生きる

乙川優三郎 著
文藝春秋


 本作品は第127回直木賞受賞作品です。私は「話題の作品を読む」ということは少ないのですが、珍しく新聞の紹介記事を読んで本作品に飛びついてしまいました。

 以下、朝日新聞の紹介記事から。
 乙川さんは東京都生まれ。千葉県立国府台高卒。グアムなどでホテルマンを務めた後、産業機械などの技術翻訳者に。「酔った勢い」で書いた小説が小説誌の新人賞の最終候補に残ったことから、38歳で時代小説を書き始めた。96年「薮燕」でオール読物新人賞。同年「霧の橋」で時代小説大賞。01年に「五年の梅」で山本周五郎賞。横浜市在住。

だそうです。なかなかユニークな方のようですね。

 選考委員の北方謙三さんは「現代小説では漫画チックにさえなってしまうような人間の情が、ある時代を舞台にすることで際立たせることができる。乙川さんの作品は暗い中にも救いがある」と分析する。乙川さん自身も時代小説にしか描けない世界があると考えている。正義や人情や人間の尊厳といったものが確かに存在する世界を、若い人たちに伝えようとしている。

 本書は江戸時代を舞台として、次の3編からなっています。
 3作ともなかなか渋い作品ですが、上の北方さんの評がなかなか言い当てています。時代小説だからこそこれだけ描けるのでしょう。昔、山本周五郎さんの作品にはまったことがありましたが、そのころを思い出してしまいました。

生きる
 主人公は石田又右衛門という人物です。父親は関ヶ原の戦いで敗れて浪人となったのですが、飛騨守に召し上げられ、又右衛門の代となって寵遇されるようになりました。従って、主君に対する恩義は人一倍感じており、それに報いるために忠節を貫いているという人物です。
 江戸で病臥している藩主の容態が思わしくなくなった頃、又右衛門と同じく主君に対する忠義の人小野寺群蔵とともに密かに梶谷家老に呼び出されます。そこで言われたのは主君が亡くなっても「死ぬな」、そしてこのことは「他言するな」というものでした。家老の計略にはまり、二人は誓詞を書きました。当時、主君に殉死するのが忠義の証と思われていて、幕府の殉死禁止令が出る数年前のことです。
 飛騨守が亡くなると、真っ先に殉死するであろうと思われていた又右衛門と小野寺はなかなか腹を切る気配も見せません。藩では殉死を禁止し、殉死したものは罪人という令を出しましたが、有名無実化していきます。
 自ら死なない又右衛門に対して、まわりは冷たく蔑みます。そして、嫁いだ娘は夫が殉死し、気が狂ってしまいます。自分の理解者であった妻は病死し、あろうことか自分の息子も腹を切ってしまうのです。
 それでも、又右衛門は死ぬことはできません。誓詞に書いたことをあくまでも守り通します。

安穏河原
 素平は80石の郡奉行でした。しかし、逼迫した藩の財政を救うための領民から一律なにがしかの金を集めるという案に反対して、その席を投げ出して江戸に出てきました。江戸で仕官の口を探そうという魂胆でしたが、そううまくいくはずもありません。
 数年後、妻は病気になってしまい、手持ちの金を使い果たしてしまいました。素平は懸命に何でもやりましたが、とうとう薬の工面もつかなくなってしまいました。どうしようもなくなり、娘の双枝に女衒の前でこう言うのです。
「こういうことになったが何も悪いことはしていない、おまえも、これからどんなことがあろうとも人間の誇りだけは失うな」
 そして、主人公伊沢織之介に素平は金を渡して双枝の様子を見に行ってもらうように頼みました。そして織之介から娘の様子を聞いて安心するのです。しかし、素平が真っ当に汗水を流して働いても、娘を請け出せるほどの金を稼ぐことは無理なことでした。
 そして・・・

早梅記
 主人公の高村喜蔵は、家老という大出世をして一年前に致仕した人物でした。これまで彼を支えてきた妻のともが死に、一人で隠居しています。
 彼がともを嫁に迎えるとき、それまで妻同然に暮らしていたしょうぶという娘がいました。しかし、しょうぶは婚儀の前、何も言わず、餞別も受け取らず出て行ったのです。自分の出世を支えたのはともでしたが、それまで自分を支えてくれたのはしょうぶだと思っていました。
 いざ一人になって、散歩するしかなくなってみると、しょうぶのことが気にかかってきました。あてのない散歩で、いつのまにか城下を遠く離れて貧しい家の前に来るとポツポツと白い花をつけている早梅がありました。その木の下に小枝を切ろうとしている女がいたのです。


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