大団円を目指して


第26話 「新たな敵」



 色々あった士郎と大河と綾子の三人は、ようやく衛宮邸に帰り着いた。
 ところでトラウマを負った綾子だが、大河が士郎をぶん殴り人が宙を飛ぶ様を目の当たりにした彼女は、これも一つのショック療法といえるかどうかは不明だが、傍から見れば今ではある程度立ち直ったように見える。
 というのも彼女は、士郎をぶん殴った後の大河から長々と説教を喰らったのだ。
 女の子がこんな夜遅くまでうんたらとか、こんな時間に男の子と一緒だなんてかんたらとか、もうたんまりと怒られたのだ。
 控え目に言っても超長かった。
 色々有りすぎて、正直お腹いっぱいである。
 考えるのを止めたとも言えよう。
 ついでに言うなら、アスファルトの上でずっと正座をさせられていて足が痛い。
 更に言うなら、綾子が怒られている間、士郎はずっとピクピクしていた。
 そんな訳で、綾子は取り敢えずは立ち直ったように見えている。
 取り敢えずだが。

 ちなみに士郎の鼻血は既に止まっており、折れた鼻も何時の間にか完治していた。
 うわ白魔法ってヤツかすげえファンタジーだ、と綾子は大いに感心していたりする。
 大河は昨日の事もあるので、特に不思議には思っていない。
 士郎も一度死の淵から蘇生しただけに、傷が治るくらいの事ならきっとイリヤのお陰だろうと、全く深く考えていない。
 当然、ライダーに吸血された際に付けられた首の傷も、きれいさっぱり消えている。

「お帰り、坊や。無事で何よりだわ」

 そんな三人を、キャスターが門前で出迎えた。
 そういやキャスターを呼べば良かったんだなあと、士郎は今更ながらに思ったりしたが、そうした時は間違いなくキャスターには軽蔑されていた事だろう。
 代わりに綾子があのような目に合わずに済むならそれでも良かったし、また軽蔑程度で済むなら行幸ともいえるが、キャスターは自分の事を最弱と言っているだけに、逆に三人まとめて殺されていたかもしれない。
 あるいは、そうでなかったかもしれないが、正しい答えは士郎には分からない。
 ともあれ士郎は、

「いや、無事じゃなかったぞ」

 キャスターの出迎えに、そう答えた。

「あら、怪我でもしたの?」
「ああ、藤ねえに殴られて鼻折られた。それと……」
「何よ、それくらい。生きているなら問題ないわ。そんな事より」
「そんな事って……」
「約束通り、責任持ってあのお嬢さんを宥めてちょうだいね」

 そう言い残しキャスターは姿を消した。途端、

「シロウのバカーッ!!」

 イリヤが勢い良く胸に飛び込んで来た。
 見れば、彼女は涙目だ。
 ぽかぽかと、士郎の胸を叩くイリヤ。
 いくらなんでも泣く事はないだろうと士郎は思ったが、イリヤにしてみれば不安で仕方なかったのである。

 苦労の末にセラを何とか説き伏せ無事士郎の家に住める事となったイリヤは、士郎達が戻るほんの少し前に意気揚々と帰って来たらしい。
 メイドの二人は、色々と準備があるので今日のところは城に残ったとの事。
 しかし、士郎はいなかった。
 自分との約束を破ったのだ。
 あんなに約束したのに破ったのだ。
 イリヤは怒った。
 そりゃもう大層に怒った。
 だがその怒りも、時間が経つにつれ徐々に不安へと移り変わって行く。
 何しろ、士郎である。
 何らかのトラブルに巻き込まれていても不思議はない。
 事実、昨夜士郎は死に掛けている。
 少しずつ不安が積もり、探しに行きたくとも行き先を知らないイリヤは気が気でなくなっていった。
 そんなところへ、士郎は帰って来た。
 のほほんと。
 しかも、新しい女連れで。
 怒るべきか泣くべきか分からなくなったイリヤは、そのまま泣きながら怒ったのである。

 以上の事を涙ながらに語ったイリヤを胸に抱きながら、士郎は罪悪感にさいなまれていた。
 どう考えても、いや考えるまでもなく、約束を破った自分が悪い。
 世話になっているネコの頼みだけにどうしても断れなかったのは確かだが、実際のところは本当に襲われるとは思っていなかっただけの事である。
 約束を破った自分が「もうしない」などと言ったところで説得力がなく、結局士郎には謝る事しか出来なかった。

 彼は、無力だった。
 これまで同様に。

 そんな士郎達の様子を、キャスターは屋根の上からひっそりと見下ろしていた。





 この晩、ここから先に殊更述べるべき事は特に無い。
 士郎にもキャスターというサーヴァントがいる事に、綾子が驚いた事。
 士郎が、ライダーに襲われた事を皆に報告した際、驚かれた事。
 イリヤが、まるでライダーをよく知っているかのような意味ありげな言葉を口にした事。
 その事で、キャスターがイリヤに食って掛かった事。
 そんなキャスターを、今まで同様イリヤが相手にしなかった事。
 自分も殺され掛けたと、綾子までがイリヤに食って掛かった事。
 生きているのだからライダーは本気ではなかったのだろうと、イリヤが軽く流した事。

 その他、イリヤのどうでもよさ気な態度に綾子が怒ったり、それを大河が取り成したり、綾子の相手が面倒くさくなったイリヤがバーサーカーを実体化させそれを見た綾子がパニックを起こし掛けたり、イリヤまでもがマスターであった事に綾子がやはり驚いたり、大河までもが他のサーヴァントに襲われていた事を知った綾子がやっぱり驚いたり、実際に士郎が胸を刺されて死に掛けた事を知った綾子がどの道驚いたりなどなど、細々とした事があった程度である。





 その晩衛宮家に泊まった綾子は、大河と一緒の部屋で寝た。
 ちなみに綾子の家には、大河が電話をして宿泊の許可を取っている。
 なかなか眠れなかった彼女達は、並べた布団の中で色々な話をした。
 特に綾子は、大河が自分と同じようにサーヴァントに襲われた時の話をせがんだ。
 苦笑しながら、大河は語る。
 その時の恐怖を。
 そして、それを克服した今に至る過程と、その決意を。
 人に話すような事ではないが、自分と同じ様にサーヴァントに襲われた綾子が今も恐怖に囚われている事を察した大河は、少しでも力に慣れればと訥々と語った。

