され、ローマは帝位を巡って5人の武将が争う内乱に突入した。
いずれもマルクス・アウレリウスの時代に取り立てられた彼らのうち、勝ち残ったのは北アフリカ出身のセプティミウス・セヴェルス。
帝位に登った彼は、軍を優遇することで安全保障体制の建て直しを図る。
だがそれは、社会と軍との乖離を促すものでもあった。
衰亡の歯車は少しずつその回転を早めていく。
12.迷走する帝国 上・中・下
第32巻 建国以来、幾多の困難を乗り越えながら版図を拡大してきた帝国ローマ。
しかし、浴場建設で現代にも名前を残すカラカラの治世から始まる紀元三世紀の危機は異常だった。
度重なる蛮族の侵入や同時多発する内戦、国内経済の疲弊、地方の過疎化など、次々と未曾有の難題が立ちはだかる。
73年の間に22人もの皇帝が入れ替わり、後世に「危機の三世紀」として伝えられたこの時代、ローマは「危機を克服する力」を失ってしまったのか。
第33巻 現れては消える軍人皇帝。彼らはローマを救えるのか。
カラカラ帝が東方遠征の最前線で、警護隊長の手によって殺害されるという事件が起こって以降、兵士たちによる皇帝謀殺が相次ぎ、元老院に議席を持たない将官出身の「軍人皇帝」が次々に現れては消える、危機の時代が続く。
かくしてローマは政略面での継続性を失い、ついにはペルシアとの戦いの先頭に立っていた皇帝ヴァレリアヌスが敵国に捕縛されるという、前代未聞の不祥事がローマを襲う。
帝国の衰亡はもはや誰の眼にも明らかだった。
第34巻 混沌へと向かう帝国をキリスト教が静かに侵食する。
疫病の流行や自然災害の続発、そして蛮族の侵入といった危機的状況が続く中、騎兵団長出身のアウレリアヌスが帝位に就く。
内政改革を断行するとともに、安全保障面でも果断な指導力を発揮し、パルミラとガリアの独立で三分されていた帝国領土の再復に成功。
しかし、そのアウレリアヌスも些細なことから部下に謀殺され、ローマは再び混沌のなかに沈み込んでいく。
のちに帝国を侵食するキリスト教も、静かに勢力を伸ばしつつあった。

(2009/5/24記)
 文庫版を読み終えたところで単行本を読むかどうか、ちょっと悩んだのですが、結局読み始めることにしました。本自体は大きく、重たいのですが字はちょっと小さめで老眼の読者には優しくありませんが、しかたがない・・・(笑)

 政治方針の誤りとゲルマン蛮族のたび重なる侵入などで、国力が落ちパクス・ロマーナ(ローマの平和)は遠い過去のことになりつつありました。そこへ登場したのは軍隊たたき上げですが皇帝になるまでの経歴はほとんどわかっていないディオクレティアヌスでした。彼は蛮族の侵入に対応して4人の皇帝がそれぞれ担当地域の防衛にあたるという「四頭政」体制を作りました。4人の皇帝といってもその関係は平等ではなく、東の正皇帝が実際には帝国全体に関わることを決め、西の正皇帝と東西の副皇帝は主に防衛をまかされている、という感じでした。この体制で防衛はうまくまわっていきましたが、結局内紛のもとになってしまいました。
 内紛を収めて唯一の皇帝となったのは、キリスト教から「大」をつけて呼ばれることになるコンスタンティヌスでした。この頃から、キリスト教がその勢力を拡げていきます。

 実際に旅行して目にしたものが出てくると、思わず引きずり込まれてしまうもので、「ディオクレティアヌス浴場」の項を読んでいた時がまさにそのような状態でした。
 この一文を読んで驚かされました。ローマ時代の「大浴場」ってそのスケールは半端ではありません。ここに書かれている共和国広場って、先日の旅行時、このあたりを何度も行ったり来たりしていたのです。上は本書に載っていた図ですが、現在の地図と重ねて当時の浴場が書かれていますので、そのスケールが実感できます。

13.最後の努力
単行本
第13巻
ローマが「ローマ」でなくなっていく
―帝国再建を目指した二人の皇帝、だがその努力が、逆に衰亡へと拍車をかける。
塩野七生が描く新たな「衰亡史」、いよいよ核心へ。
第1章 ディオクレティアヌスの時代(紀元284年‐305年)(迷走からの脱出、「二頭政[ディアルキア]」、「四頭政[テトラクキア]」ほか)
第2部 コンスタンティヌスの時代(紀元306年‐337年)(「四頭政」崩壊、皇帝六人、首脳会談ほか)
第3部 コンスタンティヌスとキリスト教(雌伏の時期、表舞台に、「ミラノ勅令」ほか)

(2009/5/31記)
 長い道のりでしたが、いよいよ最後が近くなってきました。4世紀後半、ローマ帝国に対し多くの研究者が「もはやローマではない」といっているそうです。確かに、ここまで読んでくると、これまでの「はつらつ」とした感じのローマから重苦しい感じの「中世」ヨーロッパの世界になってきたような感じを受けます。

