王昭君

藤 水名子 著
講談社文庫


 王昭君は古代中国の四大美女の一人といわれ、悲劇のヒロインとして京劇などでも取り上げられています。私が知っているのは、以下のような伝説です。(ちょっと怪しいですけど)

 漢の後官には宮女が多くいたので、皇帝はその相手をさせる宮女を選ぶため、絵かきに女性達の肖像を描かせました。女性たちは美しく描いてもらい、皇帝の相手ができるように、その絵かきに賄賂を贈りました。しかし、王昭君は自分が美人だと思っていましたし、貧しかったので賄賂を贈りませんでした。それで絵かきはわざと王昭君を醜く描きました。
 そのころ勢力の強かった匈奴に対して、漢の皇帝は王妃を送ることにより講和を結ぼうとしていました。皇帝は絵を見て一番醜い王昭君を選びました。彼女が匈奴王の嫁ぐ時、皇帝に拝謁しました。皇帝ははじめて王昭君の美しさを知り深く後悔しました。
 匈奴の習慣では、匈奴王が亡くなったのちには妻も含めたすべての財産は新王のものになるのですが、王昭君は息子の妻になるのを嫌って自殺してしまいます。
 広辞苑には以下のように載っています。
おう‐しょうくん【王昭君】ワウセウ‥
前漢の元帝の宮女。名は檣(シヨウ)。昭君は字。元帝の命で前三三年に匈奴(キヨウド)の呼韓邪単于(コカンヤゼンウ)に嫁し、夫の死後その子の妻となったという。のち元の「漢宮秋」などにより、絶世の美人で、胡地にあって怨思の歌を作り、服毒自殺と潤色され伝説化。
 こういう先入観を持って読み始めたのですが、藤さんは見事にその先入観をうち破ってくれました。
 本書では、不幸な話ではありません。小さいときから王昭君は外の世界・広い世界を知りたいという好奇心旺盛な女の子でした。都に出て行くのも郷里の狭い世界に嫌気がさしたからですし、匈奴の地へいくのも後宮という狭い世界に飽き飽きしていた王昭君にとっては楽しみにしていたことになっています。
 上に書いた絵かきのイメージも全然違うものでした。
 元帝はあまりの大勢の宮女の顔が覚えられないため、宮廷画人の毛延寿に宮女たちの似顔絵を描かせ、それを見てその夜幸する相手を選ぶことにします。皇帝の寵を得たいと思う宮女たちは宦官に賄賂を贈り、毛延寿には媚を売っていました。しかし、王昭君は皇帝の寵を得たいと思っていないため、そのままの姿で絵を描いてもらいました。
 それまで同じような美女の絵を描くことに飽き飽きしていた毛延寿は王昭君のとりこになってしまいました。そして、他の官女たちとは違い、自分のすべてをかけてその絵を描くのです。そして、そのことにより自らの命を縮めてしまいます。

 これだけでもそれまでのイメージとは全然違います。そして、匈奴に嫁いでからも全然違っています。(笑)

 匈奴とはゴビ砂漠、現在のモンゴルのことです。その広い世界に行った王昭君は幸せでした。匈奴単于の皇后となり,寧胡閼氏(ねいこあっし)と呼ばれます。寧胡とは胡(匈奴)をやすんずることで、閼氏とは皇后のことです。呼韓邪単于(こかんやぜんう)はその時43歳、その3年後には亡くなってしまいます。  その後、匈奴のしきたりにより息子の若鞮(じゃくてい)単于の妻となります。若鞮単于は深く王昭君を愛していました。そして、王昭君は二人の娘をもうけます。
 王昭君が嫁いでから、漢と匈奴との関係は良好でした。漢の使節団はしばしば訪れ、その中には王昭君の弟も加わっていることもありました。漢では王昭君に対する同情が高まりますが、王昭君は幸せでした。結局匈奴の地で幸せな一生を終えるのでした。


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