重耳

 重耳(ちょうじ)とは、春秋時代の覇者、晋(しん)の英雄で死後文公と呼ばれた人物です。春秋時代には五覇と呼ばれる英雄が現れました。五覇とは春秋時代の5人の覇者のことで、孟子によると斉の桓公(かんこう)、晋の文公、秦の穆公(ぼくこう)、宋の襄公、楚の荘王を指します。ただし、荀子では斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、呉王闔閭(こうりょ)、越王勾践(こうせん)を指しています。(以上広辞苑より)どちらにしても、重耳は五覇の一人というわけです。
 あとがきによれば、この作品を書くのに宮城谷さんは書きたいと思い立ってから13年かかったそうです。しかし、『重耳に言わせれば、13年くらいの遍歴はたいしたことはあるまい。「わしをみよ。19年もさまよったのだぞ。」』と書かれています。夏休みでたっぷり時間があったせいもあり、この3巻を一気に読んでしまった私は、この部分で思わず笑ってしまいました。
 宮城谷さんの作品には2通りあって、あくまでも主人公を中心に話が進んでいくものと、脇役を中心に話が進んでいくものです。後者の場合、主人公の陰は薄いのですが、それをカバーしてあまりあるような脇役が出てきます。本書は明らかに後者に属する作品でしょう。

(講談社 刊) 芸術選奨文部大臣賞受賞作品です

 春秋時代、かつて王朝を開いた周は弱体化し、東の斉、南の楚が力を強めていた頃です。晋は内紛により、翼(よく)と曲沃(きょくよく)に分かれていました。どちらも小国には違いありませんが、曲沃の君主称(しょう)は気宇壮大な野心家で晋の統一を夢見ていました。称は翼を何度も攻めますが、最終的に翼を滅ぼして晋を統一したのは20年後のことでした。この時、翼城は氷で作られた障壁で何重にも守られており、攻めるのに難航したのですが、重耳とその従者の幸運もあって落すことが出来ました。その時の翼の君主は、不運にも謀略を仕掛けて望台の上にいるところに火を掛けられて焼け死んでしまいます。
 曲沃の軍が翼を攻めているとき、曲沃が手薄なのを知った虢(かく)公は4万人の軍を率いて曲沃を襲います。この時に一計を用いてわずか2・30人の手勢で虢軍を退けるのが狐突(ことつ)です。称から曲沃を任されていた狐突は狄族の首長の助けを得て、2千人の兵で4万人の軍を退ける痛快さ。

 称は念願の晋の統一を果たしましたが、その時すでに80才という高齢でした。実は彼の野望は中華に覇を称えるという大きなものでしたが、それを果たすには年齢が高すぎました。この気宇壮大な称に比べて彼の息子の詭諸(きしょ)は武にばかり目が行き、器は小さなものでした。自分の抱いている野望を称に話すと「小さな覇道だな」と言われてしまうほど称の野望に比べて視野が狭かったのです。
 称の死後、晋の君主になった詭諸は驪姫(りき)という美女に溺れてしまいます。彼女は自分の子供かわいさに詭諸の公子をつぎつぎに破滅させていきます。中国に限らないことでしょうが、彼女のように自分の子供のために国を滅ぼす例はかなり多いです。宮城谷さんの作品に出てくるだけでもたくさんあって、本書ではこのように他国から送り込まれた女性によって国を滅ぼすことを「女兵」と呼んでいます。まさに驪姫はこの女兵でした。

 詭諸の死後、驪姫のたくらみで詭諸の公子は驪姫の子である奚斉(けいせい)と卓子(たくし)を除いてすべて追放されてしまいます。嗣子であった申生(しんせい)は首を吊って自殺してしまいます。彼の孝行ぶりは「晋の申生の孝子なる。父は讒(ざん)を信じて好まざる。」と詩に歌われているそうです。
 驪姫のために晋で内乱が起って大いに乱れたとき、重耳は君主として戻るように請われます。重耳の君臣はやっと故郷に戻れると喜びますが、重耳の重臣である狐偃(こえん)は「乱につけ込んで帰国すれば必ず乱を喜ぶようになり民にけじめを付けることができない。」と諫めます。重耳は使者に向かって「父が生きていたときは、近くで奉仕もできず、死んでも喪にのぞめず、罪をかさねました。このような者がどうして帰国できましょうか。」と言って断るのです。自分が望んでそうしたのではないのに潔いですね。
 結局重耳の弟である夷吾(いご)が君主となります。夷吾は若い頃は聡明であったのですが、この頃には吝嗇で愚昧と言ってもいいくらいになってしまっているのです。君主になるにあたり世話になった秦の任好(じんこう、穆公(ぼくこう))に五城を贈り、手柄のあった家臣の里克(りこく)に100万畝、丕鄭(ひてい)に70万畝を授けると言う約束をしたのですが、任好に対してはうやむやにし、里克と丕鄭は殺してしまいます。
 厚顔なことに、晋が2年連続で不作だったときには秦の任好に食糧を借りようとします。任好は太っ腹というか、大変な量の穀物を晋に送るのです。この輸送のことを「汎舟の役」と呼ぶほど長い舟の列が続きました。翌年、今度は秦が不作になってしまいました。この逆の立場になったときに、夷吾は借りたものを返す気はさらさらありませんでした。これには任好も髪を逆立てて怒ります。秦は晋を攻め、晋は完敗、しかも韓原の戦いでは君主の夷吾は捕らわれてしまうのです。そこでも任好の処置は太っ腹でした。夷吾は人質を送ることで帰国できることになりました。