 綾子は、自分が恥ずかしくなった。
 大河や士郎の味わった目に比べれば、自分のされた事など、大した事ではないように思えたからだ。
 落ち着いた今だからこそ思える事だが、それだけに彼女は恥ずかしかった。
 大河の事を、一人の武道家として尊敬している綾子。
 大河の年で剣道の五段もの免状を持っている事は、自分も剣道を嗜んでいただけに、その凄さはよく理解出来るのだ。

 それでも、怖いものは怖い。
 どうしようもなく、怖い。

 大河のお陰で立ち直ったかのように見えた綾子だったが、初めての死の恐怖は未だ彼女に付き纏っている。
 そんな彼女の様子を見て取った大河は、綾子を自分の布団に誘った。
 躊躇しつつも、綾子は大河の布団におずおずとお邪魔する。
 暖かかった。

 ――――あたしも藤村先生のように……

 その晩彼女は、悪夢に苛まれる事もなく、ぐっすりと眠った。
 安らかな寝顔だった。
 ちなみに大河は、士郎とエッチした事は語らなかったが、それは言わずもがなであろう。





 翌日も、夜までは特筆すべき事は無かった。
 綾子が士郎達に関わる事への決意を固め、それを宣言した事くらいだろう。
 無論周りは止めたが結論は出ず、取り敢えずは今日も綾子は衛宮家に泊まる事となった。
 あとは、キャスターによる使い魔の製作くらいだろうか。
 どんな使い魔なら便利がよく、かつ街中でも目立たないかを皆で話し合った。
 実際に作るところを見学したりもした。
 割と盛り上がった。
 そんな感じで、日は暮れた。

 そして夜。
 いよいよ出陣である。
 キャスターとバーサーカーの、ドリームタッグ。
 ドリームとはいささか大袈裟のようだが、本来ならあり得ないという意味では夢のタッグと言っても間違いではないだろう。
 何より、本来敵同士であるサーヴァントが手を組むなど、そうそうあり得ない事である。
 しかも、その内の一人は、音に聞こえたあのヘラクレス。
 正に無敵である。
 一抹の不安は拭えないが。
 ともあれ出陣を控えた士郎達の気分は、最高潮と言って良いくらいに盛り上がっていた。

「敵よ」

 そんな中、キャスターの口から唐突な言葉が放たれた。
 昼間放ったキャスターの使い魔が、こちらに向かう敵を捉えたのである。
 いきなりの言葉に皆は咄嗟に反応出来なかったが、士郎が冷静に手早くキャスターに問う。

「距離は?」
「約五分の距離。目的はまず間違いなく、この家ね」
「ちょっと! それって……!」
「しかも、四人。その内サーヴァントは二人。一人は、昨日坊や達が襲われたっていうライダーみたいね。もう一人は……」
「ど、どどどどうしよう!?」
「美綴も藤ねえも落ち着けッ! 二人は一旦奥に引くんだ! キャスター! イリヤ! 俺達は……!」
「セイバーじゃない?」
「……え?」
「だから、もう一人はセイバーじゃない? 金髪で、青いドレスに白い鎧の女性じゃないかしら?」

 女性と言うよりは少女って言った方が良いかな、などと、あと少しで襲われるという状況の中、何でもない事のようにイリヤは言った。
 その落ち着いた態度と意外な内容の発言に、皆はほんの少しだけ呆気に取られる。

「……その通りだけど」
「それ、味方だから」
「……は?」

 少々の間のあと気を取り直したキャスターが肯定するが、さらりと続けられたイリヤの言葉に、皆は再び少しだけ呆気に取られた。

「どうせ、シロウと離れている事に我慢出来なくなったんでしょうね。最初から出来る筈なかったのよ。我慢しないで、さっさとシロウに合流すれば良かったのに。わたしみたいに」

 やれやれという感じで、肩を竦めるイリヤ。
 そのイリヤの仕草と言葉に、期せずして皆の頭に同じ疑問が浮き上がる。

「あのお……」
「何よ?」

 代表して、大河がその疑問を躊躇いながら口にした。

「……もしかして、さ。その、今から来る相手って、さ。イリヤちゃんの……知り合い?」
「っていうか、一人はサクラよ」
「――――え?」

 重ねてさらりと言われたイリヤの言葉に、今度こそ皆は呆然とした。

「わたし、ちょっと出迎えて来るから、シロウはお茶の用意をしておいてね。お客様はサーヴァントも含めて四人よ」
「……」
「呆けていないで、美味しいお茶を宜しくね、シロウ」

 ウインクをしながらそう言い残すと、イリヤは足取り軽く居間を出た。

「え〜っと……」
「サクラって……」
「まさか……」

 頭が付いていかなかった。
 口々に言葉を発しながら、イリヤの言葉の意味を皆が銘々に噛み砕く。
 そして暫しの時が過ぎ、

「うっそだろお――――ッ!!?」
「うっそぉ〜〜〜〜ん!!」
「マジかよォ――――ッ!!」

 三人は一斉に驚いた。
 そんな中、一人冷静なキャスターが士郎に淡々と問い掛ける。

「で、結局どうするの、坊や。逃げるなら逃げるで、早く決断なさい」
「……」
「……」

 士郎の決断次第で、これから戦争が始まる。
 そうキャスターは言っていた。
 彼女の言葉に黙り込んだ大河と綾子の二人は、息を詰め士郎に注目する。
 息苦しさを覚える緊張の中、皆の視線を集めた士郎は、

「……取り敢えず、お茶の用意をして来る」

 と答え、お茶の用意をする為、席を立つのであった。

「って良いのかよ、それでッ!?」

 堪らず綾子がツッコんだ。

「う〜ん…………まあ、大丈夫じゃない? イリヤちゃんは嘘を……平気で吐きそうだけど、士郎には吐かないと思うから」
「そんな訳ないですって! っていうか、桜がマスターなんてあり得ませんよ!!」
「う〜ん……まあ、そうだよねえ」
「そうですよ! どう考えたって、あり得ませんって!」
「じゃあ、逃げる?」
「残念。もう手遅れ」
「え?」
「もう家の前にいるわよ」
「マジで!?」
「でも、どうやら本当にバーサーカーのマスターと知り合いみたいね。何やら話し込んでいるもの」
「マジかよ!?」
「本気でマジよ……ところでマジってどういう意味?」
「あ、マジっていうのはね、キャスターさん」
「そんな事説明してる場合じゃないでしょうッ!!」
「でも一応教師としては、やっぱり正しい日本語を覚えて欲しいし」
「マジが正しい日本語なんですか?」
「え、違うのッ!?」
「……」
「……」
「……あたしも、ちょっと様子見て来ますから。ホントに桜なら、マジ心配だし」
「あ、待って美綴さん! 違うの!? 違ってないの!? 教えてってば、美綴さ〜ん!!」

