歴史を考える 司馬遼太郎対談集

司馬遼太郎 他
文春文庫


 古本屋さんで本書を見つけたのですが、値段も手頃だったのですぐに買い求めました。司馬遼太郎さんといえば、「読みたい本リスト」にはたくさんの作品を載せているのですが、なかなか手が出ずに溜まりっぱなしになっていまして、ちょっと気になっているところです。
 さて、本書の裏表紙にはこのように宣伝文句が書かれています。なかなかそそる<(・・・)>名文句ではありませんか。
 日本の歴史を考えること、それは現在の、そして未来の日本を知るための一番確かな方法であろう。歴史に造詣の深い萩原延壽、山崎正和、綱淵謙錠各氏と歴史小説の巨匠が、談論風発のうちに、千数百年に亙るわが国の政治、文化の特殊性を模索し、その底に流れる原理を探り、本質に迫らんとする豊かな内容と示唆に富んだ対談集
 目次は以下の通りです。
 4編の対談はどれもおもしろいものでしたが、そのなかでも興味深くおもしろかったのは綱淵さんとの対談「敗者の風景」でした。幕末〜明治時代に「敗者」となった日本人の行動・考え方などを取り上げて分析しています。
 いろいろな「敗者」について語られていますが、その中でも明治維新での敗者としての会津藩についての話が興味深い。東北第二の大藩である会津藩に対して、戊辰戦争の戦後処分として明治政府から猪苗代または陸奥の北部の3万石を賜るという内示がありました。地元の人はたとえ小さくなって辛くても猪苗代に残りたいと思うのですが、東京で新政府と交渉をしている人は何かワナがあるのではないかと思う。結局後者を主張する3人の高官の意見が取り上げられ、陸奥の斗南に移住するのですがこの当時の斗南とは米もできないような荒れ地で、藩士たちはとんでもない苦労を強いられます。結局斗南経営は失敗したということで誰かが責任を取らなければならないということになり、上記の3人は3様の責任と取ったのだそうです。
 第一の立場は<朝敵>の汚名を返上し、青天白日の身として藩士が官途につけるようにする。そのためには体制内に入って顕官となり、その中で自己主張をするというものです。山川という人は陸軍少将・男爵となり、『京都守護職始末』という書をまとめて会津藩は朝敵などではなかったということを主張します。
 第二の立場は斗南の地を選んで藩主及び藩士に言語に絶する苦労をかけたのだから、斗南の現実の開拓に一生をかけるというものです。広沢という人は広大な農地兼牧場をつくり、近代牧畜業と酪農業を成功させて斗南の地の開発により自分たちは嘘を言ったのではないということを証明しました。
 第三の立場は<腹を切ってみんなに詫びる>というものでした。永岡という人はこんな過酷な処分をしたのは薩長政府であると考え、どうせ死ぬなら戊辰戦争以来の全会津藩士の怨念を代表して薩長政府を転覆させた上で死のうというところまで考えます。そして「思案橋事件」を起こしました。
 簡単にまとめると以上のような話ですが、本分にはもっといろいろな話があってとても興味深いものでした。

 もう一つ興味深かったのは「敗者の風景」の中で勝者・敗者という分類と強者・弱者という分類でいろいろな人物を取り上げていることです。敗者であり強者であった人物の代表として西郷隆盛を上げ、西郷論を展開しています。この西郷という人は本書の中で何度も取り上げられており、とても興味深い人物であることがわかりました。私はこの人物のことをあまり知らなかったのですが、司馬遼太郎さんにとっては未完の題材だったようです。つまり、奥が深すぎて書けない人物だったようです。なぜ征韓論をあれほどまで主張し、それが取り上げられないとなるとなぜあっさりと野に下ったのか、西南戦争のときにはなぜあれほど杜撰な戦術を取ったのか。
 本書は対談集なのですが、司馬遼太郎さんの博識には舌を巻きます。正当な歴史の知識だけでなく、裏話的な「雑学」の豊富さには驚かされました。それらのバックグラウンドがあって、あのすばらしい作品を書けたのだということを実感しました。
 歴史を考える 司馬遼太郎対談集

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