岳飛伝

田中芳樹 著
中央公論新社(全4巻)


 岳飛<(がくひ)>という人を知ったのは、つい最近、陳舜臣さんの中国の歴史を読んでからでした。ところが、本書の付録によれば岳飛という人は中国の人々にとって歴史上最高のヒーローなんだそうです。作者の田中さんが中国に行かれたとき、最高のヒーローは誰かと聞くとどこで聞いても岳飛という答えが返ってくるとか。その次に来るのが地元のヒーローで、四川省だと諸葛孔明、台湾だと鄭成功と言う答えになるそうです。どうも日本人にはなじみが薄いですが、当地では絶大な人気があるようです。
 主君に忠義を尽くして戦い大きな功績を上げても、最後には殺されてしまう。そういう悲劇のヒーローを好むのは日本人だけではないのですね。田中さんは岳飛とはどのような人かと聞かれたら、イメージ的には「中国の真田幸村」あるいは「強い諸葛孔明」と書かれています。私は源義経の方がピッタリかなという感じがします。
 本書の表紙には皇名月<(すめらぎ なつき)>さんという人の少女漫画チックな絵が載っていて、軟弱そうでおじさんが持つにはちょっと恥ずかしいです。でも、中身はそうではありませんので、おじさんもどうぞ。(笑)

広辞苑を引いてみると確かに載っていました。
がく‐ひ【岳飛】
南宋の武将。字は鵬挙。河南湯陰の人。高宗に仕え、江淮の賊を討伐し、「精忠岳飛」と記した旗を受けた。金軍を破って功をたてたが、佞臣秦檜に讒せられ獄死。武穆・忠武の諡号を受け、鄂王に追封。「岳忠武王集」がある。(1103〜1141)


 本書の原典は「説岳全伝」という書だそうです。読んでいると講釈師が机を叩きながら名調子で語っているような感じでとても読みやすいです。雰囲気としては、水滸伝に近い感じがします。数多くの英雄・豪傑が登場しますし、時代的には水滸伝の少し後くらいの時代なのでそう感じるのでしょう。水滸伝に登場する豪傑の生き残りとか、その孫とかが出てきたりします。原典にはかなりいい加減な記述が多くて、日本の時代小説に例えると「柳生十兵衛は元禄五十年に、札幌に住んでいる塚原卜伝<(ぼくでん)>に会うために神戸の自宅を出て西へ向かい、一日歩いて横浜に着いた」と言う雰囲気だそうです。この例えで良くわかりますね。

 登場人物で特に印象的なのは、主人公の岳飛は勿論ですが牛皐<(ぎゅうこう)>兀朮<(ウジュ)>と言う人物です。岳飛は第一巻の表紙に若い頃でしょうか、描かれています。
 牛皐は岳飛の義兄弟で、単純でちょっとオッチョコチョイな所があって明るく憎めないキャラクターです。敵と戦って、良く負けて逃げるのが得意(?)です。岳飛が生真面目で宋の皇帝高宗に対する忠節を通すのに対して、牛皐は高宗のことを「バカ皇帝」などと呼んだりします。中国の人々にとっても人気があって、そんな彼が講釈師の話の中に登場する場面では、きっと拍手喝采したことでしょう。岳飛が殺された後は彼が主役となって活躍します。第四巻の表紙に描かれているのがこの牛皐です。
 兀朮は金の皇帝の四男だったところから「四太子」と呼ばれ、宋に対する侵攻軍の総帥なのですが、奸臣を嫌い忠臣を好むという男らしくて敵ながらあっぱれと言った人物です。でも、彼の軍師哈迷蚩<(ハミツー)>の献策で奸臣を利用するのですが、やっぱり憎めません。第二巻の表紙に描かれています。
 その他、秦檜<(しんかい)>を代表として数多くの奸臣達が登場して憎たらしい役回りをします。大陸系の人間とはちょっと考え方が違うのだろうと思いますが、平気で裏切るわ、嘘をつくわで本当に憎たらしいです。どれくらい憎たらしいかは読んでのお楽しみにしておきましょう。

 最後の巻、岳飛の死後に金と宋の戦いがあるのですが、もう、シッチャカメッチャカです。金側は武力で岳家軍にかなわないとなると、怪しい妖術使いを繰り出してきます。そして岳家軍があやうくなると妖術を破る道師が出てくるとか。この辺まで来ると、・・・でした。

一 金軍侵攻ノ巻(岳飛) 二 宋朝中興ノ巻(兀朮) 三 精忠岳家軍ノ巻(韓世忠 梁紅玉) 四 天日昭昭ノ巻(牛皐)

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