諸葛孔明

陳舜臣(ちんしゅんしん) 著
中央公論社(全2巻)


 三国志のスーパースター、諸葛亮、あざな孔明のお話です。三国志では劉備が三顧の礼で孔明を訪ねる場面、孔明27才からの登場ですが、本作品では生まれたときからの孔明を描いています。諸葛家は地方の名家だということは知っていましたが、その家族のことなどは知りませんでしたので興味深いところでした。
 三国志(三国演義)では孔明を超能力者の如く描いていますが、本書ではそんなことはなくごくまともに描かれています。三国志ファンの中には(私も含めてですが)特に孔明のファンである方も多いと思いますが、是非ご一読をおすすめします。
 本書で知ったのですが、名前の「亮」というのは明るいという意味なのですね。漢字源にはこの字の説明として『《意味》{形}あきらか(アキラカナリ)。けがれがなくて明るい。はっきりしている。〈同義語〉→諒。〈類義語〉→朗ロウ。「亮然リョウゼン」「亮察リョウサツ(=諒察)」「皎皎亮月=皎皎タル亮月」  《解字》会意兼形声。「人+音符京(明るい)の略体」で、高くて明るいの意を含む。京は諒(りょう:はっきり)・涼(清らか)にも含まれ、そのさいリョウという音をあらわす。』と書かれています。あざなの「孔明」というのも同じ意味で(世の中を)「明るくする」ことだということです。

 孔明の兄弟は3人います。兄瑾(きん)は孔明より7才年上、姉鈴(れい)が1才上、弟均が8才下です。母親は均を生んだとき亡くなり、その後、父諸葛珪(けい)は継母を迎えますが前妻の死後3年後に亡くなります。その後、兄瑾は江東で継母に仕えることになりますが、鈴以下3人は叔父の諸葛玄のもとに身を寄せることになります。兄弟が別れたのは、乱世であったので一族の血が絶えてしまうリスクを避けたのですね。
 諸葛玄が3人の子(鈴・亮・均)を連れて襄陽(じょうよう)へ帰る途中、曹操が残した最大の汚点と言うべき徐州の大虐殺の現場を目にします。数十万人の人々が殺されて泗水に投げ込まれ『水、ために流れず。』という状況でした。この凄惨な事件のもとになったのは、元はといえば徐州の長官陶謙の部下が4年前に曹操の父親を殺したことにあり、その復讐に曹操が燃えていたためです。
 この時の体験がその後、「このような大虐殺を行うような曹操に天下を取らせるべきでない」という孔明の首尾一貫した生き方を決定したのでした。孔明は劉備に忠誠です、その考えのベースはあくまでも万民が平穏に暮らせる世の中を作るというところにあったのです。

 孔明のまわりに、三国志には登場しない人々が本書に登場します。諸葛家の執事で、いろいろな所にコネがあって情報収集能力抜群の甘海(かんかい)。彼は普通では手に入れられないような、裏情報とも言うべき貴重な情報を孔明に提供します。
 孔明の妻で、発明マニアの綬(じゅ)。彼女は突然大勢の客が訪れても待たせないでうどんを作ることができるような機械を作ったりします。この辺は主婦らしい発明ですが、後には孔明が自ら兵を率いて魏を攻める北伐の時、狭い蜀の桟道を通って荷物を運ぶときに少ない人数で引くことのできる一輪車の原型を作ったのです。三国志にも孔明が発明した新兵器がたくさん登場しますが、これらは孔明と綬との共同作品であったのです。

 あと、三国志では孔明が南方を攻めた際、その渠帥(きょすい:首長)の孟獲(もうかく)と戦って七度捕らえましたが七度釈放し最後には孟獲を心服させたという『七擒(きん)七縦(しょう)』という逸話が面白おかしく書かれていますが、実は裏話があったのです。これを書いてしまうと、これから本書を読む方には興醒めになってしまいますから、読んでのお楽しみとしておきましょう。

   

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