奇貨居<(きかお)>くべし

 宮城谷さんの長編小説は上・中・下巻や第〜巻などと分冊になっていて、これまではそれぞれに名前は付けなかったようですが、本書ではそれぞれの巻に以下のような名前を付けておられます。

春風篇 火雲篇 黄河篇 飛翔篇 天命篇
 ◎春風篇 「中央公論」1996年1月号〜1997年1月号に掲載
 ◎火雲篇 「中央公論」1997年2月号〜1998年3月号に掲載
 ◎黄河篇 「中央公論」1998年4月号〜1999年4月号に掲載
 ◎飛翔篇 「中央公論」1999年5月号〜2000年7月号に掲載(2000年4、5月号は休載)
 ◎天命篇 「中央公論」2000年8月号〜2001年7月号に掲載

 主人公は秦の始皇帝の実の父だとも言い伝えられている<(りょ)>不韋<(ふい)>です。4冊目の飛翔篇が終わったところで、呂不韋はまだ35・6才・・・。まだ中央公論での連載は続いていますから、何巻まで行くのやら。もう4冊ですから、きっと新記録間違いなしですね。

 と思っていたら、第5巻「天命篇」で完結してしまいました。これまでは比較的ゆったりした流れだったのですが、「天命篇」ではちょっと早足かなという印象を受けました。私が楽しみにしていた秦王政(秦の始皇帝)をどのように描かれるのかという点についてもちょっと物足りなさを感じたのは私だけでしょうか。 (2001/06/24)

 ちなみに、「奇貨居くべし」という題名の意味を広辞苑で調べてみました。
[史記呂不韋伝](呂不韋がこのように言って、後に秦の始皇帝の父となった人物を援助した故事から) 珍しい品物だから後日利を得るために今買っておこう、との意。転じて、得難い機会だからうまくこれを利用しなければならない。
ということだそうです。
 まだ最終章まで来てないので、何となく書きにくいのですが、途中経過ということで書くことにします。新しく発刊されたら追加すると言うことで、ちょっと中途半端なのですがご容赦下さい。一気に読めないのはちょっと辛いですが、はっきり言って面白いです。
(中央公論社 刊)

 2001年6月13日、「奇貨居くべし」完結記念のサイン会が東京・神田神保町の三省堂書店で開かれました。ミーハーな私は行ってしまいました。

春風篇
 呂不韋は感受性豊かな美少年です。最強の秦を軸に、各国が存亡をかけて合従連衡に狂奔している時代の韓で、継母と異母兄弟の間で不遇をかこっていました。十五歳の時、賈人(商人)の父の命令で、従者鮮乙<(せんいつ)>、山男の彭存<(ほうそん)>とともに金鉱探しの旅に出ることになります。家にいても特に目立たなかった呂不韋は大器の片鱗を示して鮮乙を感じ入らせ、彭存はその体から黄金の気が立つのを見ます。この辺は、古代中国の不思議な出来事なのでしょう。(宮城谷さんの作品にはこういう奇蹟の記述が多い)
 趙の都邯鄲<(かんたん)>に向かう途中、呂不韋と鮮乙は偶然に「和氏<(かし)><(へき)>」という楚の名宝を手に入れます。この宝物は楚が黄歇<(こうけつ)>を使者として、趙に秦との盟約を断たせるべく贈ろうとしていたものです。そして、それを邪魔しようとしていた秦の刺客陀方<(たほう)>に強奪されていたものでした。呂不韋は趙の臣、藺相如<(りんしょうじょ)>に事情を訴えていた黄歇に偶然会い、献じます。このおかげで黄歇は使命を果たし、璧を趙に渡して趙楚の密約は成立します。この知らせを聞いた秦の宰相魏冄<(ぎぜん)>は「璧を15城と交換しよう」と趙に申し入れます。まるで「秦趙の盟約を裏切るつもりか」という恫喝ですね。
 趙では魏冄を畏れ、使者として行く者がいません。ここで勇気ある藺相如が見かねて本当に15城をよこすなら璧は渡すがそうでないなら持って帰る、と使者を引き受けるのです。藺相如は悲壮な面もちで食客になった呂不韋を連れて、秦の都咸陽<(かんよう)>におもむきます。秦に15城をよこすつもりがないと見た藺相如は、密かに呂不韋に璧を持ち帰らせます。昼夜兼行で璧を持ち帰り、呂不韋は無事使命を果たしますが、高熱を発して人事不省に陥りますが、医師芊老<(せんろう)>の手当てで命をとりとめます。藺相如も秦王の政治的判断で無事に趙に帰還して上大夫になるという大出世です。