 疲れたようにボソボソと言い残した綾子は、足取り重く居間を出た。
 大河は、キャスターと二人取り残される。

「う〜、美綴さんの意地悪ゥ……ところで、キャスターさん」
「何かしら?」
「戦ってはいないんだよね? イリヤちゃん達」
「ええ」
「じゃあ、ホントに味方なのかな?」
「少なくとも、バーサーカーのマスターの敵ではなさそうね」
「ふ〜ん……ねえ、キャスターさん」
「何かしら?」
「ホントに味方だったら、キャスターさんはどうするの?」
「どうって?」
「キャスターさんは、戦わなくても良いのかって事」
「……どういう意味かしら?」
「戦わなくても、キャスターさんの願いは叶うのかなって意味」
「……」
「さて。じゃあ、わたしも様子を見て来るね。さすがにちょっと心配だし」

 そう言い残し、大河も居間を後にした。
 一人居間に残されたキャスターは、思う。

 ――――そうね。貴女の言う通りよ、タイガ。

 戦って、殺して、生き残らなければ。
 最後の一人として勝ち残らなければ、自分の願いは叶わない。
 それが、聖杯戦争である。

 ――――貴女の事は本当に気に入っていたんだけどね、タイガ。

 キャスターは、とても残念に思った。

 それはそうと、今は敵のサーヴァントだ。
 見たところ、彼女等は本当にバーサーカーのマスターの知り合いのようである。
 戦闘になっていないのだから、それは確かだ。
 だが、だからといって味方同士とは限らないし、何より自分の味方ではない。
 かといって、この機会を逃せば、セイバーと敵対せずに済むかもしれない好機は二度と訪れないだろう。
 本当にもう一人のサーヴァントがセイバーだとすれば、それはあまりに惜しかった。
 ならば、決断しよう。
 自分一人が生き残り、自分の願いを叶える為に。

 これは、賭けだ。
 自分の命をチップにした賭け。
 しかし、これまでの賭けに比べれば、随分と分の良い賭けに思える。
 何しろバーサーカーのマスターの、坊やに対する拘りは本物である。
 何の関わりもない男の命を救う為に寝る女などいやしないし、そもそも彼女はそんな回りくどい事をする必要がない。
 彼女がその気なら、自分達はとっくに殺されているのだから。
 タイガも信じているようだし、罠の可能性もないではないが、ここは味方と賭けても良いだろう。

 何より、あのバーサーカーがいる限り、自分だけでは勝ち残れない。
 勝ち残れる訳がない。

 キャスターは決して卑下しているのではない。
 彼女もサーヴァントの一人。
 己に対する自負はある。
 だがセイバーもそうだが、バーサーカーにはそれ以上に勝てる気がまるでしないのだ。
 それだけバーサーカーの、ヘラクレスの名は、あの時代を生きた者には大きかった。
 数多の英雄が語られたギリシア神話。
 その最大の英雄たる所以である。

 結論として、ここは味方と賭けるべき。
 ならば、今自分のすべき事は何だろうか。

「待たせた。あれ、藤ねえと美綴は?」

 ひとまずは、坊やのお茶を楽しむ事だろう。





 図々しくも居間に乱入して来た彼女達が、坊やに抱き付いている。
 しかも、涙を流さんばかりに。
 これは予想外だ。
 歓迎すべき方向にだが、どうやらバーサーカーのマスターだけではなく、彼女等までもが本気で坊やにご執心らしい。
 ならば自分が今すべき事は、彼女等を揺さぶり牽制し、こちらのペースに持って行く事だろう。
 そして彼女等の中心人物らしき彼女を、じっくりと観察する事だろう。

「他人のマスターに、何をしているのかしら?」

 ずずずとお茶を啜った後、キャスターは落ち着いた声でそう言った。
 コトリを湯飲みを置く音が、やけに居間に響いた。





 計八人の男女が、衛宮家の居間に集っている。
 今更言うまでもないだろうが、バーサーカーだけはいつもの如く実体化しておらず、庭に一人で放置である。
 本当に今更だが。
 ちなみに彼も、一応全ての会話は見聞きしていたりするのだが。

「……で?」
「『で?』って何だよ、遠坂?」
「決まってるでしょ! この状況を説明しなさいって言ってるのよッ!」

 イラついた様子の凛が、唾を飛ばす勢いで怒鳴った。
 彼女は沸点が低いのだ。

「あ〜、遠坂達とお茶をしている」
「こんな時に、いらんボケしてんじゃないわよッ!」

 更にイラついた凛が、油に火の付く勢いで再び怒鳴った。
 彼女は沸点がとても低いのだ。

「あの、先輩……」

 士郎達が凛のイメージにそぐわない態度に驚いている中、桜がおずおずと口を開く。

「美綴先輩が居る事にも驚いたんですけど……そちらの人、その、キャスター……さん、ですよね?」
「あれ、知り合いか?」
「いいえ、初対面よ」
「だよなあ」

 素っ気なく視線も向けられずに返されたキャスターの答えに、士郎は納得したように頷く。
 が、

「だから、何でキャスターがここにいるのかって聞いてんのよッ!!」

 とことんイラついた凛が、烈火の如く三度怒鳴った。
 だが彼女が怒るのも、彼女の立場からすれば無理はない。
 士郎を助けるべくさんざん努力し苦労し積み重ねた我慢が、全て無駄になったのだから。
 無論士郎に悪気はないが、彼女達にしてみれば文句の一つや二つや三つは言いたくなるのも当然だろう。

「え〜っと、話が進まないから、わたしから説明するね。キャスターさんを助けたのは士郎だけど、それからは、わたしもずっと一緒にいたから」

 そんな二人を見かねた大河が 説明役を買って出た。

「え〜っと、ほら。何日か前に、遠坂さん達が夜中家に来た事があったでしょう? あの時、あれから士郎がみんなを追いかけたんだけど……」

 そして、彼女達にこうなった経緯の説明を始める。
 この場にいる誰よりも士郎と共に過ごした大河。
 彼女の口調は、何処か誇らしげであった。

 ちなみに大河は、イリヤと一緒に士郎とエッチした事はさすがに語らなかったが、それは言わずもがなであろう。
 何気に士郎が安堵の息を吐いていたりするが、それも言わずもがなだろう。





