大団円を目指して


第20話 「幕切れ」



 バゼットの奴は、変わっちまった。
 生真面目で口うるさく細かい事を気にする奴だったが、それでもオレは気に入っていたし、少なくとも背中を任せられるとは思える奴だった。
 それがまあ、何でこんなヒステリックな女になっちまったのか。
 それだけ言峰の野郎に裏切られたのが堪えているんだろうが、あんなクソッタレの何処を信じていたのかオレには検討も付かねえ。
 だが、何故かバゼットはあの野郎の事を信じていた。
 あげくに裏切られ、騙し討ちを喰らい、果ては捨て置かれた。

 令呪を奪ってからは、一度も視線をバゼットに向ける事は無かった言峰。
 止めを刺す訳でもなく、まるで用済みとでもいうように。
 道端に転がっている石ころのように、あの野郎は視界に入っている筈のバゼットになんら興味を向けなかった。
 言峰にとって、令呪のないバゼットは無価値だった。

 そりゃあ、堪えて当然だ。
 信じていた相手に、自分の存在を全否定されたのだから。
 オレが助け出した事は、コイツには何の慰めにもならなかったのだろう。
 あの嬢ちゃんにバゼットの事を聞いてからはすぐさま、例えて言うならそれこそコイツが夢を見る間も無く(・・・・・・・・)助け出してやったのだが、命は助けられたものの、オレに出来たのはそこまでだった。
 結果、今のバゼットの出来上がりだ。
 血走った目をギラギラとさせ、心の余裕の無さ故に、常にピリピリとした雰囲気を纏っている。
 正直、一緒にいて面白くもなんともねえ。
 気に入っていた女が、随分とまあ、つまらねえ女に成り下がっちまったモンだぜ。

 しかし、それも全てはオレの所為。

 言峰からの呼び出しを、元々オレは胡散臭く思っていた。
 当然、バゼットを止めた。
 だがコイツは、笑ってそんな人ではないと言ったのだ。
 無論そんな言葉でオレが納得する筈もないが、まあ良いかとも思った。
 いざとなれば、このオレが助けてやれば良いと。
 その結果が、このザマだ。

 全ては、オレの奢り故に。

 何があろうと守ってやれると自惚れた挙句が、今のバゼットの出来上がりだ。
 元々、ダチの少ねえ奴みたいだしな。
 それだけに、信じていた奴から裏切られたのは堪えたってこったろう。
 何とも女々しい話だ。
 こんな下らねえ女をマスターにした覚えは、オレにはねえ。
 断じてねえ。

 だが、そんな女にしちまったのがオレ自身。

 ならば今のオレに出来る事は、コイツの願いを叶える事だけだ。
 オレの願いは後回しで良い。
 あのセイバーと一対一で戦う事が出来れば、オレの願いは果たされる。
 その為にもさっさとバーサーカーを倒すべく、さっきから槍をふるっている訳なんだが……

「ランサー! 何時まで遊んでいるのです!」

 てこずっているオレに、バゼットから叱責が飛んだ。
 おいおい、遊んでいるんじゃねえっつうの。
 コイツが強いんだよ。

 そう、コイツは強い。
 何しろオレの槍が通じねえんだから。
 何度ぶっ刺しても、歯が立たねえ。
 こりゃもう、丈夫とかいう問題じゃねえな。
 奴の肉体その物が、何かしらの概念で守られているのだろう。
 オレの魔槍を上回るとは、大したモンだ。
 関節や指先、筋を狙っても同じ事だった。
 ならばと目や吼える度に開く口の中を狙うが、そこらへんだけは防御が硬く見事に防ぎきりやがる。
 狂っている癖に、見事なモンだぜ。

 確かに、コイツは強い。
 案外、オレより強えかもな。
 何しろ、力と速さが尋常じゃねえ。
 紙一重で避けるなんて真似をしちゃあ、それだけで皮膚が裂け、ヘタすりゃ肉までもが削れるだろう。
 さっきからドッカンドッカンと景気良く、地面に穴をあけてやがる。
 認めてやるさ。
 間違いなく、手前は強い。

