中国古典百言百話

PHP研究所


 歴史書というより、ビジネス書として中国の古典がブームになったときに出版された本です。全部で20巻ほどのようですが、とりあえずこの2冊を読んでみました。個人的な好みから、選んだのは『三国志』と『史記』です。三国志は他にもいろいろ紹介していることからもわかるように、私の最も好きな本の一つです。また、史記は中国の最初の史書といわれており、神話の時代から漢までが記録されており、特に春秋〜戦国〜漢建国という私の興味ある時代が書かれていますので選んだ次第です。
 しかしながら、この手のビジネス書(?)というのは教訓じみていて私の好むところではありませんでした。特に、三国志の方は「部下をどうしろ」とか「組織はこうしろ」とか「上司はこうあれ」とか、こういうのはなんとなくいやなんですがねぇ・・・。とはいえ、ここで紹介されていることばをいくつか紹介しましょう。(「私の好きなことば」?)

三国志
【『蜀書』馬謖伝より】
用兵之道、攻心為上、攻城為下、心戦為上、兵戦為下。 用兵の道は、心を攻むるを上となし、城を攻むるを下となす、心戦を上となし、兵戦を下となす。
 諸葛亮が南征するとき、馬謖にどんな策を取るかと尋ねた際の馬謖の答えです。三国演義では諸葛亮が孟獲を「七たび縦(はな)ち、七たび禽(とら)う」という話になっていますが、そのことを言ったものです。

【『魏書』武帝紀より】
太祖運籌演謀、鞭撻宇内。
攬申・商之法術、該韓・白之奇策、官方授材、各因其器、矯情任算、不念旧悪。
終能総御皇機、克成洪業者、惟其明略最優也。
抑可謂非常之人、超世之傑矣。

太祖、籌(ちゅう)を運(めぐ)らせ謀を演(の)べ、宇内(うだい)に鞭撻(べんたつ)す。
申・商の法術を攬(と)り、韓・白の奇策を該(そな)え、官方に材を授け、各(おのおの)その器に因(よ)り、情を矯(た)め算に任(まか)せて、旧悪を念(おも)わず。
ついに能(よ)く皇機を総御し、よく洪業を成す者は、惟(た)だその明略最も優(まさ)ればなり。
そもそも非常の人、超世の傑と謂(い)うべきなり。
 三国志の著者、陳寿が曹操を評したものです。
 「曹操こそ卓越した人物、時代を超越した英雄である」とは、ちょっと誉めすぎのような感じもしますが、いやいやそんなことはありません。妥当なところでしょう。

【『蜀書』先主伝より】
弘毅寛厚、知人侍士、蓋有高祖之風、英雄之器焉。
弘毅(こうき)寛厚(かんこう)、人を知り士を侍するは、蓋(けだし)高祖の風、英雄の器あり。
 これは陳寿が劉備を評したものです。
 「広い見識と強い意志それに加えて豊かな包容力を持ち、これぞという人物には甘んじてこれに接するのは漢の高祖(劉邦)の風格があり、英雄の器である」と高く評価しています。

史記
【楽毅列伝より】
古之君子、交絶不出悪声、忠臣去国、不潔其名。
古(いにしえ)の君子は、交わり絶ゆるも悪声を出さず、忠臣は国を去るも、その名を潔くせず。
 戦国時代、燕の名将楽毅は趙・楚・韓・魏・燕の連合軍を率いて斉の70の城を落とす活躍をしました。しかし、燕の昭王が亡くなり恵王が後を継ぐと、恵王は讒言を受け入れて楽毅を殺そうとしますが、楽毅は趙に亡命をしました。楽毅が居なくなった後、斉の田単の活躍で戦況は逆転されてしまいます。恵王は楽毅に戻るように頼みますが、楽毅がそれを断る時のことばです。

【遊侠列伝より】
諸所嘗施、唯恐見之。
振人不贍、先従貧賤始。
もろもろのかつて施すところ、ただこれを見んことをおそる。
人の贍(た)らざるを振(すく)うこと、まず貧賤より始む。
 魯の国の遊侠の徒として知られている朱家(しゅか)が取った立場は、「誰かに何かを援助する場合、いかなる見返りも要求するべきではない。」というものでした。見返りを求めると取引になり、しかも相手の立場が悪い場合相手の弱みにつけ込んだものになるというのです。
 このようなことばを残した朱家は裕福だったかといえば、とんでもないのです。粗衣粗食で乗り物も粗末なものだったそうです。侠客かくありき。

   

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