「何と言うか……ホント、士郎は士郎よねえ……」

 やれやれと、凛は溜め息を吐くように言った。
 色々と思うところはあるし言いたい事もあるが、結局のところ、士郎は予想通りに巻き込まれていた。
 運命だ何だというのは好きではないが、やはり士郎は士郎という事だろう。
 そもそも、この聖杯戦争がなければ凛が士郎と親しくなる事もないので、彼女にとってみれば、士郎が参戦したこの状況は決して忌避すべきものではない。

「そうですか……」

 逆に桜は、苦々しく思っていた。
 まさか、自分のあの時の行動が今の状況を作り出すとは思わなかったのだ。
 それだけに苦々しい。
 巻き込まないと決めたなら、家に行くべきではなかった。
 いや、凛達と合流した時、止めるべきだったのだ。
 勿論あの時の自分がそんな冷静でいられる筈もなく全ては手遅れだが、それでも桜は自分を責めた。
 事実、士郎は一度死に掛けたのだから。

「まあ、そういう事ね」

 イリヤは、今の状況に特に不満はない。
 というより、昨夜士郎と結ばれただけに、かなり満足していた。
 この事実をいつ凛達にバラそうかと、一人わくわくしていたりする。
 その時の反応が、今から楽しみで仕方がない。
 もっとも桜だけは楽しみでは済まない事請け合いなので、士郎を巻き込まない為にもタイミングは慎重に計るべきだろう。
 そんな訳で、彼女は現状に概ね満足していた。
 キャスターの事だけは気にいらないが。

「なあ、遠坂」
「何よ?」

 そんな三者三様の思惑の中、綾子が恐々と口を開いた。

「……猫被ってないのは、まあ良いけどさ。何で衛宮の事を、士郎って名前で呼んでるんだ?」
「あら、変かしら?」
「変って言うか……お前等そんな親しかったっけ?」
「フフ、まあ美綴さんが驚くのも無理は……」
「いや、別に親しくないぞ」
「……」
「さすがに、そんな図々しい事は言えない」
「……バカ」

 凛がポツリと呟いた。
 確かに聞こえたその力のない呟きは、とても悲しげなものだった。
 何となく気まずい空気が、皆の間に流れた。

「あの、先輩」
「何だ、桜?」
「先輩は、参加するんですか……やっぱり」
「ああ。この街で、戦争なんてものが起きているんだ。黙って見てはいられない」
「……」

 気まずい空気が、士郎の答えで更に気まずいものとなった。

「……まあ、それは良いわ。正直、士郎には参加して欲しくなかったんだけど……」
「何だよ、それ?」

 桜の手前もあって言った、凛にとっては場繋ぎでしかない言葉に、士郎が食い付く。
 が、あっさりと大河に言われてしまう。

「そりゃ、あっさりやられちゃうからでしょう」
「……」

 あっさりやられたばかりなだけに、士郎は何も言えなくなった。

「いえ、その心配はいりません」
「いえ、その心配はいりません」

 その時、今まで凛と桜の隣に控え口を挟まなかったセイバーとライダーが、同時に口を開いた。
 だが、同じタイミングで同じ内容を同じように言った両者は、思わず顔を見合わせる。
 誇らしげな口調から、自分が守るからと続けたいところだったのだろう。
 二人にしてみれば。
 が、同じ事を同じように言ってしまったので、結局二人は黙り込んだ。
 気まずい空気が、段々と重いものへと変わっていった。

「あ〜、ところで桜」
「はい、何でしょう」
「桜がこの戦争に参加しているってのも驚いたんだが、それはまあ、今は置いておく。まずは、そっちの人達を紹介してくれないか?」

 重い空気を取り払うように、士郎が二人を、特に桜の隣に座るライダーを見ながら言った。
 何しろ彼女には、昨夜襲われたばかりなのだ。
 自分が吸血された事は誰にも言わないと約束したのでそれについて言うつもりはないが、味方となるならその辺りの事はキチンと説明して欲しい。
 だが、何となく納得も出来た。
 昨夜襲われた時の、士郎に対するライダーの不可解な態度。
 あの場では絶対の強者だった筈のライダーのそれも、桜のサーヴァントという事なら頷けるというものである。
 何となくだが。
 ちなみに綾子が襲われた事については、前述の通り既に皆に話し済みだ。
 さすがに綾子の事については話さない訳にはいかず、また約束もしていなかったが、ともあれ彼には、あくまで何となくに過ぎないが、ライダーが敵ではないように思えるのだ。

「そうだな……あたしも紹介して欲しい」

 だがここに、何となくでは済まない者がいた。
 士郎と同じく襲われた綾子である。
 ここぞとばかりに、彼女は口を挟む。
 なけなしの勇気を振り絞って。

「初めまして、じゃないよな、アンタ」
「……」
「なあ、聞こえてるんだろ?」
「……」
「……何とか言えよ」
「……」
「何とか言えよッ!」

 声を張り上げる綾子。
 声を張るのは、心に余裕のない証。
 大河のお陰で立ち直れはしたものの、昨夜襲われたばかりである彼女の心の中には今も恐怖が息づいていた。
 だが彼女は、勇気を以って立ち向かう。
 ここで退いたら、自分は駄目になる。
 その事を、誰に言われるまでもなく綾子は理解していた。
 故に、ここで退く訳にはいかなかった。
 殴り合いも辞さない、宿敵である凛の目の前である。
 可愛がっている、後輩の桜の目の前である。
 何より尊敬する大河が、今の自分の隣にはいる。
 この人達の前で、みっともない姿を晒す訳にはいかない。
 綾子は勇気を以って、己の恐怖に立ち向かった。

 ちなみに、士郎の事は眼中にない。

 一方ライダーは、取り澄ました顔など出来る筈もなく、盛大に汗を垂らしながらもこの場をどうやって誤魔化そうかと、これ以上ない程に懸命に頭をフル回転させていた。
 やがて彼女の明晰な頭脳は、一つの答えを弾き出す。
 誤魔化せる訳がないと。
 そんな結論に至った彼女は逃げ出せる筈もないのに思わず腰を浮かせるが、

「どうかしたの?」

 鈴を転がすような澄んだ桜の声で、動きを止めた。
 止められた。

「ねえ、ライダー」
「……」
「ライダーってば」
「……」
「返事くらい、して欲しいな?」

 気付けば居間は、シン、と静まり返っていた。
 士郎はアレ? と不思議に思う。
 何故ここまで空気が重いのだろうと。
 もっとも、ライダーにとっては空気が重いどころの話ではない。
 可憐ともいえる桜の声に、ライダーだけは身震いするような威迫を感じたのである。
 ぶるぶると、勝手に身体が震え始めた。
 だらだらと、冷たい汗が止まらなかった。
 もはや、これまで。
 ライダーは、清水の舞台ならぬ間桐家の蟲穴へ飛び降りる覚悟で返事をした。