火雲篇
 奇跡的に一命をとりとめた呂不韋でしたが、戦火は広がり、秦軍に捕まって奴隷となってしまいます。しかし、奴隷となった人々の中に孫先生(荀子)がいて、その教えを受けるようになるのです。何が幸いするかわからないものです。
 呂不韋は卑賤な賈人(商人)の息子ですが、不思議な運命か時代を動かすような人物とつぎつぎに会っていきます。黄歇や藺相如もそうですが、思想家として有名な荀子の弟子となり儒家の影響を強く受けるようになります。あと、人相見で当時有名であった唐挙という怪しげな人物とも出会います。大物と言えば、戦国四君の一人といわれ、斉の宰相時代には食客を数千人抱えていたという<(せつ)>公、孟嘗君<(もうしょうくん)>に会って賓客としてもてなしを受けます。
 慈光苑という戦国時代にあって天国のような<(ゆう)>で、奴隷となったときに別れ別れになっていた従者<()>と再会します。さて、慈光苑では農業を中心とした、民主主義に近い政治が行われていたのですね、これが後に呂不韋の思想に大きな影響を及ぼすのでしょう。
 最後に、孟嘗君の死という大きな事件が起こります。しかし、一大事はそれだけではなかったのです・・・。

黄河篇
 時代の良心とも言うべき孟嘗君の死後、彼の所領薛は汚いやり方で魏と斉に切り取られてしまいます。そのやり方は人を欺き、だまし討ちという卑劣なものでした。呂不韋は慈光苑の住民を救うべく、奮闘努力しますが魏と斉の策略を読めない人により結局この危機を脱出できたのは数百人の人々だけでした。
 呂不韋はかつての敵、秦の魏冄と陀方に助けを求めます。この頃、秦は農本主義を取っており、呂不韋や農学者の黄外等は魏冄の所領、陶で厚遇され、ここに慈光苑に代わるような国を作ろうということになりましたる。この陶で呂不韋は、鮮乙と再会を果たして、賈人になるべく誓い合い、着々とその目的に向かって進み始めます。彼は水上交通の重要さを見抜き、交通の要所に商売の拠点を置くのです。

飛翔篇
 独特の勘と先見の明を持った呂不韋は賈人としても大成功を収めます。少年の頃、鮮乙に連れられて旅をしていた頃、当時大賈人であった冥氏を訪れて「きっと冥氏を凌ぐような賈人(商人)になる」と言う誓いを立てたのですが、その冥氏に劣らないような規模の商売が出来るようになっていました。これには、秦の宰相であった魏冄の後ろ盾があったのです。
 しかし、いいことは続かないもので、呂不韋の後ろ盾とも言うべき魏冄が秦で失脚してしまうのです。新しく秦の宰相となったのは張禄こと范雎<(はんしょ)>と言う人物です。彼は宮城谷さんの「青雲はるかに」と言う作品の主人公として描かれていますが、そちらとはちょっとイメージが違うのが面白い。これ以外でも宮城谷さんの作品には同時代を描いたものが多いので、表と裏というか人物の2面性が現れていることが多くてこの辺も宮城谷さんの作品を読む楽しみになっています。「青雲はるかに」では、結構悪役的に描かれていた魏冄ですが、本書では結構骨太の人物というイメージになっています。
 話がそれましたが、本書ではついに呂不韋は賈人の道を捨てて天下を動かす道を選びます。昔、金鉱探しの旅で黄金の気を発していた彼が、同じように黄金の気を発している人物と出会うのです。彼は秦から趙の人質となっていた異人という変わった名前の、何となくうだつの上がらない公子でした。彼に黄金の気を見た呂不韋は「あれは奇貨かもしれない」と言うのです。それを信じて異人を磨き始めるのです。
 これまで築いた大賈の全てを鮮乙に譲ります。その時、かたくなに断る鮮乙に向かって「昔、冥氏に会ったとき、私はなんじに冥氏の十倍以上の富力を持たせてやる、と心に誓った。ところが、なんじに与える富はその誓いに背いたものだ。」といって鮮乙を感動させるのです。なんとニクイやつでしょうね。