 だが、つまらねえ。
 戦りあっていて、面白くもなんともねえ。
 力は間違いなくオレ以上。
 早さも確かに大したモンだ。
 だが、それだけだ。
 技も何もあったモンじゃねえ。
 獣と戦ってるようなモンだ。
 獣相手は、慣れちまったら面白くもなんともねえんだよ。
 相手の攻撃を見切る目と、それに付いていける身体、そして相手を殺せる手段と度胸がありゃあ、大した事はねえからな。

 要するにオレ位になると、もはや獣じゃ物足りないのだ。

 命のやり取りが面白えのは、やっぱり人間だ。
 そして、極上の相手がオレを待っている。
 セイバーが。
 あの音に聞こえた騎士王が、オレを待っているのだ。
 アイツとさえ戦れりゃあ、オレの願いは満たされる。
 だからよ。
 さっさと死にやがれ。
 手前なんぞの相手をしている暇は、これ以上ねえんだよ!





 無駄な事を。
 目の前では、さっきからランサーが蚊トンボのように、バーサーカーに纏わりついている。
 ホント、無駄な事を。
 そもそも、クーフーリンがヘラクレスに勝てる訳ないじゃない。
 少なくとも、この日本じゃ無理ね。
 知名度が違いすぎるし、英霊としての格だって違うのだから。
 しかも、わたし達はランサーの手の内をほぼ知っている。
 既に凛達と互いの情報は交換済みであり、当然ランサーの真名や性格にその宝具、その他もろもろ大体の事は聞いているのだ。
 とはいうものの、さすがに素早さは大した物であり、バーサーカーの斧剣が中々当たらない。

 戦い始めて、約二分。
 まだ二分と言うべきか、もう二分と言うべきか。
 未だにそれだけしか経っていないのかと思いつつも、やっぱり長いような気がしないでもない。
 ランサーなんかに構っている場合じゃないっていうのに。
 ちょっとだけ、イライラしてきたわ。
 一撃当たれば終わるというのに、その一撃がなかなか当たらない。

 いっその事、宝具を使ってくれないかしら。

 そんな事を、わたしは思う。
 刺し穿たれようと、問題は何も無い。
 瞬時に蘇生させ、その時がランサーの最後となるのだから。
 サーヴァントの宝具は、基本的にはマスターから供給される魔力の量によって、その威力も左右される。
 ライダーの宝具が、良い例である。
 つまりは、本来なら多少の時間を要するバーサーカーの宝具である蘇生も、流し込む魔力量によっては一瞬にして行う事も可能なのだ。
 要するに手の内を知られた時点で、既にランサーの敗北は約束されていたのである。

「何をしているのです、ランサー! マスターを狙いなさい!」

 ヒステリックに喚くバゼットだけど、そういう貴女がさっきからわたしを狙っているのよね。
 勿論わたしのバーサーカーが、そんな事はさせないけど。
 その度にランサーの槍がチクチクと当たっているが、ランサーの槍ではバーサーカーの肉体は貫けない。
 セイバーの聖剣でさえ無理だったのだから、当然といえば当然だ。

「いい加減本気を出しなさい、ランサーッ!!」

 バゼットが再び喚き散らした。
 癇癪を起こした子供のように、彼女は己のイラツキをまるで隠さない。
 隠そうともしていない。
 ……全く。
 少しは自分のサーヴァントを信じなさいよ。
 あんなに雑魚っぽかったかしら、バゼットって。
 顔をしかめながらも健気に槍を振るうランサーが、実に哀れである。
 だからかしらね、ランサーがここまで切羽詰った表情をしているのは。

 ホント、哀れねえ。

 なんて事を思ったらバゼットと目が合ったので、わたしは親愛の情を込めて彼女に微笑み掛けた。
 あの世界じゃバゼット、割りとシロウと仲良かったしね。
 これで少しは落ち着いてくれると良いのだけど。
 ……なのに、どうして唇を噛み絞めるのだろう。
 唇から血まで流して。
 とっても不思議。
 するとランサーがバーサーカーから一旦距離を取り、その槍を構え直した。