「申し訳ありません、サクラ。昨晩、士郎と彼女を襲いました」

 深々と畳に頭を付けながら、ライダーは謝罪する。
 ここまで来れば、自分が白状せずとも昨夜の事がバレるのは時間の問題であり、何をどう足掻こうと、もはやお仕置きは避けようがない。
 この場に綾子がいた事が、彼女にとっては大きな誤算であった。

「また、士郎の血を吸わせて頂きました」

 ライダーは観念し、全てを白状する。
 隠し事がバレれば、お仕置きはより酷くなるからだ。
 下手に言い訳をすれば、お仕置きはなお酷くなるからだ。
 ライダーのこれまでの経験からすれば、これは確固たる事実である。
 幸い両者に怪我はなく、綾子の態度が少々微妙だが、肝心の士郎は昨日のようには怒っていない。
 ならば、白状した方がまだマシというもの。
 これらの計算を瞬時に済ませたライダーは、出来る限りの真摯な態度を以って桜に謝罪した。

 あくまで謝罪の先は桜というところが、ミソである。

 とにかくお仕置きは避けられずとも、最悪の状況だけは避けたいのだ。
 桜の逆鱗に触れた時のお仕置きは、そりゃもう凄いのだ。
 あれは、もはやお仕置きではない。
 折檻だ。
 虐待だ。
 とにかく本気で凄いのだ。
 口にするのも憚られるが、それこそ間桐家の地下にある蟲穴へ放り込まれるくらいに、怖ろしくも恐ろしくも畏ろしいのだ。

「……どういう事?」
「昨夜偶然出会って、我慢が出来なくなりました。その気持ちは解って頂けるものかと愚考します」

 桜は、ふむと頷いた。
 成る程、確かにその気持ちは良く解る。
 痛い程に、良く解る。
 だが。

「ライダー」
「はい」
「後で、お仕置きね」
「……はい」

 それとこれとは話が別。
 桜は、後でライダーにキッツイお仕置きをする事を決意した。
 ライダーは、しくしくと熱い心の汗を流した。

「あの、本当に……」
「はいはい、馬鹿話はここまでよ。桜、今はもっと他に話すべき事があるでしょう?」

 パンパンと手を打ち鳴らしながら、凛はさも呆れたように言った。
 ライダーのマスターとして謝罪しようとした桜は、そんな凛の態度に不満を持ち小さな呟きをもらす。

「……姉さんだって、さっきまで一人で怒ってた癖に」
「何か言った、桜?」
「いえ、ささやかな不満がつい口に出ただけです。気にしないで下さい。わたしは気にしませんから」
「……言うわね、アンタ」
「これでも主婦でしたから」
「……フ」
「……フ」
「「フフフフフ」」

 何なのだろう、この状況は。
 自分を恐怖に陥れたアレが、目の前でぶるぶると震えながら涙している。
 本当にアレは、桜を恐れているようだ。
 よりにもよって、あの気の弱い桜に。
 彼女は一気に気が抜けた。
 怖がっている自分が馬鹿馬鹿しくなったともいえよう。
 姉さんだの主婦だの流してはいけないような言葉が聞こえた気もするが、問い質す気力はもう綾子にはなかった。
 というか、誰も口を挟めなかった。

「まあ、良いわ。それより士郎」
「え? あ、ああ、何だ?」

 話を振られると思っていなかった士郎が、どもりながら返事をする。
 そんな士郎の情けない態度を満足げに見やりながら、凛は高らかに命令した。

「わたし達と、手を組みなさい!」
「は!? 遠坂達と!?」

 その命令は、士郎にとっては酷く意外な内容だった。

「そうよ。わたしと桜はもう手を組んでるの。つまり、セイバーとライダーが手を組んでいる訳」
「……まさか、本当に手を組んでいるなんてね」

 キャスターの口から思わず言葉が零れ出るが、構わず凛は言葉を続ける。
 士郎と、今この場で手を組む為に。
 これはもう、絶対に後回しには出来ない事。
 今すぐにも成さねばならない事だった。
 目を離せば何をしでかすか分からない、不安要素満載な男。
 魔術師としてはへっぽこでしかない、ただの半人前。
 サーヴァントと相対すればすぐにも殺される程度の強さしか持たない、歪んだ正義の味方。

 でも、愛しい男。

 そして、いずれは義弟となる男。
 ならば今ここで士郎を自分達の味方とするのは、凛にとっては参戦以前の大前提である。
 ただ気がかりが一つだけ。

「で、士郎なら信用出来るし、是非手を組みたいのよ。ただ、キャスターなんだけど……」
「キャスターが何だよ?」
「……彼女、本当に信用出来る訳?」

 それだけが気がかりであった。
 しかし凛にとって、士郎の答えは十分予想出来ている。

「俺はキャスターを信頼している」
「……でしょうね」

 予想通りの答えであった。

「あ、わたしもー」
「わたしはしてないけど、まあシロウが信用しているんだから仕方ないかなあって」

 続いての言は、大河とイリヤである。
 綾子は口を出さなかった。
 今日はもう口を出すまいと、彼女は密かに考えている。

「全くもう……ホント、士郎は士郎よねえ」

 一度信用したからには、明白な裏切りがない限り、彼はキャスターを信用し続けるだろう。
 否、例え裏切ったとしても、被害を受けたのが自分だけなら、士郎はそれを許すだろう。
 良くも悪くも、それが士郎という男である。
 その事を理解している凛は、諦めたように言ったのだった。

「ま、仕方ないか」

 伊達に、士郎と長年夫婦をやってきた訳ではないのだ。
 旦那のフォローは女房の役目。
 自分達さえしっかりしていれば良い。
 凛は、そう結論付けた。

「分かったわ。キャスター込みで手を組みましょう。桜もイリヤも良いわね」
「はい」
「シロウが良いなら、わたしは良いわよ」
「藤村先生も、綾子も良い?」
「わたしも良いよー」
「……別に文句ないよ。あたしが反対したって意味ないだろうし」
「……本当にごめんなさい、美綴先輩。ライダーが酷い事をして」

