覇王残影

藤 水名子 著
新潮社


 覇王というと楚漢戦争の雄・項羽という思いこみがあり、項羽を主人公にしたものとばかり思っていましたが、本作品の「覇王」とは固有名詞ではありませんでした。本の帯にはこう書かれていまして、よくよく読めばそんなことはありませんが・・・

その暴虐さゆえ竜王と恐れられ、謀反を噂される楚王の暗殺を命じられた朱炎。しかし彼が見たものは、巷に流れる噂とは違う魅力溢れる人物だった…。公に出来ない事件を闇で解決する隠密都尉の活躍を描く、中国歴史活劇。
 本書は隠密都尉という、ちょっと怪しげな仕事をしている朱炎を主人公とする5編の中短編小説が収められています。前漢を舞台としてちょっぴりミステリー的な味付けをした中国時代小説です。
 読んでみると、日本を舞台とした時代小説と雰囲気が似ていまして、人名や地名などを日本のものにすれば、「時代小説」といっても違和感ないかもしれません。
 主人公朱炎は腕が立ち、冷静沈着なのですが、なぜかちょっと情けない人物です。相手の罠にはすぐにはめられ、危ういところをやっと切り抜けます。相手が女であればすぐつけこまれ、皇帝の寵姫となったかつての恋人瑛林を、いつまでも忘れられない。そして、自分より年配の部下たちからは反発され、気を遣い顔色を窺っています。作者の藤さんは後書きにはこう書かれています。
正統派ヒーローによる、正統派の活劇を描きたい、と思った。
とにかく、強い男を書きたい。
それが、この物語を書き始めた動機のすべてだ。それなのに、足かけ六年の歳月の間に、どこでどう間違ったか。
気がついたら、主人公は、昔の恋人をいつまでも忘れられない女々しい男になっていた。これでは、正統派活劇のヒーローではなく、正統派恋愛小説の主人公ではないか
 朱炎の他に李英という男が登場します。李英は都でも有数の富商の息子ですが放蕩者で女好き、勘当されては朱炎の家に居候しています。しかし、その先祖は前漢の英雄、李広将軍で弓の腕は一級品、時々朱炎を助けて活躍するシーンもあります。このコンビは『陰陽師』の晴明と博雅、『長安異神伝』の二郎と東方朔を彷彿させます。
 隠密司馬を差配するのは光禄勲と呼ばれる蔡卿です。隠密の親玉ということで、権謀術数に長けた人物のようですが、本書ではその真実の姿は明らかではありません。蔡卿の妾腹の娘、煌芳はキリッとしています。父親の手伝いの隠密みたいなこともやるのですが、朱炎はなぜか煌芳には弱い。煌芳と朱炎の関係は微妙なのですが、進展する気配はありません。この二人は『長安異神伝』に登場する魏徴と翠心といったところでしょうか。
 ちょっと閉口したのが難しい漢字がたくさん出てくるところ。最期の作品は「らしゅう?」なんて何と読むのか今でもわかりません(笑)
 でも面白いと感じたのは「王八」と書いて「タコ」と振り仮名をふっています。「王八野郎」と書いて「バカヤロウ」とか書いていますが、中国語のスラングなのでしょうか。

 本書に収められているのは以下の5編です。
  ・嫦娥の刃
  ・雨美人
  ・覇王残影
  ・惜別姫
  ・羈愁

 この中では、書名になっている「覇王残影」が良かったです。覇王とは光武帝の末子、楚王劉隆のことです。人びとはその暴虐さを殷の紂王に比すると噂をしていました。その楚王に謀反の疑いがあるとして、暗殺を命じられます。隙だらけの屋敷で暗殺しようとして罠にかかり間抜けにも捕らえられた朱炎が殺そうとしていたのは英雄然とした人物でした。自分を殺しに来た刺客に対して全く警戒せず目の前に招くという度量の広い人物、これは単に蔡卿の陰謀なのかと悩みますが・・・
 ただ、もう一ひねりがあれば、という気がしないでもありませんでしたが、この辺はご自分でご判断下さい。


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