天命篇
 呂不韋が手に入れていた奇貨がついに輝き始めました。秦の太子<(ちゅう)>に寵愛されている華陽夫人への工作が功を奏して趙の人質となっている異人が太子の嗣子となったのです。そして太子の信任篤い呂不韋を異人の<()>(教育係)に命じるのです。不韋は「異人」をいう名前は良くないとして子楚と改めるように薦めます。
 このあと、いよいよ問題の事件が起こります。呂不韋が昔、力になっていた舞の名手、小環の遺児小梠<(しょうりょ)>との出会いです。小梠は母親を越えるほどの美しさで、その舞も見事なものでした。それを見た子楚が小梠を正室としたいと言い出したのです。呂不韋は「小梠は私の子を<(はら)>んでいます」とまで言うのですが、それでも良いと言って聞かないのです。結局、呂不韋は負けてしまいます。子楚は約束通り小梠を正室とし、小梠は男子を出産します。その子こそ政、後の始皇帝です。
 昭襄王の死後、太子柱は王に即位して孝文王となりますが、その在位はなんと3日間でした。当然その嗣子である子楚が即位し、後に荘襄王と呼ばれることになります。呂不韋は宰相として、これまで彼が理想と考えていた政治を行うことができるようになりました。彼の理想とは、政治の基本は「民」であるということでした。これをもう一歩進めれば「民主主義」となりますが、そこまではさすがに言えません。しかし、それを実現することはできませんでした。荘襄王が35歳の若さで急逝してしまうのです。
 荘襄王は政を太子にすべきか悩んでいました。「政には仁義が見えぬ。政が秦王になれば、群臣はおびえ、庶民は苦労するのではあるまいか。太子の廃退は、国が乱れるもとですが、王朝と天下のために、敢行しなければならぬときもありましょう」と華陽太后に言っていました。しかし、呂不韋は政を即位させることにしました。秦王となる政はその時13歳でした。
 呂不韋は秦王政を立てて秦の国力を増大させます。しかし、これまでのやり方と違い、あくまでも「民」を中心に据えたものでした。他国の領土を併呑しても、虐殺などを行わせずそこの民が秦に対してなつくようなやり方です。また、『呂氏春秋』という百科事典を編纂させたのも秦王政に読んでもらいたかったからです。王としてのありかたは、今のままでよいのかということを知ってほしいとの思いからでした。『呂氏春秋』の中には
 天下は一人<(いちにん)>の天下に<(あら)>ざるなり。天下の天下なり。
 という文があります。これは民主主義宣言というべきものです。
 しかし、秦王政は長じると呂不韋を疎んじるようになります。呂不韋を名誉職ともいうべき丞相にするのです。そして、・・・

わたしは天命に<(したが)>う。天命とは民意である。天が命じ、民が望むように生きるしかない。耐え忍べ、といわれたら、黙ってそうする。ただし、わたしの沈黙は退歩ではない。道をゆくということは、止まるところがあるということでもあり、それをもたぬ歩行には道がない。」(本文より)


(以下、2005/8/7 追記)

 ひさしぶりに一挙5巻を再読しました。

 再読してみると、最初に読んだときと感じるところがいろいろ違っていておもしろい発見がたくさんあります。上にも書いていますが、魏冄<(ぎぜん)>陀方<(たほう)>といった、最初に登場したときは悪役っぽい人物も最後の方になるとイメージが変わってきます。また、『青雲はるかに』では主役として輝いている范雎<(はんしょ)>という人物は本書ではいかにも影が薄い。歴史小説の醍醐味でしょうか。
 宮城谷さんの作品は「説教臭くていやだ」という方も多いようですが、好きな人にはその「説教臭い」ところがたまりません。本書にもそれが至る所に書かれています。

呂氏語録(その1) 春風篇より

生家で冷遇されている呂不韋が父の指示で旅に出ます。従者として同行した鮮乙は呂不韋の中にあるふしぎさに驚いています。
呂氏語録(その2) 火雲篇より

人相見の唐挙が西家で人々を見るようになった頃のエピソード

呂氏語録(その3) 飛翔篇より

陶侯に黄金の埋もれた場所を教えることを条件に、百金という商売の元手を受け取った呂不韋は賈(こ)の道を歩もうと考えています。


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