 桜が心底申し訳なさそうに、綾子に謝罪した。
 そんな桜に、綾子は暫し躊躇した後、本当にライダーは信用出来るのかと問うた。
 ライダーのような化け物のマスターが、事もあろうに桜である。
 あの大人しく気弱な桜があんな化け物の手綱を取れるとは、綾子としてはとてもじゃないが思えない。
 襲われるのは、もう勘弁して欲しかった。
 またそれとは別に、桜の事も心配だ。
 マスターだか何だか知らないが、手綱を取れなければ傍にいる桜こそが一番危険だろう。
 人の心配をする余裕など綾子にはなかったが、それでも桜は可愛い後輩。
 心配だった。
 その為の問いだったが、桜は自信を持ってハッキリと頷いた。
 だから綾子も頷き、桜の謝罪を受け入れた。
 無論彼女はライダーを信用した訳ではないが、もはや自分の出る幕ではないと考えたのである。

 ――――自分を襲った相手な訳だし、ま、普通はそういう反応よね。武道の達人といったところで、綾子はあくまで一般人だし。

 一度襲われただけにしては随分と怯えている気もするが、これこそが普通の反応なのだろう。

 ――――そうね。これが常識って奴よね。

 うんうんと、凛は頷いた。
 とある過去での綾子は、同じようにライダーに襲われても自力で立ち直ったが、今回の場合は聖杯戦争が終わった後にフォローの必要があるかもしれない。
 そう考えると、士郎はともかく、大河の態度は異常と言えよう。
 実際に襲われ、目の前で人が死に掛けたのだ。
 恐怖も無力さも嫌と言うほど感じただろうに、それでも今の大河は平然としている。
 さすがというか何と言うか、まあ、士郎の姉だけの事はあるだろう。
 大河もイロイロ合って立ち直れただけで十分恐怖は覚えたのだが、今の大河はそれを感じさせない。
 立ち直ったというだけでも凄いだろう。
 しかも、この短期間に。

 ――――う〜ん、何だか藤村先生の事を見直したわ。

 うむうむと、凛は頷いた。
 当然それは、綾子にもいえる事である。
 という訳で、そんなこんなと、なんだかんだで手を組む事になった士郎達であった。





「で、士郎。わたしとしては、アンタが一番心配なんだけど」

 歯に衣着せず、わたしはズバリと士郎に言った。

「何でだよ。俺としては桜の方が心配だぞ?」
「先輩……」
「はい、そこ、乙女チックな顔しない。言っとくけど、魔術師としては士郎なんかより桜の方がよっぽど凄いのよ。それ、理解してる?」
「そうなのか?」
「いえ、そんな事は……」
「そんな事あるのよ。っていうか、それだけ士郎がへっぽこって事なんだけど」
「うぐ……」

 言葉に詰まって苦い顔をする士郎を見て、わたしは大いに満足した。
 このわたしを、ここまで不安にさせたのだ。
 しかも、全てを無駄にさせたのだ。
 この程度の嫌味は言って当然、いや言うべきだ。
 そう、言わねばなるまい。もう絶対に。

「まあ、そんな訳だから士郎」
「どんな訳だよ?」
「つまんないツッコミしてんじゃないわよ。アンタの冗談はホントつまんないんだから」
「……悪かったな」
「可愛くないから拗ねないの。良いから黙って聞きなさい」
「……」
「返事は?」
「……なんだ?」
「聞こえない」
「なんだ!?」

 士郎をイジめてあらかた満足したわたしは、自分が自分である為に、言うべき事を言った。

「これからは、わたしがアンタに魔術を教えてあげるわ」
「……は?」

 この時点での士郎が魔術師としてはへっぽこのぴーである事は、厳然たる事実である。
 だがわたしは、士郎がそれだけではない事をよく知っている。
 わたしだけは、知っている。
 わたしが師匠となりさえすれば、士郎は必ず大成するのだ。
 あくまで魔術使いとしてだが、それがどうした。
 わたしのパートナーとなるなら、大成して当然。
 わたしが心から望むパートナーは、士郎だけなのだから。

「おい、遠坂」
「良いのよ解っているわ、士郎が半人前だって事は。わたしは、よおく知ってるの」

 士郎の恋人の立場は、桜に譲った。
 これはもう仕方がない。
 自分に士郎の恋人だった世界の記憶があるといっても、あくまで今のわたし達のベースは、桜と士郎が結ばれた世界のわたし達なのだから。
 それより何より、桜には幸せになって欲しいから。
 わたしは桜の姉なのだから。

「でも、大丈夫。大船に乗った気でいなさい。このわたしが、必ずアンタを一人前にしてあげるから」

 でも、士郎の師の座は譲れない。

「わたしが魔術を教え込めば、アンタは必ず大成する」

 これだけは、何処の誰にも譲れない。
 だから。

「だから、これからはわたしが貴方に魔術を教えて上げる。まあ、そうね。このわたしが魔術の師匠になってあげるんだから、むせび泣いて感謝をわたしに捧げてもバチは当たらないんじゃないかしら? というか、今すぐ捧げなさい。ホラ」

 ない胸を張りながら、とか気分が良いから自分で言っちゃうけど、偉そうな顔で偉そうな事を偉そうにわたしは言った。
 完全無欠に調子に乗っている訳なのだが、わたしにとっては無理もない。
 ようやくなのだ。
 わたしにとっては、ようやくあるべき姿となったのだ。
 自分が士郎の魔術の師となり、手と手を取り合いこの聖杯戦争を勝ち抜き、一生を共に過ごして、みんなでハッピーになる事。
 それは、わたしにとっては譲れない、というよりはあって当然の、あるべき自分達の姿である。
 わたしは心から安堵する。

 嗚呼、これでもう何もかも大丈夫だと。

 恐れる事は何もない。
 恐れる事など何もない。
 後は、金ピカ野郎を皆でタコ殴りにするだけである。
 セイバー、ライダー、バーサーカー、ついでにキャスター。
 うわ、こりゃもう勝ったも同然だわ。
 いくらなんでも、四対一ではギルガメッシュといえども勝てるまい。
 というか、聖剣の鞘(アヴァロン)があるならセイバー一人で十分である。
 かつての聖杯戦争では、それを以ってセイバーが勝利した事実が確かに在るのだから。
 令呪を使えば、なお良しである。クックックッ……

 士郎の恋人は、桜。
 これはもう決めた事。
 だからわたしは、士郎の魔術の師で良い。
 それで構わない。
 それでわたしは十分幸せ。
 士郎との子供は今も諦めてないけどね、クックックッ……
 わたしと士郎は、ずっと一緒。
 そうよ、今度こそは必ず士郎と……