 途端。
 あまりの殺気に、呼吸を忘れた。
 ランサーの腕が動く。
 槍の穂先は地上を穿つかのように下がり、ただランサーの双眸だけがバーサーカーを貫いている。
 そして――――

「――――その心臓、貰い受ける」

 ――――そう彼が言ったと同時に、大気が凍る。
 比喩ではなく、本当に凍っていく。
 気付けば、大気に満ちていたマナが全て凍結していた。

 ……さすがね。
 さすがは、ランサーのサーヴァント。
 そして、クーフーリンである。
 彼を甘く見ていた事を、わたしは少しだけ反省する。
 だが、少しだけだ。
 何故なら、わたしのサーヴァントはバーサーカーだから。
 そして、わたしのバーサーカーは無敵だから。
 敗れた事実はあるものの、それを踏まえて尚、わたしの考えは微塵も揺らがない。
 それを、この聖杯戦争で証明しよう。

 わたしのバーサーカーこそが、最強である事を。
 
 ランサーの宝具なら、一度はバーサーカーを殺せるでしょう。
 でも、それで終わり。
 相打てば、単純にそれで終わるのだ。
 その光景が、わたしにはありありと見える。
 解放なさい、宝具を。
 その時がランサー、貴方の最後だから。
 わたしは一人笑みを浮かべながら、バーサーカーの勝利する時を待ち受ける。



 すると、傍から微かな悲鳴が聞こえた。



「誰だ――――ッ!」

 ランサーが、じろりと、息を呑むような悲鳴を上げたナニかを凝視する。
 街灯の明かりが逆光となりシルエットでしか分からないが、そのナニかはどうやら女性のようだ。
 何処かで見た気がするのは、気のせいだろうか。
 それがあたふたとみっともない格好で慌てて逃げ出す姿が見えた。

「って、ちょっとお! まさか結界を張ってなかったの!?」

 戦う際に人払い、もしくはそれに類する結界を張るのは、当然襲って来た相手の役目である。
 無論、この場合はバゼットのすべき事だ。
 見れば、バゼットにとっても意外だったのか随分と驚いた顔をしている。

「クッ……勝負は一時預けます!」

 いかにも悔しそうに、バゼットが言った。
 自分のミスに気付いているのか、いないのか。
 あるいは、棚に上げているのだろうか。
 もう少しで勝負が付いたのに、とでも思っているような顔だった。
 どうしたっていうのよ、バゼット……貴女、本当に滑稽よ。

「ランサー、追いなさい! 目撃者を消去します!」

 そして二人は走り去る。
 追撃する隙は、さすがに見せなかった。

「ハァ……やれやれだわ」

 溜め息と共に、わたしはそんな言葉を吐き出した。
 戦いが終わり、この場に再び夜の静寂が訪れる。
 さて、どうしようかしらね。
 バゼットのあの様子では、名も知らぬ誰かは間違いなく殺されるのでしょうけど……

「まあ、わたしには関係ないわよね」

 見知らぬ他人がいくら死のうと、わたしには関係ないし興味もない。
 更に言うなら、どうでも良い。
 わたしは、シロウが無事ならそれで良いのだ。

「行きましょ、バーサーカー」

 今日の所は出直そう。
 ケチもついたし。
 シロウに会うのは、また明日。
 まだ、決心もついていないしね。

「……シロウ、かあ」

 不自然なまでに静まり返った夜道を、わたしとバーサーカーは二人、歩き出す。
 歩き出した方向は、言うまでもないだろう。

「ホント、やれやれだわ」

 遠くから、サイレンの音が微かに聞こえた。





 足が勝手に走り出した。
 目の前の光景を理解する事もなく。
 気付けば足が勝手に走り出したのだ。
 走り始めた最初の一歩で足がもつれた。
 自分の足に躓きみっともなく地面の上を転がった。
 言葉にならない声を上げながらわたわたと地面を這いずり回る。
 駆け出したいのに駆け出せない。
 そんな自分がもどかしかった。
 不恰好ながらもなんとか立ち上がれた。
 だからわたしは逃げ出した。
 見苦しくも無様に逃げ出した。
 それが死を回避する只一つの方法だと理解っていたから。