 ローマ時代に作られた建物や彫像などがこの時期に破壊されてしまったのは、私から見るととても残念です。遺跡として観光名所になっているコロセウム(コロッセオ、円形競技場)やパンテオン、ローマ水道などを見れば、破壊されなければ今日までもかなりのものが残存していると思われます。キリスト教の教会になったため保存されたパンテオンはすばらしいものですが、現在では石がむき出しで遺跡のようになってしまっているコロセウムも、当時は外周には大理石が使われていたそうですが、教会を造るために持ち去られたのだそうです。
 これらの建造物についていえば、決して権力者が民衆を駆り立てて造らせたものではないというのがアジアやエジプトなどとは違うところです。(3世紀までの)ローマ帝国の主権者は長い間市民と元老院であり、最高権力者である皇帝にしても彼らの委託を受けて統治する存在でした。建造物には皇帝や有力者などそれを作らせた人物の名前が冠されていますが(「カラカラ浴場」など)、これは私財により建造したものを市民にプレゼントしたものなのだそうで、感謝の意味でその人の名を冠したのだそうです。
 あと、ギリシア・ローマの彫像は、4世紀後半以降キリスト教以外は「邪教」とされたたため、ギリシアやローマの神々を表しているということで破壊されたり川に投げ込まれたりしてかなりのものが破損したのだそうです。ただ、それにしては残存しているものが多いということで、塩野さんは愉快な仮説を立てておられます。
 著者もたびたび書かれていますが、元来多神教の民族である日本人にはローマの人々と通ずると思われるようなことがたくさんあります。日本の神様の数は八百万[やおよろず]といわれていますが、ローマには30万の神様が祭られていたそうです。しかも、その時々によって詣る対象はちがうなんて、本当にそっくりです。
 しかし、4世紀後半以降はキリスト教の世界になります。市民や元老院から主権を奪った皇帝でさえも司教の前にひざまずくようになります。そして、周辺蛮族からの圧力はますます強まってきます。
・・・次巻を乞うご期待(笑)

14.キリストの勝利
単行本
第14巻
ついにローマ帝国はキリスト教に呑み込まれる。
四世紀末、ローマの針路を大きく変えたのは皇帝ではなく一人の司教であった。
帝国衰亡を決定的にしたキリスト教の国教化、その真相に迫る。

第1部 皇帝コンスタンティウス(在位、紀元337年‐361年)(邪魔者は殺せ、帝国三分、一人退場 ほか)
第2部 皇帝ユリアヌス(在位、紀元361年‐363年)(古代のオリエント、ササン朝ペルシア、ユリアヌス起つ ほか)
第3部 司教アンブロシウス(在位、紀元374年‐397年)(蛮族出身の皇帝、フン族登場、ハドリアノポリスでの大敗 ほか)

キリスト教によるローマ帝国の乗っ取り――それはいかにして成されたのか。 
キリスト教を公認した大帝コンスタンティヌスの死後、その親族を襲ったのは血なまぐさい粛清であった。生き残った大帝の甥ユリアヌスは、多神教の価値観に基づく寛容の精神と伝統の復活を目指した。だが、その治世は短命に終わり、キリスト教は遂にローマ帝国の国教の座を占めるに至るのだった。激動の時代を新たな視点で描く必読の巻。

(2009/6/13記)
 ついにローマ世界の終焉が訪れます。その最後は、誰も気付かないような終わりかたで、すでにかつてのローマ帝国の面影はないものの、千年以上の時間を刻んできた一つの歴史のおわりでした。
 この部分のみを引用しても、理解することはむずかしいかもしれませんが、著者の塩野さんはローマがローマでなくなった時をローマ帝国の滅亡と言われています。もう何十年も蛮族に支配されていましたが、紀元476年の9月某日に都市ローマは火災や阿鼻叫喚に包まれてではなく、その意味を亡くしたのでした。
 なんだかちょっと寂しい最後でしたが、後世にあれだけのものを遺した「ローマ帝国」にはふさわしかったのかもしれません。(無常観?)

 最後の最後にきて、一人の英雄が現れます。彼の名はスティルコ。
 もう、ほとんど潰れかかっている西ローマ帝国を一人で奮闘し支え、そして、結局は皇帝に殺されてしまいます。なんだか、古代中国にも同じようなイメージの人がいたような気がします。漢の劉邦の偉業の最高殊勲者であったのに、殺されてしまう韓信や、『三国志』に登場する諸葛亮とダブってしまいました。
 彼は蛮族出身でありながら、「最後のローマ人」と呼ばれています。逃げることばかり考えている少年皇帝を支え、北アフリカやガリアの蛮族に立ち向かいます。なぜ、それほどまでに・・・と思いますが、それは前皇帝テオドシウスとの約束があったからだそうなのです。ローマ人は信義を重んじますが、彼が蛮族出身であっても信頼し取り立ててくれたオドシウス帝の最後の時に約束した「息子(ホノリウス)を支える」という約束を律儀に守ったのです。その結果、当の本人に殺されてしまうという悲劇の人でした。かれの活躍しているときの筆者の思いを書かれています。
 皇帝取り巻きの宦官の陰謀により、国家反逆罪を被せられてスティリコは斬首刑となってしまいます。ホノリウスの治世は28年にわたるものでしたが、この皇帝が自分で決めたのはスティリコの処刑のみだったそうです。

15.ローマ世界の終焉
単行本
第15巻
ローマはいつどのようにして滅んだのか。
1千3百年に及ぶ巨大帝国の興亡のドラマを描き尽くした最高傑作シリーズ、ここに完結。

第1部 最後のローマ人(紀元395年‐410年)(東西分離、ローマ人と蛮族、将軍スティリコ ほか)
第2部 ローマ帝国の滅亡(紀元410年‐476年)(覇権国の責務、進む蛮族化、「三分の一システム」 ほか)
第3部 「帝国以後」(紀元476年‐)(オドアケル、共生路線、ブリタニア・「帝国以後」 ほか)

「ローマの滅亡」という世界史上最もスリリングな事件の解明に新しい視点で挑む!

【おまけ】
本書には上記の他、イタリア語・フランス語・スペイン語・ドイツ語が併記されていますが省略しました。

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