 想像、というか妄想を始める凛。
 彼女にとっては、これが己の夢見るバラ色の人生の始まりである。
 暴走するのも無理はない、と言えなくもないだろう。
 だが返された士郎の答えは、余りに予想外なものだった。
 少なくとも凛にとっては。



「いや、俺もう師匠いるぞ」
「――――え?」



 凛は、士郎の言葉が理解出来なかった。



「だから師匠いるんだって、俺」
「な、なに馬鹿な事を……ああ、士郎のお父様の事ね。そうじゃないわよ、これからの事。別に貶めるつもりはないけど、さすがに亡くなった人は……」
「そうじゃなくて、今ちゃんといるぞ」
「……なに言ってるのよ、衛宮君」
「だから師匠がいると言っている。俺、キャスターに弟子入りしているんだ」
「嘘……」

 予想もしていなかった士郎の言葉に、凛の顔色が知らずに青褪めた。

「嘘じゃないぞ。俺が頼み込んだんだよ。戦う為に魔術を教えてくれって、キャスターに……」
「待って! ちょっと待ってよ!!」

 切羽詰った声で、士郎の言葉を遮る凛。

「……何よ、それ」
「俺、何か変な事……」
「何で士郎の師匠が、わたしじゃないのよッ!!」
「いや、何でって言われても……」
「何よ、それ。あり得ない……あり得ないわ……」
「っていうか、遠坂にそんな事、さすがに頼まないぞ」
「何でよッ!!?」
「何でって、そりゃあ」

 食い違う二人の会話。
 噛み合う事のない二人の認識。
 そして士郎は、当たり前のように決定的な言葉を言った。

「俺達、そんなに親しくないだろ?」

 その言葉に、青褪めていた凛の顔色が一気に蒼白となった。

「駄目……駄目よ、そんなの。だって、それじゃあ……」

 士郎が恋人であった世界もあったが、この世界では桜に譲ると決めていた。
 妻でなく、恋人でもない自分にとって、士郎の隣に居る事を許された最後の立場が、士郎の師という立場である。
 その場所すら、既に奪われているとしたら。



 二人は、単なる他人でしかなくなる。



 悪夢とは、正にこの事だった。
 だが、そんな凛の態度が士郎には不思議で堪らない。

「何をそんなに拘っているんだ? 自分でいうのも何だが、俺って魔術師としては半人前……えっと、以下だぞ」
「あら、そんなに自分を卑下する必要はないわ。これでも坊やの事は見直したんだから」
「そうなのか?」

 キャスターの言葉に、士郎は嬉しそうな顔をした。
 その顔を見て、凛の心は痛む。
 あの顔を向けられるのは自分の筈だったのに、と。

「そうね、坊やは一芸に秀でた素人ってところね」
「……結局素人かよ」
「一芸に秀でたって言ったでしょう? それだけは本当に大した物なのよ。この私が感心するくらいなんだから。そしてそこのお嬢さんは、それを知っているみたいね」

 さり気なく言われたキャスターの言葉に、士郎と大河の表情が強張った。

「……遠坂が?」
「だからこそ、坊やの師になる事に拘っているのよ。忘れたの、坊や? 私が言った事を」

 忘れられる訳がない。
 自分の異能を知った魔術師は、必ずや自分をモルモットにする。
 そう、彼女は言い切ったのだ。

「……そうなのか?」

 キャスターの言葉で、凛に疑いの目を向ける士郎。
 彼は、既にキャスターを信頼している。
 凛よりも、だ。
 その彼女の言葉を疑う理由など、士郎にとっては何一つなかった。

 士郎から疑いの目で見られた事に、凛は大きな衝撃を受ける。
 愛する男にそんな視線を向けられれば、それも当然。
 士郎からそんな目で見られた事など、どんな世界でもあり得なかった事なのだから。
 凛の顔は、歪んでいた。
 醜いといえる程に。

 だが、嘆いている暇はなかった。
 何としてでも、士郎の誤解を解かなければ。
 凛は必死に方策を練る。
 こんなものは、ただの誤解。
 士郎の事なら何でも知っている。
 そうだ。
 こんな誤解を解く事など、自分にとっては簡単な事だ。
 今すぐにだって解いてみせる。
 凛はそう考えていた。

 事実、この場にいるのが士郎だけなら、それも十分可能だっただろう。
 だが、この場にいるのは彼女ら二人だけではなかった。

「えーっと、遠坂さん」
「……え? あ、藤村先生……」
「こんな事は、言いたくないんだけどさ」

 そして大河は、言い難そうにしながらもハッキリと言った。

「帰ってくれない?」
「藤村先生!」
「桜ちゃんは黙ってて」
「せ、先生……」
「こうなったら、ハッキリ言っちゃうよ」

 桜が大河を止めようと声を上げるが、大河の静かながらも断固とした態度に言葉を失う。
 周りの皆も、凛を切り捨てるような大河の言葉に声を失っている。
 誰もが大河に注目する中、彼女は凛の目を真っ直ぐに見据えながら言葉を続けた。

「桜ちゃんの事は信用出来るけど――――」

 凛には、続く大河の言葉が解った。
 解ってしまった。
 彼女の目は、雄弁に語っている。



「――――遠坂さんの事は、信用出来ない」



 予想通りの言葉だった。
 ぐらぐらと足元が揺れる。
 絶望とはコレかと、凛は思った。
 何かを言いたいが、どうしても言葉が出ない。
 絶句とはコレかと、凛は実感した。
 結局彼女には、力なくうな垂れる事しか出来なかった。

 優等生として定評のある凛といえど、大河にとってはあくまで一生徒。
 既に大河は、凛よりもキャスターを信頼していたのである。

 イリヤは、予想外の成り行きに困惑していた。
 士郎の師がキャスターである事を既に知っていたイリヤだが、面白くなるとは思っていたものの、結局は丸く収まると考えていたのだ。
 それだけに、この状況は戸惑うばかりであった。
 彼女は、どうしようかと割と本気で困っている。
 なんだかんだとイリヤにとっては、凛は親しき友なのだ。

 桜は、おろおろとするばかりであった。
 セイバーは、どうやって凛のフォローをすべきかと懸命に考えている。
 ライダーも、どうやってこの場を治めるべきかと考えている。
 しかし、そう簡単に答えは出ない。
 下手な事を言えば、次の矛先は自分に向かうかもしれないのだから。