 わたしは今、死に物狂いで逃げている。

 逃げなきゃ駄目。
 考える事は只それだけ。
 息が苦しい。でも足は止めない。
 足がもつれる。でも走るのは止めない。
 心臓が物凄い音を立てている。でも逃げるのは止めない
 家から持って来たこれが重い。とても邪魔。
 それでもこれだけは手放せない。
 いやそんな事はどうでも良い。
 今はとにかく逃げないと。
 苦しい事など忘れてしまえ。
 身体の全てを逃げる事だけに注ぎ込め。

 だってそうしないと、わたしはアレに殺される。

 ようやく思考が、現実に追い付いた。
 追い付いた時には、手遅れだったのかもしれないが。
 だって話が違うもの。
 アレがサーヴァントだなんて、どう考えても話が違うもの。
 あんなのがサーヴァントだなんて聞いていない。
 あんな化け物がサーヴァントだなんて……キャスターさんと全然違うじゃない!
 わたしは心の中で悪態を吐く。
 そんな事をしている暇は、これっぽっちもないけれど。

 どの位の間、逃げていたのだろう。
 一時間?
 二時間?
 少なくとも三十分は逃げていた気がする。
 なら逃げられたかもしれない。
 そう思った瞬間、わたしは地面に転がるようにへたり込んだ。
 限界だった。
 もう一歩だって動けそうになかった。
 限界以上に走りづめだった心臓が、ドクドクと凄い音を立てている。
 そんな壊れそうな心臓に、ゼエゼエと酸素を送る息の音。
 聞こえる音は、それだけだった。

 少しだけ落ち着けたように思う。
 ところで、ここは何処だろう。
 わたしは辺りを見回した。
 何故か士郎の家の近くだった。
 無意識の内に、士郎の家に逃げ込もうとしていたのだろうか。
 いけない、士郎を巻き込んじゃうかも。
 そう思った瞬間、力が涌いた。
 士郎じゃ、アレには絶対に勝てない。
 勝つという言葉を使う事すら、おこがましい。
 そして、キャスターさんがアレに勝てるとも思えない。
 わたしが何とかしなきゃ!
 限界だった自分の足を叱咤し、わたしはもう一度走り出そうとした。

「追いかけっこは、もう終わりか?」

 すると、そんな声が、した。

「よう。わりと頑張ったぜ、アンタ」

 その声は、すぐ傍から、した。

「運がなかったな、嬢ちゃん。ま、見られたからには死んでくれや」

 そしてソレは、親しげに、そんな言葉を口にした。
 決定的な死の言葉。
 そんな言葉の割りには、本当に軽い口調だった。

 息が出来ない。
 思考が止まる。
 もう、何も考えられない。
 だというのに。
 漠然と、これで死ぬんだな、と実感した。
 これで、おしまい。
 全部、おしまい。
 士郎の、ことも、これで……

 ――――冗談じゃないッ!!

 わたしは何を考えているのだろう。
 死ねないのに。
 こんな所で死ぬ訳には、絶対にいかないのにッ!
 わたしは相手の目を、必死の想いで睨み付ける。
 それだけで全身が震え上がり心が挫けそうになったが、それでも血が出る位に歯を食い縛り睨み続ける。
 そしてブルブルと震える手を懸命に動かし、苦労しながらも手にしていた竹刀袋からなんとかこれを取り出した。

 これは、日本刀だ。
 家の蔵に放り込まれている、有象無象の物では無い。
 お爺さまの部屋の床の間に飾られていた、お爺さまが昔使っていた、何度も人の血を吸った、無名ながらも業物の一刀。
 それをお爺さまの部屋から、黙って持ち出した。
 危うく見付かりそうになり随分と長い間家から出られなかったが、最後はとうとう逃げ出してやった。

