燃えよ剣

司馬遼太郎 著
新潮文庫


 浅田次郎さんの『壬生義士伝』から始まった新選組めぐりの第3弾です。本作品は司馬遼太郎さんらしい、「歴史エンターテイメント」という感じの作品で楽しめます。主人公の土方歳三は前に読んだ北方謙三さんの『黒龍の柩』とはちょっとイメージが違っていますが、おそらく一般的な土方像はこちらの方でしょう。
 本作品は数十年前にテレビドラマ化されていまして、大昔に観たことがある人には懐かしいかもしれません。この「燃えよ剣」と「新選組血風録」とがビデオになって出ているようです。

 裏表紙に書かれている紹介文です。

幕末の動乱期を新選組副長として剣に生き剣に死んだ男、土方歳三の華麗なまでに頑な生涯を描く。武州石田村の百姓の子バラガキのトシ≠ヘ、生来の喧嘩好きと組織作りの天性によって、浪人や百姓上りの寄せ集めにすぎなかった新選組を、当時最強の人間集団へと作り上げ、己れも思い及ばなかった波紋を日本の歴史に投じてゆく。「竜馬がゆく」と並び、幕末もの≠フ頂点をなす長編。
 本書に登場する土方歳三は、上の紹介文にあるとおり若い頃は「石田村のバラガキ」と呼ばれるほどでした。バラガキとは茨垣と書き、触れると刺す<(いばら)>のことで、乱暴者をさす隠語です。そのころ、ふとしたいきさつで初めて斬った相手が武州一円の達人とおそれられている人物でした。その事件が後々まで歳三をつけ狙う七里研之助との腐れ縁の始まりでした。その最初の激突は「分倍河原の決闘」です。大勢で待ち受けていたところに歳三と近藤道場の同門だった沖田総司が乗り込み、見事に切り抜けるのでした。
 その後も八王子討ち入りというエピソードがありますが、これは歳三の負け。危ういところで江戸へ逃げ帰ることができました。喧嘩屋といっていますが、その機転の速さ、判断力は素晴らしいものでした。後に会津若松〜箱館と官軍をさんざん苦しめますが、この頃からその才能は芽吹いていたのですね。

 新選組というと、やはり京都です。芹沢鴨や伊藤甲子太郎<(かしたろう)>という身内を粛清するところはかなり恐いです。しかし、そうしなければならなかった背景は本書によってわかりました。
 そして、京都中をおそれさせる「誠」の旗印の新選組はより強力な集団となっていきます。薩長を中心とした歴史観では、新選組は古い考えに固執する集団で、しかも腕が立つからどうしようもなく憎たらしいことになります。しかし、見方を変えると国を思う思いは同じで、その方法論だけが違っているような気がします。

 大政奉還のあったあと、足下がグラグラしている近藤勇を見て歳三と病床にあった総司との会話。
「しかし土方さん」
 と、沖田はちょっとだまってから、
「新選組はこの先、どうなるのでしょう」
「どうなる?」
 歳三はからからと笑った。
どうなる<(、、、、)>、とは<(おとこ)>の思案ではない。婦女子のいうことだ。おとことは、どうする、ということ以外に思案はないぞ。」
「では、どうするのです」
「孫子に謂う」
 歳三は、パチリと長剣をおさめ、
「その侵略すること火の如く、その疾きこと風のごとく、その動かざること雷震のごとし」
 歳三はあくまでも幕府のために戦うつもりである。将軍が大政を返上しようとどうしようと、土方歳三の知ったことではない。歳三は乱世に生まれた。
 乱世に死ぬ。
(男子の本懐ではないか)
「なあ総司、おらァね、世の中がどうなろうとも、たとえ幕軍がぜんぶ敗れ、降伏して、最後の一人になろうとも、やるぜ」
 事実、こののち土方歳三は、幕軍、諸方でことごとく降伏、もしくは降伏しようとしているとき、最後の、たった一人の幕士として残り、最後まで戦うのである。これはさらにこの物語ののちの展開にゆずるであろう。
「おれが、──総司」
 歳三はさらに語りつづけた。
「いま、近藤のようにふらついてみろ。こんにちにいたるまで、新選組の組織を守るためと称して幾多の同士を斬ってきた、芹沢鴨、山南敬助、伊藤甲子太郎‥‥それらをなんのために斬ったかということになる。かれらもまたおれの誅に伏するとき、男子としてりっぱに死んだ。その俺がここでぐらついては、地下でやつらに合わせる顔があるか」
「男の一生というものは」
 と、歳三はさらにいう。
「美しさを作るためのものだ、自分の。そう信じている」
「私も」
 と、沖田はあかるくいった。
「命のあるかぎり、土方さんに、ついていきます」
 この「男の美学」は司馬良太郎さんが土方の口を借りていわせているのでしょう。
 でも、読みながら気になったのは、新選組に斬られる側(不逞浪士、その他)がまるで顔のない虫けらのようなのです。この手の作品ではどうしてもこうなってしまうのでしょうが、こういう風に思ってしまうのはおへそが曲がっているせい?


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