 夷吾は重耳が戻ってくることを畏れ、恐ろしい刺客を差し向けます。それを知った重耳の放浪が始まります。斉へ向かって出発した重耳は飢えや刺客から逃れながら、その後19年一万里におよぶ長い旅でした。途中の君主もいろいろで、重耳を暖かく迎える者もいれば、追っ払うように冷たい仕打ちをする者もいます。夷吾の死を知り、秦の力を借りてようやく晋に戻ることにしました。その時に秦の軍を伴っていましたが、力で攻め落とすのは晋の民を苦しめることになるので無駄な戦いは避けていました。もともと晋の国内では重耳に対して慕うものが多かったので、ほとんど無血で晋の首都である絳(こう)へ戻ってきました。
 周王朝の内乱が起こりますが、まず手始めに重耳はこれを見事に収めます。これから覇王への道を着々と進んでいくのですね。その気持ちには放浪していた時に冷たい仕打ちをした国に対する復讐がありました。餓死しそうだった重耳達にわずかな憐れみも示さなかった衛を滅ぼし、他にも滅ぼします。しかし、自分に憐れみを示してくれた宋に対しては、楚からの攻撃から救うのです。こうして中国全土に対する覇王となりました。

 この作品では主人公の重耳も勿論魅力的ですが、その回りの人物が素晴らしいです。重耳の祖父の称の豪胆さがまず光りますし、重耳の回りにいる忠臣達も魅力的で、狐突、郭偃(かくえん)、狐偃、狐毛(こもう)、趙衰(ちょうし)、先軫(せんしん)、里克(りこく)、介子推・・・など数え上げたら何人いることか。また、逆に悪役を務める人々も本当に憎たらしくて素晴らしいです(笑)。


(以下、2004/2/29 追記)

重耳語録(その1)
 称が周王朝に大功を上げたのち、翼を攻めることもなくじっくりと国を治めている頃、曲沃では公子たちの器量比べがひそかにおこなわれていました。申生・重耳・夷吾という詭諸の3人の公子にかぎっていえば、申生の評点が一番高かったのですが、ある臣はこういいました。
「申生さまは欠点がない。それが欠点ではないか。人の器量というが、器量とは、しょせん器の大小に過ぎぬ。申生さまの人格はできあがりすぎており、器としては堅い。堅い器は、それ以上大きくならないし、こわれやすい。本当の明君とは、器の枠を感じさせず、われらごときでは器の度量(たくりょう)ができぬはずである」
 と、いった。他の臣はそうきかされると、大いに笑い、
「汝のいっている明君とは、周の文王や武王のことであろう。二、三百年に一人の英主だぞ。いや、いまのわれらが君もそうした明君にはいろう。ところが、曲沃の明君が文王や武王におよばないのは、文王や武王には汝のごとき、しいて瑕瑾を求める臣がいなかったことだ」
 と、いい返した。

重耳語録(その2)
 驪姫に惑わされ、詭諸は3人の公子を辺境の地へやることにしました。しかも公子たちの家臣のうち大夫は都へ留め置くということになり、それぞれの公子の家臣たちは大いに瞋(いか)ります。
「こうなったら、太子と力を合わせて、両五をしりぞけ、驪姫を打倒しようではないか」
 いろいろな声が湯玉のようにあがる。
 重耳は黙っている。この場の沸騰が熄(や)むのを待っているともいえた。やがて、
「郭偃、これからは多分、一年に一度しか会えまい。わたしは蒲で、なにをすればよいのか。教えてくれぬか」
 と、気負いのない口調でいった。臣下たちはしずまった。
「星をごらんなされよ」
 郭偃のいうことはあいかわらず意表を衝いている。重耳は小さく笑った。
「星を、か。わかった。そうしよう」

重耳語録(その3)
 重耳たち一行は長い彷徨いのあと、楚に向かう途中、鄭に立ち寄ります。そこで大臣の叔・(しゅくせん)にあわや殺されそうになるところを夜中に逃げ出し、危機を脱しました。
 天がわずかに明るくなった。
 狐偃は東の空をながめながら、かたわらの狐毛に、
「叔・は賢相として高名であるが、こんどばかりは血迷ったな。いまごろは、おのれの悪計を悔やんでおろう」
 と語りかけた。
「君あって臣あり、臣あって君あり。叔・を誤らせたのは、鄭公だろう。人は、失うまい、守ろう、とすると、うすぎたないことを考えるようになる。なにもないことが、聖人への道だろう。そう想えば、この集団にいる者は、みな聖人よ」
 御(ぎょ)をしている狐毛は、口に風をはらませながらいった。
「聖者の群れか、うまいことをいう」
 狐偃は呵々(かか)と笑った。

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