墨攻

酒見賢一 著
新潮文庫


 墨子とは、墨翟<(ぼくてき)>のことですが、この人のことはその生まれも育ちもよくわかっていません。その字も伝わっていませんし、墨翟という名も怪しく、おそらくその出自は貧賤であったろうといわれています。この人の考えは「墨守」ということばに表れています。彼やその弟子たちは他国に侵略される国に入り込み、その国を難攻不落にしてしまうのです。今日このことばは、自説を固く守り続けて融通がきかないことという意味で使われていますが、もともとは墨子がよく城を守った故事からきています。
 堅固に城を守ることを「墨翟之守」といいます。『墨子』には楚が宋を攻めようとしているのを聞いて、墨子は楚に赴き楚の軍師公輸盤<(こうしゅはん)>と楚王の前で仮想戦闘を行い9度攻防して全て守り通しました。公輸盤は攻める手だてを使い果たしましたが、墨子はまだ防戦する手だてが残っているといいました。それを見て楚王はついに宋を攻めるのをあきらめたそうです。この話には後日談があって、宋を救った墨子が宋に帰ったときに雨が降りだしましたが、門衛は墨子を怪しんで通さなかったそうです。(宮城谷昌光さんの短編小説『宋門の雨』より)
 墨子について広辞苑には次のように書かれています。

ぼくし【墨子】
@春秋戦国時代の思想家。墨家の祖。魯の人。姓は墨(顔が黒かったためとも入墨の意で一種の蔑称ともいう)、名は翟(テキ)。宋に仕官して大夫となる。(前480頃〜前390頃)
Aその著書。現存本五三編。兼愛説と非戦論とを唱えたもので、門弟の説も含まれるという。
 「墨守」ということばと、本書の題である「墨攻」とはどういう関係であるのか、というところがまず興味を引くところです。もともと墨子教団は「兼愛」「非戦」を唱え、専守防衛を基本としていますが、実際には精悍な軍団を持ち戦闘行為も行うのです。本書では、この二つの相反することばを主題にしているのではないでしょうか。
 あと、本書の表紙もそうですが、南伸坊さんの挿絵がほのぼのとしていて、とてもいいです。あまりに絵が多いのには辟易することがありますが、伸坊さんの画風も好きですし印象的でした。
 
 
 墨子教団では、精強無比の軍団が日夜、戦闘・戦術の工夫をしていました。また、墨子自身優秀な技術者であり、多くの兵器を開発し、それを実戦で使用してさらに改良を加えていました。しかし、墨子は自ら侵略することをしませんでした。ひたすら「守る」ことに徹底していました。
 墨子亡き後、墨子教団を率いる者は巨子<(くし)>(鉅子)と呼ばれました。その巨子のもとで墨子の教えを守って(墨守して)戦国の世の中で異彩を放っていました。
 
 時の巨子、田襄子は戦闘以外の方法で戦国時代に終止符を打とうと考えていました。本書の主人公、革離は根っからの墨者であり、筋金入りの戦争職人といってもいいくらいで、田襄子の考えにはついて行けません。趙と燕の境にある梁という小国(城)から救援要請があったとき、田襄子はいい顔をしませんでしたが、革離は「弱きの救援を行うのは我らの規矩<(きまり)>です」といい、結局一人だけで梁の救援にいくことになりました。
 墨子教団が固く城を守るといっても、一人だけで乗り込んでもその可能性は低いのです。通常、いろいろな専門家のプロジェクトチームを中心とした軍団を派遣します。しかし、田襄子との意見が合わず一人だけ乗り込まれた革離は一人でもやるつもりでした。
 革離が梁に着いて見たのは、至る所ほころんでいる城の状況と、老いて怠惰で側女と乳繰りあうことだけが楽しみとなっている城主でした。革離は城を守る体制を作るために城主でさえも自分の指揮下に収めます。趙の大軍からこのような小城を守るためには、単に城の作りだけでなく厳しい体制が必要でした。革離は「勝つ」ためではなく、「守る」ために城主から大きな権限を獲得しました。
 革離は老若男女の別を問わず戦う体制を作り上げます。そして敵の攻撃を防ぐための設備を作らせます。墨家ではこれらは、通常複数の専門家チームで行うのですが、革離一人で行わなければなりません。城邑の全員の前で革離は話をしますが、その中には城主の側女が来ていません。革離は、彼女らも含めて全員で戦うといい、館から連れ出させました。城主は不満でしたが、なにも言えませんでした。
 
 2万の兵を従えて梁に攻めてきたのは、趙の司馬、巷淹中<(こうえんちゅう)>という名将でした。淹中は梁城を見て、その粛然とした様子にためらいを感じます。まず三千の兵に小手調べをさせますが、堅い守りにあっけなく退却させられてしまいます。淹中はそれを見て梁城攻略が困難なものになることを察しました。
 革離に率いられた梁城はよく守りますが、淹中はさすがに名将、少しずつ城のほころびを広げていきます。そして、捕らえた捕虜を殺そうとする部下を抑え、墨者が梁を守るために入っていることを聞き出します。そして、捕虜を帰してやりました。その捕虜こそ、梁城主の息子の愛人だったのです。この頃、捕虜は殺されるのが普通なのですが、無事に帰ってきた捕虜たちが淹中に機密事項をしゃべったことを知り、革離は賞罰を公平にするために帰ってきた者たちを殺すことにしました。
 愛人を殺された城主の息子はその後とんでもない行動に出ますが、それは読んでからのお楽しみにしておきましょう。
 

 墨攻

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