女将軍伝

井上祐美子 著
学研M文庫


 最近、中国の明〜清朝を舞台とした本を読んでいます。本書は明末に活躍をして「女将軍」と呼ばれた秦良玉<(しんりょうぎょく)>を主人公として書かれたものです。井上祐美子さんの作品を読むのは初めてでしたが、紹介文によれば「中国ヒロイックファンタジー」というジャンルを切り開いたと書かれています。本書の他にも中国を舞台とした作品を書かれているようです。
 これまで、私もいろいろな英雄が出てくる作品を読んできましたが、秦良玉という人を私は初めて耳にしました。本書は女性の視点で書かれているということか、これまで読んできた英雄伝とはちょっと印象が違っています。 著者のことばとして次のように書かれていますので紹介しましょう。

 日本では中国の女傑というと、武則天、西太后ぐらいしか知られておりません。しかし、数千年に及ぶ中国史では幾多の女性英雄が活躍しています。この作品の主人公・秦良玉は、彼女たちのなかでも抜きんでた存在でした。
 現代よりもずっと女性の地位が低かった時代に男性以上の働きをして、正史に名を残した女将軍の物語。お楽しみいただければ幸いです。

 舞台は明末ですから、少し前に読んだ司馬遼太郎さんの『韃靼<(だったん)>疾風録』と重なります。この作品は明に取って代った清側の視点で書かれていますが、本書は明の側で書かれていますので、その違いが興味深いです。しかし、どちらの作品でも(明)王朝末期の腐敗ぶりは共通しています。
 これは私の持論(ソンナタイシタモノデハナイ)ですが、中国では王朝が滅ぶときには、もちろん外部の力が必要ですが、それ以上に重要なのは君主の暗愚に乗じた宦官や官吏の横暴・または君主自身の暴虐など内部の腐敗です。中国の人々も正義のヒーローを待望していたのでしょう、水滸伝岳飛伝などが好まれてきました。本書には岳飛伝に近いものを感じます。

 本書は秦良玉は朝廷でこれまで挙げた武功に対する顕彰を受けるシーンで始まります。そして、彼女はこれまでのことを回想するのですが、何か割り切れないものを感じます。
「この手で、<(わたし)>は何をしてきたのだろう」
「妾の一生は、なんだったのだろう」

 その気持ちは、彼女がこれまで忠誠を尽くしてきた相手(朝廷)が本当に忠誠を尽くすべき対象なのか、朝廷のために忠誠を尽くしても民衆のためになるのだろうかという疑問から来ていました。物語の中に、反乱を起こした側の女性が自分の子供を火傷させ、官軍の様子を調べるために賊にやられたと言って近づいてくる、というシーンがありました。官軍の将は彼女を斬れと言いますが、秦良玉は彼女がスパイだと思っていても、彼女を助けます。その夜、果たして賊軍の襲撃を受けますが、それをうち破ってみると、賊軍を率いていたのは義弟の妻で叛乱軍の親玉の娘でした。結局、官軍であっても叛乱軍であっても、苦しめられるのは民衆であるということです。
 結局、彼女は家族すべてを失ってしまいます。

 この年の冬、良玉の一子、馬祥麟、没。
 闖王<(ちんおう)>の名を継いだ流賊−農民軍の首領・李自成が北京に迫ると聞き、救援に駆けつける途次だった。襄陽の地で、李自成と結んだ羅汝才にさえぎられ、戦死したのである。
 その祥麟が、襄陽城が陥ちる直前、母に書簡を送っている。
 「児誓与襄陽為存亡、愿大人勿以児為念」
 ―― 私は襄陽の城と命運をともにする覚悟です。どうか、私のことはご放念くださるように。
 ただ一人の子の、最後のこの手紙に、良玉はこう書き加えた。
 「好、好、真吾児」
 良い子だ、それでこそ、我が子だ ―― ほどの意味であろうか。
 これが、彼女がわが子をほめた、唯一のことばだった。
 そして、このみじかいことばの中に、どれほどの慟哭がこめられていたか、知る者はもはや彼女の周囲にはいなかったのである。

 作者のやさしさからか、ちょっとツメが甘いかなという印象でした。私の好みは、朝廷に巣くう悪い奴はもっと悪く、あくまでも悪く書いた方がいいかな、という感じです。でも、好みは人それぞれですから、井上さんの「中国ヒロイックファンタジー」としてはこれでいいのでしょう。

 女将軍伝


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