中国・反骨列伝

伴野 朗 著
集英社


 春秋戦国時代から元の時代まで中国の歴史に名を残す反骨の英雄達7人を描いた短編集です。中には歴史の中心で活躍した人もいますが、ここで描かれている人の多くはどちらかというと脇役的な人が多いです。短編なので読みやすいのですが、やはりちょっと物足りなさもありますので、大作を読んだ後に読むのが良いかもしれません。そして、本書を読んだ後はまた大作を読みたくなるかも。

国を救った男
 戦国時代、燕の名将楽毅は趙・楚・韓・魏・燕の連合軍を率いて斉の70の城を落とす活躍をしますが、その時謀略により国の危機を救った斉の宰相、田単のお話です。
 司馬遷は『史記』の『田単列伝』でこう評しています。
 ――戦は、主力たる正兵をもって敵と合戦し、遊撃たる奇兵をもって敵の意表をついて勝つものである。よく戦するものは、奇兵の出没きわまりなく、奇と正と循環してけじめのないこと<(たまき)>に糸口のないようなものである。
 かの「初めは処女のごとく敵に戸を開かしめ、後に脱兎のごとく敵に防戦の余地なからしめる」とは、伝単を指してこそいうものだろうか。

直言の士
 漢の高祖亡き後、呂氏に帝位を簒奪されそうになったのを高祖の遺臣達が呂氏を滅ぼして、文帝が即位して再び劉氏の天下となった頃の時代です。
 袁盎<(えんおう)>は相手が皇帝であっても、誰であっても思ったことをずばりと言う人物でした。文帝・景帝には重用されたものの、そのまっすぐな言葉が災いして梁王の恨みを買い、暗殺されてしまいます。

雁書
 漢の武帝の時代、それまで屈辱的な親和外交を行っていた匈奴に対して方針を180度転換します。その時に活躍したのは衛青という羊飼い上がりの将軍でした。この衛青に従って戦果を上げたのが主人公蘇武の父親、蘇建でした。この父親はある時、匈奴の主力部隊と遭遇し大敗してしまいますが、降伏しませんでした。それは自分の信念に従った行動でしたが、自分の軍を棄てた罪を責められ庶民に落とされます。
 蘇武は父親を誇りに思っていました。そして、漢の使者として匈奴の単于<(ぜんう)>(王)のもとへ行ったとき、気に入られて自分の臣下にしようとされます。しかし、蘇建の息子、蘇武は決して降伏しません。そして北海のほとりに無期限に流されてしまうのです。そして、雁の足に「自分は生きている」という手紙をつけて放すのでした。そして19年ぶりに奇跡的に祖国に生還するのです。
 唐の李白は五言絶句『蘇武』を残しています。
  蘇武 匈奴に在り
  十年 漢節を持す
  白雁 上林に飛び
  空しく伝う 一書の札

愚兄賢弟
 三国志の英雄、諸葛亮(孔明)の兄、諸葛瑾が主人公です。三国志を読んだことのある方はご存じでしょうが、呉の孫権に仕えます。三国志の中にも登場しますが、一般に読まれている『三国演義』ではどちらかといえばチョイ役程度に扱われていますね。
 しかし、実際には呉の文官として孫権の信頼厚く、宰相にまでなったほどの人物でした。『呉書』にはこう評されています。
 ――諸葛瑾は、その才略の点では弟に及ばなかったとはいえ、その徳にかなった行動はきわめて純粋なものであった。妻が死んだあとも再婚することなく、妾腹の子は公職につけなかった。

義骨の士
 こちらも時は後漢の末期、三国志の時代です。主人公の楊阜<(ようふ)>は涼州にあって、若い頃は元気のいい三人まとめて「三頭龍」と呼ばれる地元の星でした。
 曹操が漢中を制した後、楊阜を益州刺史としました。この地は蜀と接する魏にとって重要なところです。曹操の信頼が篤かったのでしょう。曹操の死後も魏の文帝・明帝に仕え、その義骨ぶりを大いに発揮しました。

書聖の素顔
 主人公の王羲之は東晋の書家で、楷書・草書において古今に冠絶、その子王献之と共に二王と呼ばれ、主な作品に「蘭亭序」「楽毅論」「十七帖」などがあります。こう言うと、文官のようなイメージですが、彼は五胡と呼ばれる異民族に支配された華北を平定するという熱心な北伐論者でした。その激しい思いがその作品に顕れているのでしょうか。
 彼の作品は唐の太宗が大いに愛して収集しましたが、その死後は墓に葬らせたために現存するものはほとんどないそうです。代表作品の「蘭亭序」は王羲之がしたたかに酔ったときに書いたもので、後になって何十回となく書き直しましたが酔って書いた最初の作品には及ばなかったそうです。

正気の歌
 主人公は300年続いた宋(南宋)王朝が元に滅ぼされたとき、最後まで忠義を尽くしたといわれる文天祥<(ぶんてんしょう)>です。
 文天祥は田中芳樹さんが海嘯という作品で描かれています。興味のある方は、こちらをどうぞお読み下さい。(なんという手抜き・・・)



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