孔子伝

白川静 著
中公文庫


 孔子といえば、「子曰く・・・」で始まる論語を代表とする儒教の始祖です。もともと、この人のことはあまり興味もなく知ろうともしなかったのですが、酒見賢一さんの『陋巷に在り』という小説を読んでいるうちに興味をおぼえて読むことにしました。
 しかし、その内容は小説とは違ってかなり手強いものでした。なにが手強いかというと、深い中国史に対する知識と理解を持っている人に対して白川さんが語っておられるようなのです。もちろん私にはそんな造詣はありませんので、至る所で止まってしまうのでした。
 孔子について、広辞苑にはこのように書かれています

こうし【孔子】
(クジとも) 中国、春秋時代の学者・思想家。儒家の祖。名は丘。字は仲尼<(チユウジ)>。魯の昌平郷陬邑<(スウユウ)>(山東省曲阜)に出生。尭・舜・文王・武王・周公らを尊崇し、古来の思想を大成、仁を理想の道徳とし、孝悌と忠恕とを以て理想を達成する根底とした。魯に仕えたが容れられず、諸国を歴遊して治国の道を説くこと十余年、用いられず、時世の非なるを見て教育と著述とに専念。その面目は言行録「論語」に窺われる。後世、文宣王・至聖文宣王と<(オクリナ)>。(前551〜前479)
 孔子は理想を追ってそれを実現しようとするのですが、ことごとく失敗して挫折と漂白を重ねました。その出生も明らかではありませんし、ひどく人間くさいところもあり、いろいろな意味でかなり興味深い人のようです。
 作者の白川さんは中国史の研究者ですが、彼が孔子に対する思いを本にまとめたのがこの作品といえるでしょう。本書のはじめにはこのように書かれています。
 聖人孔子を語る人は多い。また『論語』の深遠な哲理を説く人も少なくはない。しかしもし、それがキリストを語り、聖書を説くように説かれるとすれば、それは孔子の志ではないように思う。孔子自身は、神秘主義者たることを欲しなかった人である。みずから光背を負うことを欲しなかった人である。つねに弟子たちとともに行動し、弟子たちの目の前に自己の全てをさらけ出しながら、「これ丘なり」[論語・述而]というをはばからぬ人であった。
 小説ではありませんので、評するのはおこがましく、よって、本書の中で印象に残ったところを紹介することしかできません。興味を覚えた方は本書に挑戦してみて下さい。

(前略) 孔子の持つ夢と幻影とについて、しばらく自由に語らせてほしい。
 孔子は巫女の子であった。父の名も知られぬ庶生子であった。尼山に祈って生まれたというのも、世の常のことではなさそうである。あのナザレびとのように、神は好んでそういう子をえらぶ。孔子は選ばれた人であった。それゆえに世にあらわれるまでは、誰もその前半生を知らないのが当然である。神はみずからを託したものに、深い苦しみと悩みを与えて、それを自覚させようとする。それを自覚しえたものが、聖者となるのである。
(略)
 孔子にはもう一つ幻影があった。それはダイモンのように識られざる神の声ではなく、現実の人物として行動する。しかし孔子は、おそらくその人物のうちに、ダイモンのような不思議な何ものかの影を感じ、これを怖れ、時には反撥し、ときには憎悪を抱いていた。少なくとも私には、そのように、思われる。それは陽虎という男であった。陽虎は、『論語』や『孟子』に、陽貨という名で見える人物である。
 孔子は魯で政変を起そうとして失敗し、その後14年に渡って亡命しますが、白川さんはその間に孔子教団が成立したと見ています。
 ここでわれわれは、この十四年にわたる亡命生活の意味を考えなくてはならない。この亡命が、孔子にとってなにを意味したのか、孔子教団にどのような変革をもたらしたのか、ということである。教団といっても、孔子に随行したのは、少数の人々であった。『論語』にみえる限りでは、子路・冉有・顔回・子貢の四人のみである。しかも冉有・子貢の二人は、亡命中にこの一行から離脱している。衛の地には久しく滞在したので、その地の弟子もあり、中には出仕したものもいるが、孔子と終始その行をともにしたものは、これらの高弟を中心とする、若干の門人たちであった。かれらはしばしば生命危険にもさらされる中を、孔子と苦難をともにした。そういう極限的な状況の中で、初期集団のそれとは異なるものが生まれてくるのは、当然である。
 人は所与の世界に生きるものであるが、所与はその圏外に去ることによって変わりうるものである。また同時に、主体としての所与への関与のしかたによっても、変わりうる。むしろ厳密にいえば、所与を規定するものは、主体そのものに他ならないともいえよう。殊に亡命生活のような、体制の圏外にある場合に、主体はむしろその自由を回復する。体制の中では反体制としてのみ措定される可能性が、ここでは自由である。可能性は限りなく高められ、純粋化される。孔子が周公を夢にみることができたのは、おそらくそのときにおいてであろう。所与の限界を破りうるのは、天であった。孔子が天命を自覚したというのも、おそらくそのときであろう。「五十にして天命を知る」[為政]ということばは、必ずしも年齢的な限定をもつものではない。 (以下略)
 『論語』の文章は簡潔で美しいとおっしゃいます。
 長文のものは多くはないが、なかによく整ったものがある。
富と貴とは、これ人の欲するところなり。その道を以て得ざれば、<()>らざるなり。 貧と賤とは、これ人の惡むところなり。その道を以て得ざれば、去らざるなり。君子、仁を去つていずくにか名を成さん。 君子は終食の閧熕mを<()>ることなし。造次(急なとき)にも必ずここにおいてし、顛沛(非常のとき)にも必ずここにおいてす。[里仁]
 仁は純粋に意味的な世界である。それはイデアである。それゆえに瞬時も離れえないものである。イデアとともにあるとき、富貴貧賤は問うべきではない。こうしはおそらくそのことに意味を倦むこともなく説いたであろう。そのことばをこのようにまとめたのは、孔子自身だったのか、それともその議席に与かった高弟であったのか、それは知られない。この文はよく整えられており、かつ韻をふんでいる。欲・得・悪・得、処・去、名・仁がその韻であり、詩のように諷誦にたえるものである。
 う〜む、むらむらと『論語』を読んでみたくなってきましたが、それこそ挫折するのは見えているでしょうか・・・(笑)

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