 そんな様子を傍から見ていたキャスターは、一人ほくそ笑んでいた。
 正統派の魔術師である凛は、それだけにキャスターにとっては理解しやすい。
 短い時間ではあったが、彼女達の中心人物である凛を最初から観察していたキャスターには、彼女の士郎に対する執着が本物である事を、十分理解出来ていたのである。
 彼女に、士郎をどうこうするつもりは無かった事を。
 彼女を貶めるように誘導したのは、立場を失くした凛をここで敢えて庇い、彼女に貸しを作る算段である。
 魔術師の鉄則である、等価交換。
 正統派の魔術師と思える彼女なら、間違いなく借りは返してくれる事だろう。
 それは、キャスターにアドバンテージを握らせる事に繋がる。
 これからの戦いの為にも、味方のいない彼女にとって、それは必要な事だった。

 だが、彼女の思惑はすぐにも外れる事になる。

「……そう、それって」

 うな垂れた凛が、俯いたまま小さく呟く。
 その顔は、垂れ下がった髪に隠され見えない。

「ようするに、それって――――」

 ボソボソと呟く凛。
 そして彼女は、擦れた声で言った。



「――――わたしの、敵になるって事よね」



「リン、それは……!」
「うるさい」

 セイバーの言葉を、端的な言葉で凛が遮る。
 彼女が何故そんな事を言ったのかは分からないし、本気で言っているのかも分からない。
 だが、魔術師としてではなく、一人の女として求めた居場所。
 女として士郎の隣にいる為の、たった一つの残された居場所。
 それが消えた事だけは、確かである。
 ならば愛を諦め切れない彼女は、一体どうすれば良いのだろう。
 凛の思惑は誰にも分からない。

「ねえ、リン――――それ、本気?」

 イリヤは、興醒めな気分だった。
 事実、彼女はシラけている。
 何を悲劇のヒロインぶっているのかと。
 正直、イリヤはそう思う。
 そもそも、凛は欲張り過ぎだ。
 所詮キャスターは、聖杯戦争が終われば、この世から消え去る身。
 ならば、少し我慢すれば、自然と士郎の師の座程度は転がり込んで来るだろう。
 なのに、何故ここまで大袈裟に悲観するのか。出来るのか。

 ――――シロウの味方をするなら、何があろうと最後までシロウの味方をしなさいよ。

 かつてイリヤが大聖杯となった世界では、例え士郎に切り捨てられようと、彼女は最後まで士郎の味方をした。
 故の、率直な想いであった。
 同情はするが、士郎の敵となるからには、もはや情けは掛けられない。
 既にイリヤの傍には、万が一の場合にはすぐにも対応出来るよう、零体化したバーサーカーが控えている。
 イリヤにとって、凛は大切な友だ。
 それは間違いない。
 でも士郎の方が大切。
 イリヤにとっては、ただそれだけの話であった。

 桜の隣に控えるライダーも、実は同じような事を考えている。
 同じ男を愛する女として凛の気持ちは分からないでもないが、絶望程度の事は生前から死後まで、彼女は何度も味わっている。
 そんなライダーにとって、凛の絶望も所詮は大したものではない。

「待って、姉さん!」
「いけません、リン!」

 今、凛を心配しているのは、桜とセイバーだけである。

「そう……ところで二人はどっちの味方?」

 二人の心配を無碍にする凛。
 言葉を失う桜とセイバー。
 二人の想いは、届いているのかいないのか。

 少しずつ、だが確実に高まる緊張感。
 微妙な均衡。
 キッカケがあれば、今にも戦いが始まりそうな気配がこの場に充満しつつあった。
 事が起きるとすれば、それは凛からでしかあり得ないであろう。
 誰もがそう考え、すぐにも対処すべく凛を注視している。
 だが――――



 最初に動いたのは、意外にもセイバーだった。



 不可視の剣を携え突進するセイバー。
 その先には、士郎がいた。
 士郎は勿論、他の誰もが動けなかった。
 それだけ意表を突いた行動だった。
 凛さえも、驚愕の表情を浮かべたまま固まっている。

 そしてセイバーの不可視の剣は、
 寸分の狂いなく、
 容赦なく振るわれた。



 甲高い、何かを弾くような音が辺りに響いた。



「…………え?」
「リン、敵襲です!」
「敵、襲……って、え、嘘ッ!!?」

 セイバーの不可視の剣がそのまま二度三度振るわれ、その度に甲高い音が響く。
 弾かれた何かは障子を突き破り、庭に弾き出される。
 矢だ。
 士郎を狙って外から射掛けられた高速の矢を、セイバーが不可視の剣を以って弾き返したのである。
 障子を蹴破り、庭に飛び出るセイバー。

「何者――――ッ!」

 セイバーの恫喝が闇を裂く。
 彼女に僅かに遅れて士郎が続く。

「士郎! セイバーより前に出るんじゃないわよッ!?」

 その後を追うように、凛達が庭に飛び出した。
 セイバーを先頭に、サーヴァント達がマスター達を守る為に前に出る。
 そして警戒しつつも、敵の姿を捉えるべく探し始める。

「敵は……って、え?」

 ところが、探すまでもなく、あっさりと敵の姿は見付かった。
 何故なら――――





「オ〜ッホッホッホォ――――ッ!!」





 ――――敵には、姿を隠す意図が全く存在しなかったからである。
 辺り一面に響き渡るソレは、誤解のしようもない程に明らかな場違いな笑い声。
 あまりといえばあまりの状況に、凛達はビキリと固まった。
 敵の目の前だというにも関わらず、彼女達は固まった。
 そして、皆は見た。
 衛宮邸の塀の上に傲然と立つ、一人の女性を。

 右手は口元。左手は腰。
 顎を反らしたその姿は、己に対する絶大な自負を感じさせる。
 その姿、正に豪華絢爛。
 月明かりに照らされた彼女は、まるで舞台に立つ女優のようである。
 無論が主演。
 彼女の纏う青いドレスは袖がなく、それは戦いの装束の証。
 月の光の下、オレンジ掛かった黄金の髪は何の陰りもなく、その存在を指し示すかのようにさん然と輝いている。

 正しく、ゴージャスな女性であった。

 そして彼女には、一人の従者が付き添っていた。
 赤い外套を着た長身の男は彼女の隣で弓を構え、既に二の矢を番えている。
 彼の表情は、何故か驚きに満ちている。
 そして従者を従えた彼女は、声高らかに己が何者であるかをこれでもかというくらいに宣言するのであった。

「ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトとそのサーヴァント、アーチャー! 華麗に優雅に参上ですわあッ!!」



続く
2009/4/27
By いんちょ


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