 全ては士郎の為に。

 死ぬ訳にはいかない。
 殺される訳にはいかない。
 だって、士郎を守れるのはわたしだけ。
 士郎の姉である、このわたしだけなのだ。
 それでも怖い。
 どうしようもなく怖い。
 でも逃げる訳にはいかない。
 だから、わたしは勇気を振り絞る。

「キエェエエエェ――――ッ!」

 腹の底から声を振り絞る。

「キエエェエエエェ――――ッ!!」

 腹の底から気合を振り絞る。
 逃げちゃ駄目。
 わたしが逃げたら、士郎が死んじゃう。
 そんなのは駄目。
 だからわたしは気合をあげる。
 腹の底から気合をあげる。
 それでも、足の震えは止まらない。
 だからわたしは上段に構え直し、気合を、魂を振り絞った。

「キエエェエエエェェ――――ッ!!!」

 呑まれるな。
 呑まれれば終わる。
 終わってしまう。
 考えるな。
 余計な事は考えるな。
 考える事は一つだけ。
 士郎を守る、只それだけ。
 士郎の為に。
 士郎の為に。
 士郎の為に。

「キェエェエエェエエエェェ――――ッ!!!」

 相手の肩口に向けて、袈裟懸けに叩っ斬る!
 貰ったあッ!!
 気を充実させたわたしは、最高の一撃を放った。
 掛け値なし。
 生まれて始めての、生涯最高の一撃だった。





 キン、と軽い音がした。





 ……あれ?
 おかしいな?
 音がヘン。
 もっとこう、ズバ〜ッとかスゴイ音がする筈なのに。
 それに、手応えが無い。
 今の一撃は、間違いなくわたしの最高の一撃だった。
 骨をも断ち切る、真に魂を振り絞った一撃だった。
 なのに、どうして手応えが無いのだろう。
 不思議に思ったわたしは、視線を手元に落とす。
 必殺の一撃を放った、わたしの日本刀。
 それを放ったわたしの刀は、鍔元から刀身が消失していた。
 アレの槍に、あっさりと叩き折られたのだ。

「……ぁぁ…………」

 情けない声を上げながら、わたしは膝から崩れ落ちた。
 ……もう、駄目だ。
 お姉ちゃん、もう駄目だ。
 ごめん、士郎。
 お姉ちゃん、死んじゃう。
 コロされちゃうよ。
 ……イヤ。
 イヤだよ。
 死にたくない。
 わたし、死にたくないよ。
 ……士郎。
 士郎。
 助けてよ……士郎。

 わたしは士郎の姉となってから、初めて士郎に助けを求めた。

 ハハ……
 わたし、お姉ちゃん失格だ。
 弟を守るのが、姉なのに。
 なのに、助けて欲しいだなんて……ホント、駄目駄目だ。
 だからかな、ここで死んじゃうのは。
 ごめんね、士郎。
 ホント、ごめんね。
 士郎。
 士郎……

「助けて、士郎ォ――――ッ!!」

 言ってはならない言葉だった。
 後戻りの出来ない、言葉。
 もう、姉には戻れない。
 わたしにとっては、そんな決定的な言葉だった。
 意味ないけど。
 こんな事を考えても、全部意味ないけど。
 奇跡なんて、起きないから。
 わたしはここで、殺されるから。
 わたしは全てを諦めた。
 でも、奇跡は起こったのだ。

「藤ねえ――――ッ!!」

 その声に、弾かれたようにわたしは顔を上げる。
 目の前には、必死の形相で駆け寄ってくる士郎の姿があった。
 あり得ない事が起こった。
 これが物語なら、士郎がヒーローで、わたしは正にヒロインだ。
 士郎が、わたしを助けに来てくれた。
 奇跡は、本当に起こったのだ。





 でも、やっぱり奇跡は起こらなかった。





 わたしの士郎は、わたしの目の前であっけなく殺された。



続く
2007/8/30
By いんちょ


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