怒濤のごとく

白石一郎 著
文春文庫


 本書の主人公は近松門左衛門作「国姓爺<(こくせんや)>合戦」に描かれている鄭成功です。この「国姓爺合戦」は日中友好30周年記念と銘打って映画化されました。この時代は司馬遼太郎さんの『韃靼疾風録』という作品と同じで、その中にも鄭成功はチラッと登場します。映画を見たいと思っていたので事前学習しておこうと読んだ次第です。
 あとがきによれば、毎日新聞の日曜版に1996年10月6日〜98年9月27日にかけて連載したものだそうです。日曜版の小説には「スーパーお伽草子」というサブタイトルがついていて、このタイトルは書き手にとってありがたかったとか。また、本作品は1999年、第33回吉川英治文学賞を受賞したそうです。

主人公の鄭成功については広辞苑にも載っています。

てい‐せいこう【鄭成功】
明末の遺臣。鄭芝竜<(しりゅう)>の長子。田川福松。名は<(シン)>。母は肥前平戸の人。清軍と戦い、厦門<(アモイ)>・金門島、のち台湾に拠って奮戦したが、志を遂げず病没。明室から国姓朱氏を賜り国姓爺と称。近松門左衛門作「国性爺合戦」により「和藤内(和唐内)」の名で親しまれる。(1624〜1662)
 芝竜は日本人の女性おマツを妻としていましたが、二人の間に男の子が産まれます。この子は<(しん)>、日本名福松と名付けられますが、生まれるときは茜色の美しい夕焼けに囲まれていました。普通の人は日が昇るとき(朝日)を愛でるものですが、芝竜は夕焼けが最も美しいと思っていて、この子が生まれるときの美しい夕焼けを喜びました。
 平戸には日本甲螺<(かしら)>という東シナ海の貿易を取り仕切る団体(早くいうと海賊)がありましたが、その三代目頭目である顔思斉<(がんしせい)>は酒に浸り、面目をなくしつつあったのです。同じ平戸に住む海賊、唐人かぴたんの李旦が勢力を伸ばし、平戸藩主松浦隆信<(りゅうしん)>は日本甲螺を李旦に変えようと思いはじめていました。日本甲螺のその小頭目であった鄭芝竜らは危機感を募らせていますが、顔思斉は相変わらず酒に溺れている始末です。
 ついに鄭芝竜らは海に出ようとしない顔思斉を無理やり海に連れ出します。そして顔思斉を追放して芝竜が日本甲螺の頭目を自称するのです。芝竜はかつての日本甲螺の威勢を復活させるべく、荒っぽい手段に出ます。この頃の商船というのは貿易をするとはいいながら、いわば海賊を乗せた軍艦みたいなものでした。特にアジアに進出してきているヨーロッパの商船は他の船を見かけると襲いかかるものだったようです。
 かつて、中国を恐れさせた倭寇を復活させた鄭芝竜は東アジアで一大勢力となります。そして、明に臣従し巨大な軍閥となり飛虹将軍を呼ばれるのです。この頃、ポルトガルやスペイン、オランダなどのヨーロッパ列強は植民地を建設していましたが、彼らに対抗できるのは鄭芝竜だけでした。しかし、軍備の差はこれら列強とは大きな差があり、なかなか追い出すところまでは至りません。

 明朝は末期的症状を呈していましたが、ついに李自成という軍閥に亡ぼされてしまいます。北には金を称する女真族のヌルハチが勢力を伸ばしていましたが、山海関を守る袁崇煥<(えんすうかん)>という稀代の将軍ががかろうじて侵入を防いでいました。しかし、疑り深い明の皇帝はこの将軍をも殺してしまうのです。こんな状態ですから、明朝が亡ぶのもあっけないものでした。
 こんな状況の中で鄭森は弱冠13才で科挙の第一歩に合格します。父親芝竜も若い頃は秀才といわれていたようですが、父親も海賊だったため科挙を受けるなど思いもよらなかったのです。そのため、役人となってからは口惜しい思いをしており、息子の成功の教育には大きな期待をしていました。森は親以上の秀才ぶりを発揮して難なく合格してしまうのでした。
 明を亡ぼした李自成も三日天下でした。北から押し寄せてきた清の宰相ドルゴン率いる騎馬の大軍はあっさりと北京を奪い取ります。明はいったん亡びましたが、皇族をたてて南京に亡命政府を樹立しました。清は中国制覇を目指して南下しましたが、見せしめのために徹底的な略奪・虐殺を繰り広げるのでした。

 南京で立てられた皇帝は隆武帝ですが、この人物相当の変わり者でした。清に対する徹底抗戦を叫ぶのですが、実力のないのに気づきません。
 鄭森は芝竜に連れられ拝謁するのですが、このときこの隆武帝は鄭森を一目見て気に入ってしまいます。そして朱元璋以来明朝の歴代の皇帝の姓である朱の姓を与え、明再興の象徴として成功を名乗らせます。この「朱」という姓のことを国姓と呼び、これ以来鄭成功は国姓爺と呼ばれることになります。(「爺」とは尊称です)しかし、さすがに皇帝に気兼ねして朱成功とは名乗らず、鄭成功と名乗ることにしました。
 これからが「国姓爺合戦」の始まりです。
 鄭成功はあくまでも明王朝再興を謀ります。鄭成功の軍に掲げられたのは「大義」「抗清復明」でした。北伐を目指して鄭一族の本拠地であった福建省から清軍をうち破り一度は南京の近くまで攻め上がるのですが、結局南京を落とすことはできませんでした。惨めな敗北を喫して台湾に向かうのでした。

 父親の鄭芝竜は商売人であり、海賊でしたので考え方は現実的でした。鄭一族のために清に投降するのですが、結局は殺されてしまいます。その息子の鄭成功はそれに比べると青臭い書生だったようです。明王朝に対する忠義は大したものでしたが、最後のつめがやはり甘かったようです。本書では、この親子の違いがおもしろい所でした。

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【国姓爺合戦】(新潮日本古典集成『近松門左衛門集』 信多純一校注)


 『怒濤のごとく』と映画『国姓爺合戦』がどうも違っていたので、本書に当たってみました。そうしたら、その内容にびっくり!
 主人公は和藤内<(わとうない)>(国姓爺)という人で、父親が老一官(鄭芝龍)です。この父親、明の皇帝に仕えていたのですが、臣下ナンバーワンであった李蹈天<(たうてん)>の奸計を皇帝に諫めましたが逆に皇帝の逆鱗に触れて退けられてしまいます。そして平戸に落ちのびて一官と名乗っていたところで和藤内が生まれました。
 李蹈天は明の皇帝に仕えていながら、韃靼の王と通じて皇帝を殺してしまいます。その時に皇帝の妹が日本に逃れてきて和藤内に助けられるのです。そして老一官と会い事情を話します。
 明国の一大事を聞かされ、復明を目指して唐土に渡ることにしました。老一官夫婦は先に渡りますが、和藤内は軍備を整えて出陣します。先に着いた老一官夫婦は韃靼に降っていた赤壁城の長官、甘輝に入城を拒まれ、母は捕らわれてしまいます。甘輝の妻は一官の娘だったので頼って行ったのでしたが、和藤内と甘輝は争っています。そこで、甘輝の妻は夫をいさめて自害してしまうのです。甘輝は涙を流して和藤内に味方する事を誓い、和藤内に国姓爺鄭成功を名乗らせて復明を目指します。
 国姓爺は甘輝と明の忠臣、呉三桂を従えて韃靼王と李蹈天のいる南京に攻め上ります。南京では老一官が息子に遺書を書いて李蹈天に「自分を殺せ」と言い、捕らわれてしまいます。城の門を突破した国姓爺は李蹈天を殺し、韃靼王を五百鞭打ちして半死半生の状態にして追放します。

 とまぁ、以上のようなお話なのです。私は浄瑠璃を見たことはないのですが、本書は浄瑠璃の語りことばなので、大体こんな雰囲気なのかなという感触は得られました。流し読みでしたが、下ネタあり、中国古典の引用あり、日本の古典の引用ありという具合でなかなか面白かったです。
 やはり、史実とはかなり違っているようで、映画の方がまだ史実に近いかなと変に安心した次第でした。


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